人生に残された時間と睡眠薬で眠る親友の話
みなさんは死を意識したこと、ありますか?
私はあります。
生活が一変した「あの日」
私は以前、交通事故にあいました。
家族で近所の道を歩いていたら、突然飲酒運転の車にはねられたのです。
当時、今よりもっと幼かった息子は、目の前で母親が車にはねられ、夜の道路に横たわる一部始終を目撃しました。
そして、息子が少し前まで乗っていたベビーカーは、彼の目の前で宙を舞い、遠くへ飛ばされていったのです。
私は大けがを負いましたが、幸い命に別条はありませんでした。
息子は心に大きな傷跡を残しましたが、物理的な怪我はありませんでした。
事故の直後、救急車に乗せられるとき、私は自分の手がものすごく震えていたのを覚えています。
ほんのすれすれで助かった命。
もし何かが少しでも違っていたら、全ての位置関係が少しずつずれていたら、私も息子も運命が変わっていたかもしれない。
その莫大な恐怖が、夜の闇をたずさえながら、私の全身を包んでいきました。
命って、こんなにすれすれの所をかいくぐって存在しているものなんだ‥‥‥。
私の意識の中に、この考えが色濃く定着したのはそれからです。
けがの回復と満たされない思い
私のけがは、数か月の療養を経て、元通りの生活ができるまでに回復しました。
最初は車いすを使って移動していましたが、リハビリのかいもあって、息子をだっこすることも問題なくできるようになりました。
ただ、日々を忙しく過ごしながらも、私の心はどこかずっと満たされずにいたのです。
それは、「私の人生、これでいいのかな」という問いの答えがみつからなかったからです。
いつどの瞬間に、何がおこるかわからないこの人生、明日が必ず普通にあるなんて、誰が断言できるでしょうか。
思えば私はその頃から、常にベッドの端っこのギリギリの所に寝ているような、1歩足を踏み外したら奈落の底に転落する崖っぷちに立っているような、そんなギリギリのヒリヒリする感覚を持ったまま生き続けている気がします。
このまま子どものため、家族のために自分を捧げ、ただ「〇〇のお母さん」「〇〇の奥さん」でしかない自分で人生を終えるのか?
私には、私自身がやりたいことがあったんじゃないのか?
そのモヤモヤした自問自答に終止符を打つべく、私の背中を押してくれた人がいました。
それは、中学時代からの親友です。
母ではない「私」の夢を実現する
彼女は、私とは違う理由で、「明日が普通にあるとは限らない」を実感する経験をしていました。
首に腫瘍が見つかり、大きな手術をしたのです。
幸い、彼女の手術は大成功、今は元通りの生活で、元気に子どもと暮らしています。
でも、そんな彼女は入院中に、ある決断をしたのです。
それは、「自分の夢を実現すること」でした。
入院中に自分が情熱を注げる夢をみつけた彼女は、キラキラした顔で私に夢を語ってくれました。
彼女はすばらしい行動力で、そこからどんどん夢をかなえる努力をしていきました。
でも、彼女も1人の小さな子どもを育てる母親です。
日中なかなか自分の時間がとれず、夜しか時間がありません。
「限られた夜の時間にやりたいことが多すぎて、目が冴えて眠れなくなってしまう。だから睡眠薬を飲んで寝ている」
と言っていました。
私はそんな彼女の姿を見て、「自分にも何か夢があったのではないか」と気がつくことができました。
文章を書くことと私
私は昔から、文章を書くことが好きでした。
まだ結婚する前、会社員をしていた時は、通勤電車の中で毎日、その日の心境をつづったハガキを書いていました。
そして会社の最寄り駅についたら、そのハガキをいつものポストに投函して実家の両親に送る、というのが日課でした。
転勤し、たまたま実家から職場に通勤するようになってからは、仕事終わりに車の中で、その日にあったできごとや感情を日記に書き綴るのが日課でした。
結婚して息子が生まれてからは、かわいいわが子の成長をどこかに残したいと、当時流行っていた絵日記ブログを始めました。
でも、息子が成長するにつれ、普通の子と明らかな発達の差が出てきてしまい、私は何をブログに書いたらいいのかわからなくなっていきました。
本来ただの育児日記だったはずが、あまりに普通の成長過程とずれていて、読み手に「あれ?」と思われるのがこわくなってきたのです。
その後、息子に障害があることがわかりました。
すると今度は私は、息子の障害を乗り越えようと奮闘する母親の、ドロドロの感情を惜しみなくさらけだすブログを始めました。
でもそれも、事故や、その後の娘の出産などを経て、どうにも時間が確保できなくなってフェードアウトしていきました。
話が戻りますが、私はいつも、自分の気持ちが器からあふれるほどに湧き上がった時、それを文字にすることで乗り越えてきました。
私は、口から出た言葉で何かを伝えようとしても、言いたいことの半分も出てきません。
でも私が書く文字は口以上に雄弁に、つらつらつらつら、しつこいほどにあふれる思いを語り出すのです。
私はこれを、なにか仕事にできないかと考えました。
とはいえ当時の私は、文字を書く仕事といっても何があるのかわかりません。
でも「ライター」や「コピーライター」という言葉は聞いたことがあると思っていました。
そういう仕事にはどうやったら就けるのかわからないけれど、もし今からでもできるのならば、それが私の夢である、私の叶えるべき夢であると確信したのです。
全てのはじまり
私は親友に触発され、深夜、寝る前の布団の中で、とりあえずスマホで「コピーライターになるには」と検索し、ある先生にたどりつきました。
思えばそれが全てのはじまりです。
去年の秋の終わり頃のことです。
そこから、夫に子どもをみてもらうように頼み込んで、その先生の開催する講座に何回か足を運びました。
今は通信で教えを仰いでいます。
その方は、私をこの道に導いてくれた、尊敬する師匠です。
おかげで、私はまだまだ駆け出しですが、なんとかライターとしての自分のスタートをきることができました。
もっともっと腕を磨いて、たくさんの人に思いを伝えたい、だから今も私は、書き続けます。
そして、私の親友が私の背中を押してくれたように、私もいつか、夢を追う誰かの背中を押したい。
そんな初心を忘れずに、母としてだけではない、自分の人生を歩んでいきたいと思います。
だって、私たちの人生に残された時間は、実は思っていたよりずっと短いのかもしれないのだから。
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