見出し画像

私とロシア(2)なぜ防衛省ロシア語通訳になったのか?-終戦の日に寄せて-

今回は、私とロシアを結び付けたものの一つ、防衛のお話をする前に、私がなぜ防衛省で働こうと思ったのかについてお話したいと思います。

私はそもそも小さい頃から戦争について興味がありました。

戦争関連のドキュメンタリーや書籍を多く読んだり、祖母や他のお年寄りの戦争体験談を聞くことが好きでした。
中でも中学校3年生の時に訪れた広島で被爆者の方のお話を聞いたときは壮絶でした。その時同時に原爆資料館も足を踏み入れましたが、実際の原爆投下直後の蝋人形がある部屋の光景は衝撃的過ぎて、今も脳裏を離れません。私でさえこうなのだから、被爆した方々のことを考えると一生鮮明に焼き付く記憶となっているのだろうと思いやられました。
この広島での体験や戦争についての考えを書いた私のレポートは、学年を代表して選ばれ、お話を聞かせてくれた被爆者の方に御礼と共に送られました。

画像1

高校生の時に訪れた沖縄でも、ひめゆりの塔やガマに行き、人一倍資料館に入り浸っていました。
糸数アブチラガマに行った際、破傷風患者がいたという一番奥の部屋で懐中電灯を一斉に消した際には、呻き声が聞こえた気がしました。

自分は戦争の時代に生きていたわけではないのですが、なんとなく他人事に思えない節があります。
今、戦争もなく平和に暮らせているのは、戦争中の大きな犠牲の上で成り立っているのだと強く感じて生きてきました。
この戦争のない状態を保っていきたい、その役割を担う場所で働きたいと思うようになりました。

一時期、国連や紛争地域に出向くジャーナリストを志そうと思った時期もありましたが、沖縄の基地問題や領土問題など、自分の国の中でも決してまだ平和と言えない部分も多いことから、まずは自国の問題を何とかしない限り平和は保てないと思い、国内で戦争や平和に携われる仕事を考えました。

また英語を勉強し始めた時から外国について学ぶことが好きで、国と国との関係を考えることにとても面白さを感じていました。
だから戦争にも興味を持ったと言えるかもしれません。
国と国との関係を考える、しかも自国側から…となると頭に浮かんだのは外交官でした。英語もずっと得意だったことからも、漠然と外交官に憧れるようになりました。

そんな時、いつだか確かではないですが、外交官について勉強する中で、杉原千畝の存在を知りました。
杉原千畝は、それこそ第二次世界大戦中の外交官で、ロシア語を話しソ連方面のインテリジェンスとして活躍していた人物です。有名なエピソードとしては、リトアニアのカウナス領事館にいた際、ユダヤ人約6000人に日本通過ビザを発行して命を救った、というものがあります。
杉原千畝について詳しくはこちらと、唐沢寿明主演の映画もあるので是非ご覧ください!
杉原千畝について知るうちに、彼のようにロシア側と真っ向から向き合える、正義感の強い外交官になりたいと思いました。

また私の出身地である長野県は、日本全国の中で満蒙開拓団として満州に送られた人数が一番多い、つまり終戦間際にソ連に侵攻されそのままシベリア抑留された人が多いと後に知り、このことでもロシアと関連があると思いました。
参考:

ではなぜ私は外交官でなく防衛省にしたのか?
(ちなみに外交官は外務省専門職員の人もなることが出来ます。
私がなったのは防衛省専門職員、つまり、防衛省の中での外交官のような身分。)

外務省の場合、英語や他の希望する外国語で受験できるのですが、実際に入省して配属される地域は自分の希望や受験した言語の地域とは限りません。例えば私の知り合いでは、韓国語をずっと勉強していて希望地域は韓国、受験も韓国語で受けたが結局ブルガリアに配属になった人がいます。
私は、自分がもしロシア以外の地域になったとしたら、モチベーションが上がらないだろうと思いました。

一方防衛省の場合は、受験した言語の地域に必ず配属になります。

あとは、生活拠点の問題です。
外務省は最初の1年半は日本、その後配属地域へ5年間は必ず赴任、日本に戻ることもありますが、基本的には外国が生活拠点になります。
防衛省の場合は、日本が拠点で出張ベースで海外へ行くことになります。(留学など例外はありますが)
なので自分の希望する生活スタイルに合わせて選ぶのが良いです。
私の場合は、女性ということもあり拠点はあくまでも日本が良かったのでこの点でも防衛省が良かったです。

また「軍事的な視点」は、政治や経済と並んで外交を考える際に必ず必要だと思います。国同士の中で、一番お金が動く部分だからです。
経済の関係で国同士の関係がこじれることはニュースにも取り上げられるし皆さんも注目していることですが、そこでは意外と裏で軍事のことが関係していることもあります。
外務省にも先輩が多いのでよく話を聞いていましたが、外務省ではどうしても机上の空論になり、結局それぞれの専門の省庁へ問い合わせることになるようです。軍事の専門は防衛省でしか身に付かないと思いました。
実際、自衛隊の人と一緒に仕事をするので話も聞けるし、訓練も身近で見ることができます。

”ミリタリーオタク”とかではないので武器などはあまり詳しくなかったのですが、祖父が戦時中旧陸軍士官学校生だったことから、なんとなくルーツからか興味はありました。

入省してみて、やはり独特の世界でしたが面白かったです。防衛省で日々感じていたことは、「当たり前の日常を支えている人たちがいる」ということ。防衛は生活基盤・国の安全基盤の根幹です。
そこに自分も携われたことは、なかなか得られない経験となりました。

画像2

ちなみに防衛省で英語以外の特殊言語を使って仕事をする人は数えられるほどしかいません。試験も毎年行うわけではありません。
私は新卒で入ったのですが、たまたま私の卒業する年にロシア語の募集があることが分かり、運が良かったです。
試験の倍率も高い(そもそもロシア語を専門的に勉強している大学が限られている上に、ここを受験しようと思う人たちのレベルも高いので競争率が高くなる)ので、勉強はかなりしました。

中でやっていた詳しい仕事内容はここではあまり書けないので、気になる人はぜひご連絡ください。笑

今でも国内や世界の軍事関連のニュースに注目したり、軍事について勉強することもあります。軍事や外交への興味は変わってないので、今は専門ではないにしろ、これからも防衛省時代の経験を活かして分析もしていきたいと思います。

*YouTube ARISA WORLD
*Instagram @_alice_rus
*Twitter @Arinko31n

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?