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就活恐怖症


眠れないから、noteを書きました。

何を書こうかと思ったけど、夜だからちょっと心が動かされるようなものにしようと思います。少し暗いお話ですので、落ち込んでいるときに読むのはお勧めしません。

写真は自分で撮ったものです。昔はよくカメラを持ってお散歩していたので心情と合わせて入れてみました。

見出し画像はアイソメトリックイラストにハマっていて、Illustratorで作ってみました🌼ちょっと意味深な画像にしました……!

人(モドキ)を作ったのは初めてだったので何だかおかしい部分はありますが(笑)でもこれから上手になれるように見出し画像で練習しようかなと思います♩

それでは前置きが長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださると嬉しいです。


大学4年生 初めての挫折


花火大会が当たり前にあったあの頃

私は小学生の頃から不安症で高校生の時にパニック障害を患い、車や電車に乗ることができなくなりました。不便なことはあったけど、それでもいつか治ると信じていたし、治るための努力を諦めていませんでした。

高校も大学も推薦入試で入るようなイージーな人生を歩んできました。推薦で入るということはそれなりの努力はしたのですが、他の人が経験してきた受験をしてこなかったのです。所謂、挫折知らず。

そんな私が人生で初めて挫折を味わったのは、大学4年生の時。教員志望は一般的な就活がないのですが、私はこのときどうしても就活したくなくて、さらに教員にもなりたくなくて、とにかく逃げていました。

周りの人たちが教員採用試験に向けて勉強している中、私は格好だけでもと思い、勉強しているフリをしていました。ずっと先生になるのが夢だったはずなのに、パニック障害のせいで無理と自分の中で決めつけてしまい、前に進めなくなりました。

寧ろ逃げて、逃げて、逃げて。自分のやりたいこともわからなくて、何もしたくなくて就活うつみたいになっていました。

そして卒業1ヶ月前の2月。未だに就職先が決まらず、毎日ハローワークに通って、後輩に紛れて大学の就職相談に参加しました。今までこんな思いしたことなかったし、すごく恥ずかしかったし、でもとにかく就活に対してやる気が起きなかった。

そして逃げるように児童館に就職しました。内定が決まったのは卒業1週間前でした。

喜んだのも束の間、児童館での日々は地獄そのものでした。


新卒1年目 パワハラを受けた1年間


母の誕生日に買った薔薇

大好きな工作ができて、子どもたちと関わることができてとっても楽しくて天職だと思っていました。

しかし現実はそんなに甘くはなかったです。残業代なんて当たり前に出ない、有給は勝手に入れられる、一生懸命やっているのにやる気がないと怒られる、親と同じくらいの歳の上司からいじめられる、その上司にチクられて本部に呼ばれて2時間説教。

今思い出せるのはこれくらいですが、当時はもっと酷かったと思います。毎日泣いてたし、上に反抗しても受け入れてもらえないことが悔しかったです。

子どもたちは可愛くて、仕事内容も大好きなのに、どれだけ頑張っても【頑張っていない】レッテルを貼られて、もう限界でした。

結局、児童館は1年で退職しました。

職場は人間関係が1番大切だと学んだ1年でした。今思い出しても苦しく感じます。もし今職場で悩んでいて、様々な理由で解決できそうにない方は、転職をおすすめします。自分の心が壊れる前に、働けているうちに動いた方がいいと思います。経験者は語る。(?)


割と地獄だったニート生活の始まり


毎年桜を撮るために生きてる

そこから1年ちょっとのニート生活が始まりました。元々実家暮らしで家にいるのが好きだったし、コロナ禍だったからみんなが家にいないといけない環境だったので、自分が無職のことさえ忘れるほどでした。

ここからはこれから無職になる予定の方は、結構参考になるのではないかと思います(!?)

無職になってからすぐに、役所に保険証の手続きと年金の免除手続きをしに行きました。役所ってなんでこんなに陰気臭いのかと思ったのを覚えています。1人で行ける精神状態ではなかったので母についてきてもらいました。

また、人生2度目のハローワーク通いがスタートしました。コロナのおかげでセミナーみたいなのも中止になったし、失業保険の支給期間が伸びたのでめちゃめちゃラッキーでした。

無職なのに月に2回の精神科通いもスタートしました。お金がなくなるやないかい。

無職で困ること第1位は健康保険と年金です。

今まで会社が勝手に払ってくれてたものを自分で払わなければいけないので払い忘れる可能性もあるし、現金払いだから現金を引き出しに行かないといけないので面倒。あと普通に高い!無職にはキツイ!!!少ない貯金から毎月払っていました。

ニート生活の支えになったのはニンテンドースイッチ。あつまれどうぶつの森を1日中プレイしていました。あつ森は本当に現実を忘れさせてくれました。1日中離島ガチャしてたのが懐かしい。




ニートのときは様々なことにチャレンジしました。

  1. Webライター→あまりお仕事がなく挫折

  2. 医療事務の勉強→やる気をなくして挫折

  3. 中国語の勉強→「やってる意味ある?」と言われ挫折

こう考えると笑うしかないくらい挫折ばかり(笑)こうして小さな挫折を繰り返すことで自己肯定感を下げていきました。


ニート6ヶ月目 だんだん肩身が狭くなる


紅葉の時期は風邪を引きやすい

失業保険がおしまいになった頃、就活をすることにしました。

近所の一般事務、医療事務、とりあえず今までやったことがない仕事に就いてみたくて面接を受けに行きました。結果は全てお祈りの言葉をいただきました。

挫折ばかりで自己肯定感が下がっていた頃に、就活もダメ。さらには家族に「いつ働くの?」と聞かれる日々。だんだん減っていく貯金。良くならない体調。

毎日昼の12時に起きて、夜に散歩して、3時に寝る生活が続いていました。

何がしたいのか、本当に何がしたいのか自分に問う日々。でも答えは出ず、時間だけが過ぎていきました。


ニート1年 推しとWebデザインとの出会い


趣味のカメラすらやる気がなくなってた

あっという間にニートになってから1年が経ちました。本当ならもう既に就職しているはずだったのに。「こんなはずじゃなかった」が毎日頭をよぎりました。

社会から離れて、家族かコンビニの店員さんか精神科の先生としか話さない日々が続いていました。社会復帰が不安すぎる。もう二度と働けないのかもしれない。

そんなある日。PRODUCE 101 JAPANという国民投票のオーディション番組を見ることがありました。そこでデビューできるかわからない不安を抱えながら夢に向かって頑張る少年を見て、自分のことを棚に上げてまで応援したくなりました。

毎日布教画像、布教動画を作り、こまめにツイートして宣伝して、そのために専用のInstagramも始めてとにかく必死にSNSにしがみついていました。

布教画像を作っていると、デザイナーと思われる方の画像がレベルが違くて目立つことがわかりました。

私もレベルが違うと思われたい!!!デザインで推しの知名度を上げたい!!!そんな単純な気持ちでデザインについて調べ始めました。

Webデザイナーというお仕事があること、頑張れば家で仕事ができることを知り、勉強を始めました。やはり体調が悪くなりやすくて通勤が難しい、またパニック障害で電車に乗れない私には、家でお仕事ができるのは魅力的でした。

推しのために貢げるように稼ぎたいのとWebデザイナーの勉強をしたいということで、あんなに離れたかった教育業界にまた戻ってきました。社会復帰が怖かったのに、推しのためと自分のスキルアップのために1歩を踏み出すことができました。

そろそろ今の仕事を始めてから、Webデザイナーの勉強を始めてから1年になります。

今の仕事は辞めたくなるときもあるけれど、楽しいこともあるし人間関係が良いのでまだ続けられそうです。Webデザイナーの勉強も楽しく続けられています。


Webデザイナーを目指して 初の挫折


今年も桜を見ることが出来ました◎


先ほども書いたのですが、Webデザイナーの勉強を始めてから1年になります。

この1年、独学でやっていることもあって、小さなことでもすぐ躓いていました。でもTwitterで教えてくださる方がいて、Googleで調べるとブログで書いてくださっている方がいて、先輩方にとても助けられました。

そして今、もっとスキルアップがしたくて就活を始めました。

結果的にお祈りの言葉さえいただくことができていない状況です。簡単に言うと書類選考で落ちています。やはり未経験はダメなのでしょうか。

また就活で躓いてる。何回就活で躓けばいいのか。大好きなWebデザインなのに就活に失敗しすぎて複雑な気持ちで勉強しています。

大好きな韓国ドラマで「先の見えないトンネルを1人で歩いているよう」という台詞があったのですが、まさにそれなのです。

いつかこの文章が懐かしく感じられるように今はただ、ひたすらに勉強と就活を頑張るのみです。


さいごに


笑顔がいちばん……!


就活を始めてから、初めて報われない努力というものがあると知りました。それくらい、私にとって就活は地獄です。

就活は努力よりも運なのではないかと思います。でもこんな後ろ向きな私に良い運が巡ってくるわけがないので、運を引き寄せられるように、前を向いて変わらぬ努力で頑張っていきます!

拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。この記事を書くのは正直迷いましたが、私という人間がどのような思いで、どのように過ごしてきたかを共有したかったのです。どうかこれからも温かい目で見守っていただけると嬉しいです。

それではまたお会いしましょう♩

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