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三十路女と5歳のガールズトークとしゃべれない息子の話

ある日の幼稚園の帰り道、息子と一緒に歩いていると、息子のクラスの女の子2人が前を歩いていました。


息子は割と歩くのが早いので、ほどなくして追いつきました。
女の子は息子が近づいてきたのを見ると、「あー!ムスコちゃん!」と言って、ニコニコ迎え入れてくれました。
1人は、いつも息子と仲良くしてくれる女の子です。
女の子2人は息子を囲み、3人+私で歩くような形になりました。


小さくても男


息子は、一言もしゃべれません。
もう今更ですが、息子は知的障害と自閉症で、発語は0です。


息子はうつむいていましたが、女の子が息子の手をぎゅっとにぎり、にっこり笑って話しかけると、にやにやしているのを私は見ました。


そうなのです、息子はいつもこう。
この子にぎゅっと手をにぎられたり、顔を近づけられたり触られたり、話しかけられたり近づかれたりすると、ひそかににやにやしています。
一見うつむいて何もしゃべらないので、はたから見たらめちゃくちゃ失礼。
怒ってるの?機嫌悪いの?って思いますよね。
でも息子はいつも、にやにやしているのです。


私は息子の代弁者として、誤解のないように言いました。
「ムスコちゃん、にやにやしてるよ」
誤解されやすい息子のために、何度も何度も言いました。
「にやにやしてる、にやにやしてる」
女の子も女の子のお母さんも、息子の顔を覗き込んでは、にやにやしている息子を見て笑いました。
とんでもなく不器用で、めちゃくちゃわかりづらいけど、こんなにちっさい子供で、しかも障害があっても、男は男なんですね。

話せる子供との関わり方がわからない

息子はただにやにやしているだけですが、そんな息子の上で会話は続きます。
女の子のママたちは先を歩いていて、私と息子、女の子2人でなんやかんや話していました。

そこで私はふと気づいたのです。
にやにやしている息子をいじっておきながら、実は私も今この場で、すごく緊張していることに。


私は、子供とこんなに長い時間話したことが、ほとんど無いのです。
だって私の子供は2人とも、まともな会話ができないですし。
家ではいつも私は独り言ですし。
もっと言えば私は子供のころから親戚筋の中でも圧倒的に「小さい子」で、自分より小さいのは2歳年下の弟だけでしたし。
もともと子供が苦手で、子供と関わるような仕事にもつきませんでしたし。


幼稚園の送迎の時なども、ほぼママたちとしか話しませんでした。
子供が来る前まではママたちと話に花を咲かせるけど、子供がきたらもう切り上げます。
というより、療育のママたちってそういう感じが普通じゃないですか。
子供がいない時にしか会えない、話せない、療育のお迎えの隙間時間にわいわい話すけど、子供がやってきたらもうそっちから目が離せないから、「バイバイ」も言えずにお互いバタバタと退散。


そういうわけで、私の頭の中には「子供と会話する」という概念がなくて、突然「話せる子供」2人に対して大人は自分だけ、という状況に、めちゃくちゃ緊張してしまったのでした。

三十路女、5歳のガールズトークに入れてもらう

「どうしようかな・・・」と内心思いつつ、息子の代弁者は私なのだから、と30オーバーの歳をとりすぎた女の子も、5歳の女の子の会話に入れてもらいました。


でもそんな心配をよそに、女の子たちは口々に私に話しかけてくれました。
今人気の鬼滅の刃の話、あんなキャラクターが好きで、これはそのキャラクターのキーホルダーだ、とか、兄弟の話、好きな色の話など、尽きることなく、次から次へと女の子たちが話題を提供してくれました。
私は、「へぇー、そうなんだー」と、本当に言葉の通り、「へぇー、5歳児ってこういうことが好きで、こういうことして過ごしてるんだなー」なんて思いながら興味津々で聞いていました。


5歳の子を育てている親御さんだったらあたりまえすぎて新鮮味も何も無い話かもしれませんが、私からすると、それらの話はとても驚きに満ちていました。
何より、子供が!自分で!自分のことを話している!すごい!!という衝撃。
そんな中、話題は息子の事になりました。

おとなになってもしゃべれない

1人の女の子、息子と親しく、いつも色々と気にかけてくれる女の子が息子に話しかけました。
「ムスコちゃんは、何色が好き?」
「・・・・・。」
当然ですが、息子は何も応えません。
私も言われてみれば、息子の好きな色がわからなかったので、「な・・・にかな・・・?」と答えながら、色々と考えを巡らせていました。


でも考えたって、この世で誰一人として、この質問の答えがわかる人はいないのです。
だって息子は生まれてから一度も誰に対しても、「自分の好きな色」について話したことがないんですから。


思いあたる色もヒントも何もないので答えられずにいると、女の子は言いました。「ムスコちゃん・・・しゃべれないもんね」
地面を見ながら抑えたトーンで言うその様子がなんだかすごくさみしそうで、私は余計に言葉に詰まってしまいました。


すると、女の子は続けて静かに言いました。
「おとなになっても・・・しゃべれないかもしれないね」


大人になっても、しゃべれないかもしれない。
それは紛れもない事実でした。
息子のDQ(発達指数)を考えれば、重度知的障害。
大人になっても、一生をかけても、一言も言葉を話さない可能性だって十分あるのです。
いや、今私は、自分を守ってこのように書きました。
一般的に見れば、むしろそういう可能性の方が高いくらいかもしれないのです。
女の子が言った一言は、私がうっすらわかりつつも、ずっと正面から受け止められずにいた言葉でした。


正直、その時の私がショックを受けなかったと言えば嘘になります。
でも私は、「そうだね・・・そうかもしれないけどね・・・」のようなことをあやふやに答えながら、別のことを考えていました。

思ったよりよっぽど色々わかっていた5歳児

彼女は、私が思っていたよりよっぽど深く、正確に、息子のことをわかっていました。
ムスコちゃんはなんか自分とは違う、という所から始まって、なぜか一言もしゃべらないということを受け止め、それでも一緒に時を過ごすうちに、ムスコちゃんは大人になってもずっとしゃべらない、そういうものなのかもしれないと、彼女なりに納得したのでしょうか。


以前、息子と同じように一言も発語が無い子を育てているママ友から、「同じ年のお友達に『○○くんはなんでしゃべらないの?病院とかいったほうがいいんじゃない?』って言われたんだよね・・・」という話を聞いたことがありました。
その時私は、「え!5歳児そんなこと言うの?それはちょっとキツい一言だな・・・」と思いました。


でも今回の彼女の一言は、そのもう一段階先にいったような、新たな次元の発想だなと思ったのです。
もう現段階で病院に行ってどうこうとかじゃなくて、ムスコちゃんはそういう人なのだと。


そんな事を考えていると、分かれ道にさしかかり、私と息子は女の子たちとバイバイしました。
長い帰り道、そして帰ってからも、私は彼女の一言が忘れられず、そのことについて色々と考えてしまいました。
もしかしたらお母さんが色々と教えてくれていたのかもしれないし、息子のことだけでなく、彼女の毎日で出会う出来事の中で、何か気づきにつながることが他にもあったのかもしれない。
でも、いずれにしても、5歳児って、私が思っていたよりよっぽど大人で、色々わかっているんだなぁと思ったのでした。


ちなみに、私は彼女の言葉を不快に思っているとか、嫌なこと言うなと非難したいわけではありません。
この気持ちがうまく伝わるかわからないのですが、彼女との会話は私にとっても大きな「気づき」だったのです。


私は良くも悪くも、自分の子にしか注目していないところがありました。
でもそれはたぶん、息子のことを「障害児」としてしか見ない人がいるように、私も周りの子たちのことを、「健常児」としてひとくくりにしてしか見ていなかったからなのかもしれません。
またこういう機会があるかわからないけれど、今後は息子のお友達の事も、もっと色々知っていけたらいいなと思います。

※この記事には別視点の話があります。

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