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恋愛について真剣に考えてみた。

よく女子会で盛り上がる恋愛トーク。しかし、自分にとっては悪夢の始まりである。

なぜキュンキュンしないのか?

少し語弊があるが、決して恋愛が嫌いなわけではない。恋愛映画も漫画も見るのは好きだ。やはり幸せな光景を見るのは心が安らぐ。

人がイチャイチャするのを見るのも、好き。幸せオーラが漂う空間が好きだからである。オーラは感染すると確信していて、幸せなひとときを過ごす人がもっと増えてほしいと思う。

逆に不倫や復讐について書かれている映画やドラマを見ても、「あーやっちゃったね〜」とただ傍観して終わるだけである。正直、「おおお!」とテンションは上がらない。

問題はなぜ自分がここまで恋愛でテンションが上がらないかということだ。恋愛映画やドラマを見ても、キュンキュンしない。正直パートナーを求めていない。なぜだ!!というかなぜ多くの人がそこまで相手を求めているのかが不思議でたまらない。

確かに、生物学的に子孫繁栄のため異性を求めることが遺伝として存在するのは事実であろう。

だがしかし!なぜここまでキュンキュンしないのかがわからない。正直、私も少女のようにキュンキュンしたい。異性を求めてみたさもある。

恋愛スカラーが弱い

時たまに自分がトランスジェンダーなのではないかと疑う。しかし、問題は恋愛に対するベクトルがどっちがに向いているかというよりは、スカラー自体が弱い。実際どちらも恋愛対象になっていない。

思うところは、恋愛が普遍的なところである。恋愛が商品化され、ありきたりな商品の一つに過ぎなくなっている。それが世俗的だなと思う。

肉体美は好き

個人的に肉体的欲求もない。というかその行為自体、自分にとってはかなり神聖なものだと捉える。何かの儀式的なもののように。

確かに男らしさ、女らしさが存在するのは同意する。私も形について美しいと感じる。男性的な肉体美にはいつも惚れ惚れする。特に鍛え抜かれた筋肉やキュッとした部分は見ていてほへ〜となる。

しかし、女性=女らしくいる、男性=男らしくいる、というのは間違っていると考える。(念のためだが、フェミニストではない。)

やはり、女性の筋肉質なスラリとした身体的な形には魅了される。時にはその曲線にうっとりする。

やはり精神面か?

失恋話で話が盛り上がるのも不思議だ。ある一定以上の関係性を持ちたいという人間の欲望からだろう。それか孤独からの逃避。確かになんでも話せるという関係性を持ちたいという欲望はある。というか一人以上いなくては私は孤独死している気もする。

だが、それを恋愛対象としてパートナーに求めるのは何か違う。これは呼び方の問題なのだろうか。私にとって心を開けるのは正直性別は関係ない。果たして異性に求めるのには理由があるのだろうか。

長期的スパンから考察

精神的に考えて、私がキュンキュンしない理由は、子供が欲しくないことに起因している可能性もある。

考察してみると、生物学的に子孫繁栄のため人間は異性を必要とする。その関係性は女性から見たら長ければ長いほど有益になる。男性から見たら、短期的な方が良いかもしれない。しかし、その生まれた子供が大人になるまで育て、守ることで生存率は上がる。

よって、結婚という契りを交わすことで、女性男性はある一定のスパンを共に過ごさなくてはいけない。これは子供を育てるためあるような契約だろう。全体から見て、結婚が存在することで私たち人間は安定的かつ効率的に子孫を繁殖させることができる。

だから、異性にキュンキュンするのは、子供を生むことを前提にパートナーを探していることだと考える。

閑話休題

しかし、ここで一つ疑問が浮かび上がる。それでは、なぜ同性に恋愛感情を持ってしまうのだろうか。

これについて議論してみたさもあるが、とりあえず頭を休ませるため、一旦ここで終わらせる。(実際、今回の議題は私がなぜ恋愛に興味ないのか、ということだ。)

恋愛は生物学的な戦略

結論として、私は子供を持つという願望がない。つまり、自分にとって、子供を持つということが幸せを感じないから。

ここからわかることは、(仮定だが)人間は長期的に考えて自分にメリットがあるように行動しているということだ。異性探しのためキュンキュンし、お互い依存し合う→離れないように関係を保つように遺伝的にプログラムされていると考える。

恋愛は人間という種を長期的に生存させるための一つの戦略であるというなんともキュンキュンしない結論に至ってしまった。

ここまで読んでいただいた方には大変夢のない話をしてしまった。しかし、私も心からキュンキュンしたいので、ご意見とコメントお待ちしております。

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