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雨の日にあなたの傘に突然誰かが入ってきたら・・・

あなたはどうしますか?

そのまま何も言わずに一緒に歩いていく・・・ということは起こらないと思います。「何ですか?」とか「あの~」と何らかの声をかけるか、スッと傘を引いて速足で歩いていく。

傘の中はパーソナルスペースです。でもこれが家族であったり、恋人であったり、友人であれば問題ないわけです。雨がひどければこちらから「傘に入って」と声をかけることさえあります。

知っている人は傘の中に入れられるけど、知らない人は入れられない。それはなぜか?

傘というパーソナルスペースは安心できる領域です。知っている人はその安心を崩さないので入れてもOKですが、知らない人はその安心を崩す、つまり緊張が生まれるので入れられないのです。

この個人的の安心できる領域の境界線のことをバウンダリーと言います。

知らない人に触れられたり、肩がぶつかったり、すると嫌な気分になります。これは目に見える身体というバウンダリーが侵されているからです。

バウンダリーの難しいところは目に見えるところとそうでないところがあるということ、そして人間関係によってその境界線が異なるということです。親しければ入ってきていいし、親しくなければ入ってきてほしくない。ただ、家族という関係でも(むしろ家族だからこそ)入ってきてほしくないところだってあります。恋愛の話なんかは典型ですね。友達にはできるけど、親にはそんなに話をしない。

人間関係のバウンダリーは目に見えないばかりか心理的なものも含みます。

たとえば、親しい友達にあだ名で呼ばれるのは気にならないけど、そんなに親しくない人にあだ名で呼ばれると「なんか違う」と感じるこの違和感。親しくな人はあなたのバウンダリーを侵しているから感じるものなのです。

空気を読むということはこのバウンダリーを読んでいるとも言い換えられます。ただ、その読んでいるバウンダリーが正しいとも限らない。一対一の場合、こっちが思っている親しさ度と先方が思っている親しさ度が異なっていて、私は距離を取っていても、相手は平気で境界線を越えてくるということがあります。

これを放置しておくとストレスがたまりやがて「キレる」ということになります。そうなる前に、話をしておく必要もあります。

バウンダリーはコミュニケーションにおいてとても重要な概念ですが、なかなか教えてもらう機会がありません。習得するとかマスターするというものではなくて、概念を知って、それを念頭においてコミュニケーションをしていく。そういう性質のものです。そして、バウンダリーが完璧に分かって誰とでも上手にバウンダリーを引けるということもありません。

何ともつかみがたいですが、まずは概念をしること。これが大事です。

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