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自分で決めたからする、それだけ。幼稚園に毎日通うようになった長男の話

前回の記事でも話したように、うちの長男は幼稚園不登園である。

その長男が、ある時から毎日幼稚園に行きはじめた。卒園までのあと4ヶ月、幼稚園を休む日があったとしても、もう大丈夫だろう。
なぜあんなに嫌がっていた幼稚園に毎日行くようになったのか?なぜ大丈夫だと思えるのか?考えたことをまとめた。

幼稚園嫌じゃない、気づいた夜

ある木曜日の夕食中、長男が「明日幼稚園お休みする、最近お休みしてないから」(実際水・木と二日連続で幼稚園に行っていた)と言い始めた。夫が「でも火曜日はお休みしたじゃん?」と返したのに、なんだかザワザワとした。このまま長男の思いを聞き出せずに曖昧なまま幼稚園に行く方向になれば、またどこがで歪がでるのではないか。私はとっさに「長男くん、最近幼稚園どう?」と聞いてみた。
すると「楽しい…」と口にした長男。同時に『ん?』という何かを感じたような顔をした後「…幼稚園…毎日行く…?」となぜか疑問形で返してきた。
私は内心『おおおお!』となった。長男の中で『幼稚園とは一日おきに嫌々行くもの』から『幼稚園楽しいから毎日行ってもいいんじゃない?』と認識が変わった瞬間のようだった。
やはり口から出す、アウトプットすることで自分の事が客観視され理解しやすくなるのだろうか。

なぜ、毎日幼稚園に通うのか

その日から約2週間、長男は休まず毎日幼稚園へと通っている。
私の知らない所で一度「幼稚園お休みする…」と夫が長男の呟きを聞いたらしいのだが夫はそれを聞き流したそうだ。否定も肯定もされなかったので長男自身の中で消化されたのだろうか。それとも無言を自分の意見を受け入れてもらえたと感じたのだろうか。「もう一日行ってみたら?」等お休みしたい気持ちを否定していたら結果は違っていたのかもしれない。

今思えば長男は「幼稚園行かない」「幼稚園お休みする」と断言していた。そして新しい幼稚園に変わった時に「一日おきに幼稚園に行く」と長男自身が決めていた。(長男いわく『こうたいごうたいにする』)

つまりこれって『自分で気づいて、決めたから』の一言に尽きるのでは。

『自分で選ぶ』ことの大切さ

私と夫はよく話をする、自分たちの子どもの頃の話も何度もしている。その中で夫は『自分で選ばせてもらえなかった』とよく話している。
逆に私は幼い頃から色々と自分で決めてきたような気がする。そして自分で決めた事を尊重してもらえた実感がある。
12年以上続けた日本舞踊も、知り合いが一人もいない高校に進学し3年間続けた寮生活も、1年以内に結婚すると決めて始めた婚活も(おかげさまで今の夫と出会えた)。全てを自分で決めてやり遂げた事だ。

それ故に『自分で決めないと続かないし、結果も出ない』と夫婦の共通認識になっている。夫婦の間でも片方が『やりたい』と言い出した事は頭から否定せず、ひとまずなぜそう思ったのか確認する事から始めている。
そして、この『自分で決める』という行為は今日明日で急にできるようになるものではない。夫も私と出会う少し前から『自分で決める』事を少しづつ積み上げ、この度の転居・転園を『決める』に至った。

今日の服は何にする?おやつはどっちがいい?読みたい絵本はどれ?そんな小さな経験が沢山必要だ。些細な積み重ねをコツコツしてきたからこそ長男は5歳を前にして重大な決断を下すことができたのだろう。自分がこれ以上頑張って幼稚園に行くと大変な事になる、だから『幼稚園お休みする』のだ。
今だから分かる、もし仮に年中の時点で幼稚園をお休みさせていなかったら、引っ越しをしていなかったら、それまでとは比べ物にならないくらいにしんどい事になっている。私だけじゃない、長男はもちろん夫や次男の心も磨り減って再起不能になっている。
長男の決断はそれを知らせてくれたサインなのだ。

自分で自分を苦しめてはいけない

でも、決めた事に縛られてはいけない。
長男が『幼稚園いかない』から『毎日行く』で問題ないと気づいたように。私たち夫婦が『夫の両親と同居をする』から『自分たちで生活する』方が幸せになれると気づいたように。
自分自身がどうするのが一番心地いいのか、その時その時で判断する。以前決めた事だからとそれに引きずられては決断を遅らせているに過ぎない。以前決めた事で不都合が起きたのなら、改めて自分で判断して決めればいいのだ。

自分で決めた事、だから大丈夫

幼稚園を楽しく感じている。それを自分で気づき、毎日幼稚園に行くと決めた長男。その事実に気づくことができた私、共有できる夫。そんな家族に囲まれる次男。
これから先色んな事が起こるだろう。でも、だから、大丈夫。

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