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人生最大のスタートライン

私が人生最大のスタートラインに立ったのは、26歳の春。


その当時、私は役者をやっていて、数はちょぼちょぼだだったが、それでもテレビドラマやCMにとそこそこお仕事をいただいていた。


1本単価はそりゃ、時給換算すればですよ。たくさんいただいていたと思いますが、何しろ数がない。一か月に2本ドラマに出ても、1本単価3万だったとして6万円にしかならない。当然役者だけで生計が成り立つわけがない。


でも、居心地いいんですよね~。売れない役者って。そんな、全然売れていない連中が肩寄せあって生きてると、なんだかホンワカするわけです。(意味わからないでしょ(笑))当時私は25,6なわけです。


でも周りを見渡せば、私と同じ境遇の40代、50代、60代なんて役者さんがごじゃっといるわけです。当然食えないから、多くは専業主夫(奥さんの紐ですね。ヒモ)だとか、アルバイトで食いつないでいる人達なわけです。


あ~。ずっとこのままでもいいのかな?こんな人たちも一応世間を生き抜いてこれているわけだから~。


と、鬼のような勘違いをしてしまう訳ですよ。


しかし、周りを見渡せば、25歳ともなれば、高校時代や中学時代の友人たちは大学を卒業していっぱしの企業に入って「サラリーマン」としてバリバリやっとるわけです。


プラプラ売れない役者何ぞやっていると、そんな友人たちが、ウルトラマン、スーパーマン、サラリーマン!ってな塩梅で同列ぐらい凄い人に見えてくるわけです。


だったら、すぐに役者何ぞやめて普通に仕事したら?


って、思うでしょ。そうなんです。まったくその通りなんです。ですが・・・。


たまーーーーーーに売れちゃう人がいるんですよ。そんな、痰ツボのようなところから、這い出ていくやつが。そんなのを見ちゃうと、次は俺かな?
なんて、スーパー勘違いをしちゃうんです。バカだから。


でも、もうダメだ。って、何回も何回も唱えては、ぬるま湯に浸かって出ることができない。


で、何か行動を起こさねば、このまま、あの売れないまま年だけ重ねていってしまったオヤジたちのように、なってしまう!!!!!


と、一念発起。長年所属していた劇団を脱退し、受験勉強を始めた。
それが、25歳の11月。


そこから願書を出して、受験できる学校がもう残り少なくなっていた。まぁ、とりあえず、何校かでも出してみよう。来年とか言っていたら、また、何年もぬるま湯に浸かってしまう。と、受験してみた。受験倍率が当時は10倍20倍とかなり高嶺の花の学部だったので、まぁ~。今年は無理かも?と思いながら、受験した。


三校受験して、初めの二校は見事に桜が散りまくった。残り一校。


薄っぺらい封筒が郵便受けに入っていた。受験した最後の学校のものだった。薄い封筒は不合格の証。「来年だなこりゃ」と思っていたら、なんと桜が咲いていたではあーりませんか。


おおおおおおおおおおおおおお!!き、奇跡がーーーーー


と喜び勇んで、入学金を払い込み、大阪のアパートを払っていざ新天地へ!と準備を進めていた時、一本の電話が入った。


電話を取ると、声の主は私が所属していた芸能事務所の社長さんからだった。


「あっ〇〇君。次の朝ドラほぼ決まったから、スケジュール半年空けといて」と、数か月ぶりにかかってきた事務所からの驚き桃ノ木びっくり電話だった。「あっ。いや~その~」と、私が言葉を濁していると。「まぁ、そういうことだから、来週ちょっと事務所に顔出して」と一方的に告げられ、社長様は電話をお切りになった。


学校に受かったばかりで、今まさに渡航しようとしているそのさなか、なんて電話だ。入学金払った後じゃないか!


思案、ここで思案。学校に行けばそれなりに安定した生活は保障される。
(当時理学療法士は他職種と比較して結構高収入で人気のある職業だった。)


しかし、しかしですよ。朝の連ドラですよ。あの「おしん」とか「はれたらいいね~」的なあの、あれですよ。部長刑事とかBSドラマのちょい役とはわけが違う訳ですよ。


思案、思案。そして、思案。ただただひたすらに~思案。


いや~。あの時は脳みそちぎれるかと思うぐらい悩みましたね~。タイミングが良すぎるというかなんというか。一年朝ドラの話が、いや半年でも早ければ、もしくは一年後にこの話が来ていたら、あんなに悩まなかったと思いますが、タイミングがーーー良すぎる。いや、悪すぎる~。


ん~。え~。と考え喘いだ挙句に出した結論は、やっぱり安定!!役者を5年近くやってこの結果なのだから、何のとりえもない私には無理だろう。お相撲だって、野球だって、芸人さんだって結果の出せる人は1年目でもズバット行っちゃうわけだから。


と、自分に言い聞かせて、進学を選び、理学療法士としてのスタートラインに立った。


今は、理学療法士として素晴らしい多くの人たちや素晴らしい技術に巡り合い、あの時の選択は間違ってなかったと心底思っている。


でも、あの時違うスタートラインに立っていたらどんな人生になっていたのかな~。と思う日はない!


と言えばウソになりますが(笑)

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