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障害者理解と共生社会を求める「優しい」いじめっ子の話

「裏切り者」

私は長い間、その言葉が本当に嫌いでした。

耳にしただけでドキッとしてしまうほど、私にとってはトラウマのような言葉だったのです。

なぜか。

それは小学4年生の時、クラスのほとんどの女子から集団で、
「裏切り者○○!!」と、実名入りで大声で罵られながら、小学校の広い校庭を駆け回られたことがあるからです。

いじめっ子は「差別や偏見のない優しい子」

校庭にいたたくさんの生徒が、その集団と私を見ていました。
まさに「公開処刑」といった様相でしょうか。
彼女たちは、私がどんなに最低な人間で、クラスのみんなから嫌われていて、こうしてみんなから蔑まれ、いじめられている惨めな人間なのだと、学校中にアピールしたいようでした。

この話、実は以前ツイートした、この件です。
https://twitter.com/ariorihaberi_im/status/1370399808872050692?s=20
https://twitter.com/ariorihaberi_im/status/1370401753523384322?s=20

校庭で醜い笑顔を浮かべながら、私を「裏切り者」と罵った、先頭に立つリーダーの彼女のお兄さんには、知的障害がありました。

彼女のお兄さんは特別支援学校に通っていましたが、家が近所だったので同じ子供会に属しており、私はお兄さんのことも知っていました。

私だけでなく、彼女のお兄さんに知的障害があるということは、おそらく学年のほとんどの子どもが知っていました。

それは、彼女が別にお兄さんのことを隠してはいなかったからです。
むしろ、作業所などの障害者施設に授業の一貫で行くときなど、彼女の「障害者理解のある人格者ぶり」は顕著でした。

積極的に障害のある人に関わり、「なんて差別や偏見のない優しい子なんだろう」と、周りの大人は目を細めていたことでしょう。

ただ、私はいつも、彼女のことを氷点下以下の冷めた目で見ていました。

勝手な思い込みでクラスメートを差別し、大胆なパフォーマンスと地道な噂話で学校中から偏見の目を向けられるように仕向けようとし、卑劣ないじめで昨日まで友達だった子を簡単にいじめの標的としてあざ笑う。

そんな彼女が、わかりやすい「社会的弱者」である障害がある人に対してこれ見よがしに親切にするのは、本当に、吐き気がするほど気持ち悪かったのです。

きっかけは突然に

私が彼女のいじめの標的になったのは、とてもシンプルでわかりやすいできごとがきっかけでした。

ある日の休み時間、席順で決められた班ごとで遊ぶ「班遊び」という時間だった日のことです。
私の班では、鬼ごっこのような遊びをしていました。

でも、鬼になった男の子が誰も捕まえることができず、逃げている方がだんだん暇になっていきました。
そこで私は、「じゃあここらで鬼を変わってあげようかな」と思い、その男の子に近づいて手を伸ばし、「触っていいよ(触ると鬼が代わる)」と言いました。

なんと、それがいじめの引き金になったのです。

鬼だった男の子は、彼女がひそかに思いを寄せていた男の子でした。

近くでその様子を見ていた彼女はその日の放課後、仲間と一緒に私を取り囲み、

「あの子に色目使ったでしょ…私、すごくショックだったんだから」
と私を責めました。

これが、彼女が私のことを「裏切り者」と罵るようになった根拠です。

おそらく話を都合よく脚色し、私の悪評を広めていったのでしょう。
力の強い女子も味方に取り込み、あっという間に私はクラスのほとんどの女子から無視されるようになりました。

たぶん、けっこうキツイいじめだったと思います。
いじめは数か月間続きました。

でも結論から言って、私は彼女に「面と向かって頭を下げて謝罪させる」という幕引きにもっていくことができました。

これは、たぶん私が当時から割と図太くゴリラメンタルな子どもだったからだと思います。

私は、彼女のために自分が学校を休むのなんて嫌だったし、自分の成績や評価だけ落とされるのも許せませんでした。

だから、いじめが始まってすぐに、親にも、担任の先生にも、正直に「いじめられている」と洗いざらい話しました。
何度もしつこく話しました。
めちゃくちゃ大人の力を借りたのです。

ある日の昼休み、彼女は私に、「アマミちゃん、いじめてごめんなさい」と頭を下げました。

いじめはそれで解決しましたが、私は20年以上経った今も、彼女のことが嫌いです。

いじめってそういうものだと思いますが、いじめた側は終わったと思っても、いじめられた側は、一生許せないものだと思うのです。

だから私はその後も、彼女がどんなふるまいをしようと、「あんな理不尽な理由で人を残酷にいじめておいて、何言ってんだ」としか思えなかったのです。

彼女がどんな道徳的なふるまいをしても、偽善にしか思えませんでした。
冒頭に書いたような、障害者に対して理解ある風を装っていても、「大人へのアピールか」としか思えませんでした。

だって、彼女は私へのいじめの一部始終で、自分より弱そうな存在には残酷だけど、「大人からの評価」「先生からのお叱り」にはとても従順な人間だということがわかっていたから。

そして私はそんな彼女が、本当に気持ち悪かったのです。

彼女が障害のあるお兄さんのことを憂いを帯びた目で語るたびに、私のそのお兄さんへの印象はどんどん悪くなっていきました。

彼女が障害者施設で活躍するたびに、私は彼女のように、積極的に関わる気が失せていきました。

だって、

「障害がある人には優しくするのに、昨日まで一緒に遊んでた友達のことは全力でいじめ抜くんか?」

って思ったから。

幼少期の私の「障害者」へのイメージは、彼女がどんどん悪くさせていったといっても過言ではありません。

「なんでそうなる?」

と思う方もいるかもしれませんが、往々にして子どもとはそういうものだと思うのです。

漠然と「障害者理解」「共生社会」などと教えられても、自分の身の周りの世界で実害を加えてくる子がそういう思想を掲げているなら、もう一気に嫌悪感まっしぐらです。

子どもと言えど、社会的な「善」や「悪」はわかるので、もちろんわかりやすく差別的なことをしたり、障害がある人に偏見のある態度をしたりはしません。
別に「普通」にしているだけです。

それでも、子どもといえど、心の中に芽生えるそういった正直な気持ちは、変えようがないのではないでしょうか。

障害児の親になって思うこと

私は今、自分が障害児の親になって、思うのです。

ただ、子どもたちを障害がある人と触れ合わせたり、障害児と同じ生活圏に暮らさせたとしても、それで勝手に障害者理解が深まったり、共生社会に向けて良い方向に進むとは限らないと。

子どもには子どもなりの人間関係があり、社会がある。

自分の最も身近にいる友達や、大人たちといった、自分とリアルに接する人間たちの姿が、価値観に影響していきます。

自分にとって「嫌だなぁ」と思う人間の思想なら、全部否定的に捉えられてしまうかもしれない。
逆に、自分にとって「好きだなぁ」と思う人間の思想なら、まるっと素直に共感するかもしれない。

そして、私の息子が生きていく社会を作っていくのは、今の子どもたちです。

だからこそ、私は、障害児である息子が社会で受け入れられていくためには、その親である私が、子どもたちにとって好感の持てる人間でなければいけないと思ってしまうのです。

そして、障害のある兄を持つことになった娘も、そうであってほしいと思います。

少なくとも、私をいじめた彼女のような「きょうだい児」には、絶対になってほしくない。

そもそもどんな立場の子どもであろうと、いじめなんて絶対にいけないことです。

でも娘には特に、そういうことをすると、「こんな目」を向けられるようになるよと、伝えたいと思っています。

後日談

その後の話ですが、私はそのいじめの一件で、心底、彼女をはじめとする、いじめに関わった子たちと今後も一緒の世界で過ごすのが嫌になりました。

だから中学受験をしたのです。

理由はそれだけではありませんが、小5から進学塾に通い、たぶんそこからの2年間が、人生で一番勉強しました。
小学6年生の時、私の成績表は、体育以外の全ての教科の全ての項目が、最高評価でした。

残念ながら、それが私の人生で一番成績が良かった時なので、最終学歴はそれほどよくはありませんが、国立大学附属の中学校に行ったのです。

私は中学で、今も続く大切な友達がたくさんでき、充実した毎日を過ごしました。

対して彼女は、地元の公立中学に行きました。

後に聞いたことですが、彼女は中学に入学して少しすると壮絶ないじめにあい、登校拒否になってしまったそうです。

私はあまり詳しくは知りませんが、地元の中学に行った友人が口をそろえて言う彼女のイメージは、

「いじめられて保健室登校してた子」。


人生とは、数奇なものですね。

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