全力で拒否した卒園証書と息子が初めて感じた「お別れ」の話

先日、息子が幼稚園を卒園しました。

結論から言って、自閉症と知的障害がある息子は、卒園式でパニックを起こし、荒れました。

入場と退場はちゃんとできたものの、しんみりした場面でケタケタ笑い出し、控えめな奇声をあげ、一時、隊列に並ぶのを嫌がって進行を遅らせたりもしましたし、卒園証書授与の際は歩きませんでした。

でも私は、卒園式の最後、感動で号泣し、本当に満足した嬉しさいっぱいの幸せな気持ちで幼稚園を後にしたのです。

「え?」と思った人もいるかもしれません。
おめでたすぎる親でしょう。
それでも息子の卒園式は、私にとってかけがえのない思い出となったのです。

今回は、そのお話をしようと思います。

これが最後の登園、卒園式に臨む息子と私

2月の中旬くらいから、私は息子の幼稚園の卒園が近づくのが嫌で嫌でしかたがありませんでした。あらゆる幼稚園から拒否された息子を受け入れてくれた息子の幼稚園、加配の先生がついて、先生たちも子どもたちも他の保護者の方たちもあたたかすぎて、冬の朝のフカフカのおふとんのように居心地が良かったからです。

でも、終わりは必ず来るものです。
息子の幼稚園生活にも終わりが来ました。

卒園式の朝、私はいつもより1時間以上早く起き、万全の態勢で家を出ました。
可愛い園服を着た息子と歩くことが最後になると噛み締めながら、話せない息子に「幼稚園楽しかったね、今日で最後なんだよ」などと話しかけながら、幼稚園までの道を歩きました。

幼稚園に着いた息子はいつも通りでした。
加配の先生に息子を預け、私は1人会場へ。

そして卒園式が始まりました。
卒園児たちが入場してきて、息子も加配の先生に手を引かれながら、一緒に大人しく歩いてきました。


あまりにロックな卒園証書授与


いつものホールだけど、ちょっとだけ厳粛な雰囲気の卒園式。
息子は一番端の席に座り、遠目ではおとなしくしているようでした。
しかし、卒園証書授与の時に異変は起こります。

卒園児たちが1人1人、園長先生の前に行って卒園証書をもらい、真ん中の通路を歩いて注目を浴びながら自分の母親のところまで歩き、証書を手渡します。

他の園児たちが滞りなく立派な姿を見せ、証書を受取っていく中、息子の番が来ました。

自分が呼ばれる少し前から準備して立っていた息子ですが、いざ自分の番が来ると、歩くのを拒否しだしました。
一応書いておきますが、息子は知的障害はありますが、普段から30分も1時間も問題なく歩ける子です。

息子は園長先生の前まで先生に支えられながら行くと、まず台の上のアレンジフラワーをつかみました。
素早く静止し、大惨事を防いでくれた先生のナイスアシスト。
しかし息子は二人の先生に両側から支えられ、まるで囚われの宇宙人のような形で卒園証書授与「させられ」て通路を移動し、一歩も自分の足で歩こうとせず私の前まで来て、私は半分先生から卒園証書を手渡されました。

卒園証書授与を拒否。
その表情はあまりに反抗的で、盗んだバイクで走りだす的なあまりに破天荒でロックな息子の姿でした。


メンタル強すぎだろ…笑い出し叫びだし式を拒否りだす息子


息子以外は立派に全員証書を受け取り、卒園証書授与は終わりました。

続く保護者代表の方の涙ながらのしんみりした挨拶。
会場内は感動に包まれます。

しかしその静寂の中に響く、謎のケタケタという笑い声。
息子です。

手始めに卒園証書授与を拒否した息子ですが、今度は「絶対に笑ってはいけない」であろうシーンでなぜか笑い出し、その後も進行を妨げるほどではないが明らかに違和感が残る謎の奇声が、時折会場内に響きました。

そして卒園児達からの言葉と歌の発表。
息子はまた行動を起こしました。

みんなが正面に隊列を作って並ぶとき、息子は一人だけ並ぶのを拒否してグズりだしました。
「絶対並ばないマン」になっていたので、またしても先生達が出動。
なんとか息子を抱えて所定の位置に連れて行ってくれました。


こんな時親はどうしたら…「正解」の対応がわからず戸惑う私


卒園児たちからの言葉と歌の発表は、保護者たちの感動の涙でつつまれる、本当に素晴らしいものでした。
息子は最初こそ進行を止め、みんなを待たせて迷惑をかけましたが、出し物の間は静かに声を出さず立っていられました。

図々しいかもしれませんが、私も息子のお友達の卒園児たちの言葉や歌を聴きながら、自分の子は何も言っていないけれど、なんだか息子からも言われているような気がして、園生活を振り返って感動で泣いてしまいました。

ただ頭の中には冷静な自分もいました。

こんなに1人、式にそぐわない行動を取って場を乱しておきながら、一緒に感動に浸っているのは図々しいのではないか。
そもそも息子はいつまた突飛な行動に出るかわからないのだから、一瞬も気を抜くべきではないかもしれない。
本当はカメラやビデオを回したいけれど、その瞬間に息子が謎行動に出たりしたら、「お前何撮ってんだ」と呆れられそうでバツが悪い。

こんな時、問題行動を起こす障害児の親は「一刻も早く会場を出たい」と下を向いて肩身の狭い思いをするのが普通なのかもしれませんが、正直私の中では、「息子がみんなと違う行動をとる」というのは日常茶飯事。

障害児育児6年のキャリアで、今更それで肩身が狭くなるようなこともないという鋼メンタルになっていました。

ただし、他の人に迷惑をかけるとなると別問題。
大事な式を息子がぶっ壊すのではないか、 既にここまでの行動で不快な思いをしている方がいるのではないか、そうなるとあまり堂々としているのも良くないのではないか、など、自分の「正解」の対応がわからず悶々としていたりもしました。

その後、たくさんの拍手に包まれながら、息子も退場の時はちゃんと先生と手をつないで歩き、なんとか卒園式が終わりました。


感動に包まれた園長先生の言葉


そんな私が救われたのは、園長先生の言葉でした。
卒園児たちが退場した後、園長先生がおっしゃったのです。

「さっき、発表の前にムスコくんがちょっと癇癪を起こしちゃった時、大丈夫かな…と思って周りを見たんです。
そうしたら卒園児のみんな、誰一人嫌そうにしたりもせず、じっと待っていたんです。
今の世の中はすごく冷たいです。
早くしろよ、と冷たい目を向けてくる人がいっぱいいます。
でも小さい時にこういう経験をしたこの子達は、将来大きくなっても、絶対にそういうことをしないと思います。
冷たい目を向けたりしないと思います。
ムスコくんは、一緒に生活していく中で、こういう事を皆に教えてくれたんだと思います。」

細かい言い回しなどは微妙に違っていると思いますが、このようなお話をしてくれたのです。

私、号泣。

そして周りを見ると、なんと、他の保護者の方たちも、ハンカチを目元に充てて泣いている方がちらほら見えました。
泣きはらした笑顔でこちらを見てくれた方もいました。

先ほどの私のモヤモヤは、園長先生の言葉、 そしてそれを受けた保護者の方達の反応でスッと救われました。

よかった‥‥‥。
私たち、ここに居ていいんだ。
と言うか、ここに居られてよかった。
この幼稚園の一員で居られてよかったと、心底思いました。


号泣し、誰よりも卒園を嫌がり続けた息子


卒園式が終わり、息子の所に行くと、息子は加配の先生に抱きついて大号泣していました。

涙で顔のマスクもグチョグチョになり、もうどうにもならない状態に泣き崩れていたのです。
すると、加配の先生がそこで、泣きながら言いました。

「ムスコくん、練習でもいつも、卒園の、お別れの歌の時になると機嫌が悪くなってたんです。
きっと、そういう雰囲気を感じ取っていたんだと思います。
ちゃんとわかってるんだと思います。」

私もそう思いました。
息子は、おそらくここにいる誰よりも卒園を寂しく思い、悲しんでいるのではないかと。
もう幼稚園に行けないことを感じ取って、悲しくて悲しくてどうしようもなくなって、でもその気持ちの吐き出し方もわからなくて、パニックになっているんだなと思いました。

息子の号泣の意味がそこにあるとわかると、私もその場で涙が止まらなくなり、親子でわんわん泣きました。


「別れ」を理解できるようになった息子の成長


その後、在園児が作ってくれた花道を、なんとか抱っこからおりて自分の足で歩いた息子。

思えば、卒園証書授与の時の歩かなかったのは、
「卒園したくない!これ受け取っちゃったらおしまいだ」
という彼の強い意思の表れだったのかもしれません。

言葉と歌の隊列になる前にグズりだしたのは、いつも嫌だった「お別れの歌」をやると思ったからでしょう。

最後の大号泣は、彼の激しい悲しみ。

全部全部、息子が卒園式の意味を理解し、わかっていたからからこそ起きたのだと思うと、私は胸がいっぱいになりました。

そして、それだけ大きく感情が揺れ動くされる程、幼稚園が楽しくて大好きで仕方がなかったのだと思ったら、それだけのことが理解できるようになり、それだけ大好きな幼稚園に出会えたこと、幸せな幼稚園生活を送れたということが、私もとても嬉しくなりました。

息子はこれまで何回か引越しを経験したことがあり、毎日のように通っていた場所を離れるという経験は初めてではありません。

でもそのどの別れの時も、私の方は悲しいのに息子はケロっとしていて、「お別れ」の意味を理解できていないように思いました。
そしてそのまま次の生活に移るので、しばらく経ってから時間差で不安定になることもありました。
私は息子のそんな所が、とても虚しく残念でもあったのです。

でも今回は、ちゃんと「お別れ」を悲しんでいる。
それは、知的障害があってものごとの理解が難しい息子の、かけがえのない成長の一歩でした。


式の後、意外にも園庭で「卒園式後」を堪能できた息子


卒園式の後、どの幼稚園や学校でもそうだと思いますが、卒園児、卒業生と保護者達が名残惜しげに園庭や校庭に残って、写真を撮ったり別れを惜しんだりこれまでの生活を振り返って話を咲かせたりしますよね。

私はそういうの、たぶん無理だろうなと思っていたんです。
だって息子はいつも、待たされるのが大嫌いだから。

息子は「今何する時間なのかわからない」という曖昧な時間が大嫌いで、幼稚園が終わったら家に帰るもの、というルーティーンを壊すようなことは徹底的に怒って拒否してきたのです。

だからいつも立ち話をするのもままならず、ささーっと帰るのが常だったので、最後の日もそうなんだろうと半分諦め、でも仲良くしてくれたお友達や先生と写真を撮れたらいいな…難しいかな…と、実は私は年中さんの頃から考えていたのでした(早)。

でも最後の最後に思い出に泥を塗りたくもないと思い、息子が怒ったら潔く帰るつもりでいました。

ところが、嬉しい誤算が起きました。

息子、意外にもおとなしく、「卒園式後の園庭」に残っていたのです。

もちろん突っ立っているだけで、自分から誰かの所に寄って行ったりなどはしませんが、彼が一番大嫌いな「何する時間なのかわからない」時間を自ら受け入れていることに驚きました。

だから私は、念願だった、息子と仲良くしてくれたお友達と写真を撮ったり、並んで担任の先生と親子で写真を撮ったり、加配の先生とも親子で写真を撮ったり、同じ障害がある子を通わせた戦友とも言えるママと「卒園式」の看板の前で写真を撮ったり、お世話になった先生や園長先生にお礼を言いに行ったり、ということを、後悔なくやりきることができたのです。

さすがに息子の我慢にも限界があるので、お友達も2人としか撮れませんでしたし、ちゃんと前を向いて撮れたわけでもありません。
息子の機嫌が崩れる前に早めに退散しました。

それでも、私は息子に大きなご褒美タイムをもらった気分でした。
本当によかった、大満足で園を後にすることができました。


後日談:練習の時の息子はどうだったのか?

 
後日、用があって担任の先生に電話をしました。
その時、私はどうしても聞いてみたかったことを聞いてみました。

卒園式の卒園証書授与の時の息子のことです。
親バカかもしれませんが、正直私は、本来息子はこういうことはできる、ちゃんと自分で歩いて行けると思っていたので、正直あそこまでできないとは思わなくて驚いてもいたのです。
これまで、曾祖母のお葬式でもきちんと歩いてお焼香をあげていたので‥‥‥。

だから、練習ではどうだったのかということを聞いてみたかったのです。
もし、練習でもあんな感じだったのなら、私は親として息子を買いかぶりしすぎていたのだと、反省しなくてはいけないと思ったからです。

すると先生は言いました。
「練習ではムスコくん、ちゃんとできてたんです!
先生と離れてもちゃんと一人で歩いて行けていました!」

よかった‥‥‥息子は卒園式の練習では、問題なく完璧にこなせていたらしいと知れて、私は心底安心しました。

私が、自分が勝手に息子はできると思っていたことは、親として買いかぶり過ぎていたのではないかとも思ったということを話すと、先生は力強く、
「そんなことないです!ムスコくんはできます!ちゃんとできる子です!」
と言い切ってくれました。

思えば卒園式が近づいても、卒園式の息子について、先生たちから何か困りごとを相談されたことはなかったのです。
そして私も、息子の卒園式について、正直そこまで不安視していなかった所がありました。
それはおそらく、 息子の普段の生活が、幼稚園でも家でもとても落ち着いていたからともいえます。「この子はきっと問題なくできる」みんなにそう思って頂けるくらい、練習ではちゃんとできていたのだと思うと、そこにもまた息子の成長を感じることができました。


やはり、最後の締めくくりの式で息子のちゃんとした姿を見たかったという思いはありますが、先生から聞いた練習の話で、もう十分だと思えました。


ありがとう幼稚園!私の一番の不安が払拭された最高の卒園式


長くなりましたが、冒頭で書いた、パニックで大変だったはずの卒園式でも、私にとっては最高に嬉しくて幸せな卒園式だったというのはこういうことです。

私が最も気にしていた、「息子が別れを理解できずにいつのまにか幼稚園生活を終えてしまうのではないか」という不安が払拭されたこと。
私はそれが何よりも嬉しいのです。

その上、息子の成長を様々な角度で確認することもできました。

障害児の親をしていると、世間からの目を気にして、周りと同じようにできない子供の姿に恥ずかしくなったり悲しくなったり惨めな思いになったりすることも多いです。

私だってもちろんそういうことは多々あります。
どんなに鋼メンタルになったと言ったって、所詮私も人間なので、めちゃくちゃへこむことも落ち込むこともいっぱいあります。

それでもこれからも、周りからの評価に左右されず、誰かと比べず、子供の成長をまっすぐ見ていきたいです。

そして大切な一つ一つの節目を、悲しい恥ずかしい嫌な思い出ではなく、嬉しく幸せなかけがえのない思い出として迎えていきたいです。

息子にとってのかけがえのない思い出を、いつも、大事に大事に宝箱にしまっていくような子育てをしていきたいと、思っています。


※その後、並行通園していた療育でも卒園式がありました。 その様子はこちら

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