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認めることで、楽になる。

根拠なく「何があっても大丈夫」と思えること、自分という人間が周囲と調和・共生できる(=周りの人々と思いやりあい協力して生きる)こと。

この2つは私たちが気持ちを軽やかに、おだやかで満たされた気持ちで生きるために、欠かせない要素だと私は考えています。

今日はどうすればこの2つの要素を実現できるのかについて、私が最近気づいたことを、私自身の過去の経験を例に挙げながら、このnoteで共有しようと思います。

とはいえ説明が長くなりそうなので、私が気づき、たどり着いた答えを先に言ってしまおうと思います。

「何があっても大丈夫」と思えるようになる方法とは、

そして平和的に周囲と調和して生きられるようになる方法とは、

「認める」ということだと私は思っています。

逆説的ですが、実は、不安は認めれば認めるほど、むしろ絶対的な安心感へと成長します。

そして、自分という人間の良いところも良くないと思うところも認めれば認めるほどに、自分が無くなって、周囲と一体になります。

そもそも「自分とは何者なのか」ということさえ、考えなくなります。

そして「私」は「あなた」であり、「あなた」は「私」だと、心から思えて、相手のことも自分のことも大切にできるのです。

この先から、私自身の体験の話になりますが、

かつて私が生きづらさを感じていたころを思い返すと、私は小さな世界に自分を閉じ込め、「何があっても大丈夫」とは思えなかったし、周囲と馴染めず孤独を感じていました。

周囲と馴染めないというのは、決して故意に誰かから仲間外れにされたというわけではありません。

自分でも分かりませんでしたが、なぜか周りの人たちと自分の間に心理的な距離を感じていたのです。

なぜ、自分はそんな状態だったのだろう?

今になってよく考えてみれば、「認める」ということができていなかったからだと思います。

「認める」ということについて、まず私は自分の中にある不安を認められていませんでした。

どんな時も強くあらねばならないと思い、「不安だな」と思う気持ちをかき消すようにして、自分を奮い立たせていたことを今でも覚えています。

恐れず立ち向かうことを、良しとしていました。

不安を感じている自分を受け入れてあげられないことは、そのままの自分自身を受け入れ、認めてあげられていないということに繋がりました。

そして、自分を認められていなかったので、いつも、自分自身とは違う何者かに変わりたいと心のどこかで思っていました。

自分のことを信頼していないから、自分の思うことよりも、人が言っていることのほうが正しいと感じました。

だから自分自身は何が好きで、何が嫌いなのかが分かりませんでした。
何を楽しく感じて、どんなことをやりたいかも分かりませんでした。

挙げ句の果てには、そのままの自分を受け入れられなかったから、かえって「自分とは何者なんだろう」と思い詰めることになってしまったのです。

思い詰めるうちに、自分の心の中で自分の存在が肥大化して、自分のことでいっぱいになって、自分のことを大切にしてくれる身近な人に心を向ける余裕がありませんでした。

もちろん人付き合いも苦手で、できる限り日常生活で人と関わりたくないと思っていました。

でも段々と自分の気持ちを大切にするようになってからは、「何者でもない、そのままの自分」のことを好きになれました。

喜びも負の気持ちも、私が今感じていることとして、否定をせずに認められるようになりました。

どんな時も「私は今嬉しい気持ちなんだな」とか「私は今不快な気持ちになっているな」とか、

ただ自分の中に湧き上がる気持ちを自覚し、自分の気持ちに良し悪しの評価を付けないようになりました。

「今私は楽しい気持ちだから”良い”」とか、「悲しい気持ちだから今日は”最悪”」とか、

自分の気持ち次第でその日一日を評価することも、自分自身が自分の気持ちに振り回されることも、今では無くなりました。

そんな自分でいられるようになってからは、人と言葉を交わし、協力し合うことが楽しくなりました。

人と話すのも、今は好きです。

そのままの自分を認めることで、自分が満たされ、「自分は目の前の相手に何ができるかな」と考える余裕ができたから、こんなに私自身が変わったのだと思います。

人を思いやることで自分も満たされて、自分を大事にすることで人を満たせるということを、無意識のレベルで理解できるようになった気がします。

自分の心の中で肥大化していた自分の存在は、自分自身に誠実・素直でいることによって小さくなったため、

自分以外の人たちのいる環境に飛び込んでも、その環境に溶け込むことができていると感じます。

また、不安に感じたとしても、すぐに「まぁ大丈夫だろう」と楽天的に考えられています。

なぜなら、自分自身を認めているので、何か困るようなことが起こったとしても、

「結局どんな時も自分に必要なものは手に入る」と根拠なく信じられているから。

そして「人生は自分の信じる通りになる」ということも、固く信じています。

日々をおくる中で「こうなったら、どうなってしまうんだろう?」と思うことは、私もたくさんあります。人間なのだから、仕方がない。(そうやって、自分を許して甘やかします。)

しかし不思議なことに、まだ起きてもいないことや小さなことで不安になる自分を許してあげることで、

「私は大丈夫だ」と安心感を持てるようになったのです。

根拠のない、絶対的な安心感とは、このようなことを言うのだと思います。

もし、この記事を読んでくださっている方で、「根拠なく『大丈夫だ』なんて思えないな」と感じているのなら、

もしかしたら、まだ自分の中の不安や自分自身を認め、受け入れられていないからなのかもしれません。

不安な気持ち、そして自分そのものを、「こんなんじゃダメだ」と否定しない練習をしてみるといいかもしれません。

「こんな自分だって人間臭くて可愛いもんだよね」と自分を許して笑ってあげてみてください。

認めることで、ゆっくりと、自分が生きる世界の景色は変わってゆくから。

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