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崩壊した「家族」、失った代償、新しい「私の人生」

こんにちは、蟻です。
前回のnote後に親からまた連絡が来たので、今日もnoteを書き綴る事にしました。
今回、とても長くなってしまいました。
お時間のある時に暇つぶしに読んでくださると幸いです。

崩壊し続ける家族関係

前回のnoteを投稿してから、両親それぞれからLINEの返事が来た。
返事は、父も母も似たような感じで「いいと思います」「頑張ってください」という内容だった。
言い方も上記そのまま、一般的な家族同士の会話とは遠くかけ離れた、なんとも他人行儀な返事だった。
私が「頑張れ」と言ってほしかった、背中を押してほしかったと言ったから、きっとその通りにしたのだろう。
なるべく私を刺激しないように、敬語で、仕方なく、といった感じで。
全く気持ちがこもっていない、会社の業務連絡のような返事だった。

私は、そんな他人行儀で事務的な返事ではなく、心から「応援しているよ」と伝わってくる、そういう「頑張れ」の言葉がほしかった。
でも、今更何を言っても、もう毒親との壊れた関係は直せない。
きっとこのまま、一生他人行儀で付き合っていくだろう。

私が一人暮らしを始めてから、どんどんLINEの返事が敬語になっていった。
きっかけは何だっただろうか。思い出せないが、過去に両親とのトラブルの中でも、特に酷かった事件をいくつか話してみようと思う。

不在時に合鍵を使い、部屋の鍵を開けたまま帰った事件

私が用事で1日不在時に、親が「水や食料を渡したい、置いてすぐ帰るから居なくても構わない」と言い、合鍵を使って私の部屋に入った事があった。
まだ学生の身分で、定期的に(車で2時間程かかる県外であるのに、月イチの頻度で)自宅に家族が来ていたので、当時はまだ家に来る事自体はよくある話だった。
そして、荷物を置いたので帰りますといった連絡だけ貰い、夜遅くに帰宅した私は、自宅玄関の鍵を差し込んで、違和感に気づいた。
鍵が、開いている。
原因は思い当たる節しかない。親が鍵をかけずに帰ったのだ。

こちらは女の一人暮らしである。正直とても怖かった。
もし強盗などが部屋の中にいたら?玄関を入ったらすぐキッチンだ。
包丁もその辺に適当に置いてある。襲われてしまったら…?

幸い、中には誰もおらず、荷物だけ玄関先に置いてあるだけだった。
私は親にすぐ連絡をした。
どうして鍵を確認せず帰ったのか、こちらは女の一人暮らし、不在時に部屋に入るのはいいが、強盗でも入っていたらどうするつもりだったのか、と。
こんな事が起きては不安で仕方がない、もう二度と不在時に勝手に自宅に入るのはやめて。
そう告げた。それ以来、不在時に勝手に来る事はなくなった。

私の予定も聞かずに勝手に旅行計画を立て、ホテル予約を取った事件

私が社会人になりたてホヤホヤの年のGW。
私は当時、趣味で同人活動を行っていたため、半年以上前から準備を進めてGWは東京の即売会に行く予定だった。

しかし4月中旬頃、突然親から連絡がきた。
「GWの旅行のホテルの予約を取りました」と。
意味が分からなかった。旅行の事など何も聞かされていない。ましてや日程についての打ち合わせなども一切なかった。
本当に急な話だった。
そして最悪な事に、ホテルの予約日が即売会と同日であった。

私は親に怒鳴りつけた。
「私は別居中で、社会人で、私には私の予定がある」と。
何故、前もって日程に関する話をしてくれなかったのか。
仮に同居中であっても、休日なら個人的に友人との予定くらいは誰だって入れるだろう。更に未成年ならまだしも、こちらは一応成人済の社会人である。
何故休日の予定を勝手に決められなければならないのか。

また、私ではなく当時まだ同居中だった祖母を連れていけばいいではないか、と伝えたら、両親は「祖母は連れていきたくない」と言った。
私の意見は無視、「家族旅行」と言いながら同じ家族であるはずの祖母は連れていかない。
この両親は、我が家は、普通ではない。そう思った。

決別宣言

といった感じで、過去に何度も「明日そちらに行きます」など、私の予定を無視し、ずかずかと自宅に押しかけてくる事も何度もあり、その度に私は「急に予定を決めるな」等と毒親と喧嘩をしていた。
毒親には、私の決めた予定より、自分達を優先するのが当たり前だとでも思っていたのだろうか。
だがコロナ禍や、休日は店の手伝いに行くようになった都合で、会う頻度は激減した。その点に関してはコロナ禍と手伝いに行っていた店には大変助けられた。

しかし、発達障害と診断された直後、あまり病気に理解のない親から「1度直接会って話したい」と、これまた急に言われた。
私は「仕事の都合もあるから日程も会う場所もこちらで決める」と伝え、会う前日に「明日○○駅に行きます」と連絡し、始発電車に乗って3時間かけて地元のとある駅まで移動し、毒親と会ってきた。
今までの私の気苦労を少しでも感じてほしくて、仕返しのつもりで前日に伝えたが、親は有給を使って普通に時間通りに待ち合わせ場所に来た。
急な予定なんて、何とも思わなかったようだ。…とても悔しかった。

当日、私は10ページ以上にわたって話したい事をまとめたメモ帳を片手に、親と対峙した。
そして、なぜ私が地元に戻りたくないか、実家に帰りたくないか、親と会いたくないのかなど、全て洗いざらい話した。

母は「私が中卒で親も居なかった(母方の祖父母は、母が中学の頃にそれぞれ死別・蒸発した)から…父方の祖父母に小さい頃育児を任せ、自分は仕事に行ってしまったから、長子の私をうまく育てられなかったのかしら…」等とブツブツ言っていたが、そんなの私の知った事ではない。
両親はずっと共働きだが、友人たちの家も皆同じだった(確か地元は全国トップクラスで共働き世帯が多かった気がする)ので、子供の頃は学校から帰ったら基本的に子供たちだけで遊ぶ、もしくは祖父母が見守る中で遊ぶのが当たり前だった。
でも同じ条件だったはずなのに、他の友人たちは皆独立し、自分らしく生きている。
私だけが、未だ親の呪縛から逃れられていない。

母の独り言は、毒親の子は毒親になる典型例だとしか思わなかった。
だからこそ私に「理想の娘像」を押し付け、自らも「理想的な母親」を目指し、実家にいた頃は一度も家事の手伝いをさせず全て自分でやり、私が家を出てからも定期的に私の部屋に来ては家政婦のように家事をする、過干渉な毒親になってしまったのだろう。
家事については本当に何一つ教わらなかったので、一人暮らしを始めてから最初はとても苦労した。料理の仕方も、お米の炊き方も、掃除の仕方も、洗濯機の使い方も、洗濯物の干し方も、何も教わらなかった。
実家では「家事は母がすべき事」であり、私が「手伝おうか?」と気を遣っても「邪魔だからいらない」と突き放された。そんな母だった。

父は「お前の話は過去のことばかりだ、もっとこれからの事を考えろ」と言われた。
今まで散々私の人生に口を出してきた父。これからの事を考えて、こうしたい、と言ったところで、どうせ何か口を出すに決まっている。
案の定、先日のnoteに綴ったように、私がこうしたいと告げたら口を出してきた。

子供のやりたいことは一度やらせてみて、ダメだったら「またやり直せばいいよ」「違う道もあるよ」と言って励まし、子のいい部分も悪い部分も受け入れ、子供はいい自分もダメな自分も受け入れてくれる存在に安心しながら、自分らしく成長していく…それが一般的な家庭だと、私は思っている。

だが私の両親は、「やりたい事は自由にやらせてきた」と言いながら、常に私の「本当にやりたい事」は何一つ自由にさせてくれなかった。
あくまでも自分たちの目が行き届く範囲内でしか行動してはいけない、理想的な進路を選び、一般企業に務めて普通のOLになるようにと、自分たちの「理想の娘像」を私に押し付け続けてきた。
私は最初は反抗していたが、子供時代の私にはどうする事も出来ず、いつしか言われた通りに生きてきた。
その結果として、私はうつ病になり、正社員で入ったブラック企業は即日解雇、以降ロクな仕事に就く事もできず、今に至る。
発達障害と診断されてからは、生まれ持った障害だからと責任を全て私に押し付け、私が何かしら話をするたびに私に罪悪感をベッタリと擦り付けてきた。

もう限界だった私は、これを機に絶縁しても構わないつもりで、私が思っている事を全て話した。
それでもまだ親は私に対して干渉するつもりだったようだ。

崩壊した私の「家族」

そして先日、仕事を辞めた事をきっかけに口論になり、今までnoteに書き綴ったように、ギリギリ「家族」として最低限の形を保っていた最後の1ピースも失った。
壊した、と言ってもいい。もう後戻りできないところまで、バラバラにしてしまった。
でも私はこれで良かった。
これでやっと、私は自由に生きていけるから。
これでやっと、私は自分らしく生きていけるから。

私は「機能不全家族」という、私を散々苦しめてきた存在を破壊し、「毒親」という呪縛の足枷を引きちぎる事で、ようやく「自由」と「私らしい人生」を手に入れた。
28年半という時間と、肉親という一番身近で、本来なら大切にするべきだった家族との関係。
私は、とてつもなく大きな代償を支払った。
それでも、私が望むものを得る為には、こうするしかなかった。

5歳下の弟とは、何も話をしていない。連絡も取っていない。
彼は実家で毒親と共に暮らしている。
だが彼は彼なりの人生をうまく歩んでいる。
私にとっては毒親だったが、彼にとっては普通の親かもしれないし、弟は自らの意志で実家にとどまっている。
私にとっては大切な「家族」だから、私は彼の意志を尊重しよう。
両親との関係については、弟から直接聞かれるまでは、何も話さないと決めている。

弟以外の身近な親族はもう、いない。
父方の祖母は存命だが、認知症の影響で家族の事はもう覚えていない。
先日施設に行き直接会ったが、私の事は当然覚えていなかった。うまく話もできず、ご飯の食べ方も分からない程認知症が進んでいるのだ。コロナ禍もあり何年も会っていなかったし、覚えていなくて当然だ。
でも、実家で飼っているネコの写真を見せたら、嬉しそうに「あぁ、いいわぁ」と、笑って返事をしてくれた。
私の事は覚えていないけれど、祖母は今、笑って暮らしている。
何度も母と喧嘩し、泣きそうな顔で私に愚痴をこぼしていた祖母は、もういない。
私は涙をこぼしながら、精一杯の笑顔で、「これからも元気でね」と伝えて、施設を去った。
祖母にはこのまま笑って、楽しく余生を過ごしてほしい。
私にとっては大切な「家族」だから。
私の事は忘れても、ずっと笑って、元気に長生きしてね。おばあちゃん。

父方の祖父は、私が3歳の時に亡くなっている。
母方の祖父母は、一度も会う事なく既に他界している。
子供の頃よく会っていた親族とは、誰とも連絡を取っていない。
両親の事だから、仲の良い親族には私の事を話しているかもしれない。
でも私はもう地元に戻るつもりはないし、会うとしたら、身内の不幸の時くらいしかないと思う。
もし、そこで何か言われたとしても、何も答えないつもりでいる。

新しい、私の人生

私についていた足枷は、もうない。
あとはただひたすら、新しくできた「私の人生」という道を前に進むだけだ。

ずっと仕事が多忙な恋人にも、仕事を辞めた事と一緒に、私が発達障害であることを打ち明けた。
彼はただ一言、「障害の事は、何も気にしなくていいからね」と、言ってくれた。
私が求める言葉をくれる人は、ちゃんといる。
恋人の事は、これからも大切にしよう。
お互い体に気を付けて、次会える日を楽しみに頑張ろう、と言い合った。

私は、どんなイラスト・デザインの需要があるかを知りたくて、VTuberとしても活動をしている。
最近ずっと私生活がメチャクチャだったから、中々配信できず、収録したラジオ動画を投稿するのが精いっぱいだった。
10歳下の同じ配信仲間から「頑張ってください!」とコメントが来た。
私の背中を押してくれる人は、ちゃんといる。
今夜は久しぶりに、配信仲間の好きなゲームの配信でもしようかな。

そして昨日、依頼のメールが来た。
先日、SNSマーケティングに精通している人の話を参考に、初めて依頼をする方限定プランを新しく用意してみた。
そしたら配信で知り合った方から「一度依頼してみたかったんです!」と、その新プランで依頼をしてくれたのだ。
金額は関係ない。今の私に必要なのは、収益よりも、色々な人に「私」という存在を知ってもらう事だから。
だからこそ、色々なイラストレーター・デザイナーが競合するこの業界で、私に依頼をしてくれた事が、すごく嬉しかった。
私の夢を応援してくれたり、私という存在を認めてくれる人は、ちゃんといる。
これを書き終わったら、ご飯を食べて、戴いた依頼作業をしよう。

ネットでは、配信で自分の好きな事などを発信しながら、個人でイラストやデザインの依頼を請け負い、依頼がなければイラスト等の勉強をして過ごそう。
現実では、「在宅フリーランスで依頼だけで生計を立てる」という夢の為に、まずはB型作業所で様々な人とコミュニケーションを取る方法を教わりつつ、イラストやデザイン関係の作業もできるような所に見学に行ってみよう。
たまには息抜きに好きなゲームをして夜更かししてもいい。

お金に困ったら…今は扶養の関係で毒親を頼る他ないが、彼らも「ずっと支援はできない」と言っている。
支援できないと言われたら、生活を立て直すまでの間、生活保護などの行政支援を受けて過ごせばいい。

これから私は、何度も失敗を経験するだろう。
何度も挫折を経験するだろう。
周りから嘲笑されたり、お前には無理だと言われる事もあるかもしれない。
でもそれでいい。それが普通の「人生」だと思う。
何度失敗して、挫折して辛い思いをして泣いても構わない。
既に散々「毒親」「機能不全家族」という身近な場所で、何度も泣いて、辛く苦しい経験をしてきた。
それと比べたら、自ら進んだ道で失敗や挫折をしたところで、死ななきゃかすり傷程度にしか思わない。

これが、私がずっと欲していた「本当の自由」だ。
これが、私がずっと待ち望んでいた「私の人生」だ。
いつかこの半生も、親と決別したこの出来事も、酒の席で笑い話にできるようになるまで。
楽しい時は笑って、辛い時は泣いて、自分の意志や感情の思うままに生きよう。
そして、いつか夢を叶えられるように、頑張って生きてこう。

私は、これからは自由に、私の思うままに、私らしい人生を歩いていこうと思います。
また辛い事があったらnoteを書くかもしれません。
でもそれは、きっと自分で選んだ道で悩んだ時だと思います。

毒親や機能不全家族との関係に関しては、この投稿をもって、終わりにしようと思います。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。