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インプットなくしてアウトプットなし

タイトル、軽快さを求めて「インプットしか勝たん」ってしようと思ったけど、この言い方はやっぱ性に合わなかった。


流れてくるものをそのまま受け入れた結果

最近の話。仕事は先輩との分担がうまく行かずモヤモヤ、趣味もスランプで楽しくないし、おまけに長かった梅雨とコロナでこの閉塞感だ。


自由に出歩くのも気が引ける。
勤め先の関係で、周りと判断がズレていっている感覚もある。自分の価値観を絶対とした言葉を浴びせてくる人が辛くなる一方で正論に感じたり、似た判断をする人に安心したり、優しい心遣いをもらってありがたいと思う反面、申し訳なさも感じたり。


そんなこんなで哲学者のように、世の中とは、人生とは、仕事とは、正義とは真面目とは、感謝と敬遠の境目について、生贄について、いや被害妄想か…こんなことをぐるぐると考え腐った。涙が出た。気分転換にnoteに何か書こうとしても、暗い思考ばかりしか出てこなくて、でもその持論をネットで具体的に展開する勇気もなかった。

こういう状態のことをメンタル不調と言うのだろうと思った。


暇なら動け

涙ながらに寝て起きた朝、ふと思い至った。

考えてる状態って、結局は暇なんだわ。
隙間があるから思考が続いて止まらなくなる。
職場の偉い人も、成果を出さない人は行動の前に口が出るんだと言っていた。

仕事も趣味も世の中も、まずは理解しないと動けないからと大真面目に深々と考えていたが、自分のこと他人のことをいくら分析しても実用性はなく、時間がかかる割にあまり役に立たない。


むしろその隙間を活用して、
納得いくまで調べて、準備して、試せばいい。
絶対その方が上手くいく。もし失敗しても知識と経験が手に入る。(…続けば静かな劣等感になるんだけど。)


疲れる前提で深く潜って、糸が繋がっているところを延々と探すより、守備範囲外のところに触れて、そこを掘っていく方が明らかに手っ取り早くて楽しいんじゃないかと、やっとこさ気付けたのだ。


今までも視野は広くいるつもりだったし、
こういう受動的ならありでしょと思っていた。

でも、テレビやネットのオススメで流れてくるものを受け入れて、興味のないものを流し見て、無闇に心のへぇボタンを押し続けても、結局は好みの履歴や延長線でしか物事を視界に入れられないし、深くなるのは思考ばかりだった。

緩やかにドツボに向かって歩いてきたのを振り返ったとて、そこがドツボだとすぐに気付けるか?

歩かされるんじゃなくて、歩きなさい。



食べたものはエネルギーになる

当たり前のこととはいえ、運動部はたくさん食べなきゃとか、イライラするってことはカルシウムが足りないんじゃないかしらとか、案外ぼんやりとしか認識していなかった。

でも、チョコを食べればニキビができるし、
野菜不足は顔色悪くなるし、
肉を食わなきゃ倒れる。

食べたものは思ったより体調に直結している。
料理をするようになったら気付いた。


心の栄養とは耳タコな言い方だが、やっぱり知っているのと実感するのは大きく違う。

「人に会う、喋る」「違う場所に出掛ける」のは、思ったより自分にとって大きなエネルギー源みたいだ。できなくなってわかった。
供給が不自由になったのだから、能動的に思考の素材を選びに行かなくてはならなかった。

考えたいこと、話したいことは、受けたものからしか生まれない。


そうと解ればこっちのものだ。
何となくでこなしてきた分野の勉強を突き詰めたり、わざとらしいくらいに積み上げた小説を読んだりして没頭すると、少し気持ちが楽になった。


放っておいても考えてしまうのだから、どうせなら実の成るものを選んで、満たしておく。


最高のクラウチングスタートを決めてやるんだ。筋肉痛覚悟で準備姿勢を取り続けておこう。



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