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ありのままの自分を大切にする会が大事にしていること

ようこそ、ありのままの自分を大切にする会、略してあり会へ!!
あり会を主宰する大久保智弘と申します。よろしくお願い致します。

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あり会では、ありのままの自分を大切にして生きるということを共有して、セミナー、カウンセリング、語り合う場を設けております。

あり会 内容は、あり会が大事にしている考え方や、共有している思いを言葉にしたものです。正式にご入会いただくために、読んでいただき、理解・共感していただくためにこのような段階を設けております。あり会メンバーと共に、ありのままの自分を大切にした生き方を実践して参りましょう。

1 あり会が大事にしている心構え—存在に目を向ける。

【1】あり会が大事にしている心構え
まず、あり会でやっていることをお話しします。それは。「とりとめもない話」です。と言っても、世俗的な話でとどまるのではなく、話題の焦点は自分の気持ちに当たっています。日々のできごとや過去の経験など、自分がどんな気持ちで過ごしてきたかを話します。それを、聴いた人が、共感的な言葉を発したり、連想された経験を話したりしていきます。否定的なとらえ方をして、説教したり、上から目線で何かを教えられたりするということはありません。

毎回皆さんが共有されるのは自分の「弱いところ」です。自分が困ったこと、腹が立ったこと、悲しかったことなどです。そしてそこから自分を責めたり人を責めたくなったりするということを共有していきます。すでに、自分で責めている状態に、さらに「そういう考えはいけない」というふうなマウントをとられると二度と、その人とは話したくなくなります。しかも、それを聴いている人もいい気分がしません。そうならないためにも、受容的・共感的な心構えをもって臨んでほしいのです。

でも、大事なのは受容しっぱなしでなくてよいということです。たとえば次のようなことが起こります。

「○○さんのお話を聴いているとわたし、ちょっと昔のことを思い出してなんかイライラしてしまうんです」と、人の話に刺激されて自身の感情が動くことがあります。これはマウントではありません。なぜか?それは自身の感情だからです。「その人が話したからイライラした」と人のせいにするのではなく、自分の問題としてその感情をとらえているからこその発言です。

ここで一つ、自分の感情は自分のものとしてとらえる。これがあり会が大事にしていることです。もちろん人や情報からの影響というのはありますが、それに反応する人もしない人もいます。その自分の感情を自分で引き受けているからこその、何でも語れる場になるのです。

話題が、その人の人間関係の愚痴になること、職場の不満になることはあります。しかし、発言した人を否定するようなコメントはその場の雰囲気に良くない影響を与えます。人の言動をきっかけに嫌なことを思い出した人がいたとします。ここでもし「あなたのせいで嫌なことを思い出しちゃったじゃない」と他人を責めると、その場に緊張感が生まれます。じつはこの緊張感が曲者なのです。「緊張している=ありのままでいてはいけない」という反応をしてしまいます。それは私たちの脳とか神経とかに埋め込まれた「危機」に対する反応を引き起こしてしまうのです。その反応は「戦う」か「逃げる」かの二択を私たちに迫ってきます。これは、生物として埋め込まれた反応なのでなかなか変えることができません。もちろんそういう空気になったら、ファシリテーターが場を和ませるように対処しますが、そうならないように、メンバー一人ひとりに心がけてもらいたいですし、今いるメンバーはすでにそういう心構えで集ってくださっています。

あとはあり会が共通理解として持っている考え方が存在と行為を分けて考えるというものです。

【2】存在に目を向ける
私たちは存在をbeing行為をdoingと呼んでいます。

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being目に見えない、比べられないものです。ですからAさんのbeingとBさんのbeingはAさんの方がすごいとかいうことはありません。どんな人でも等しく、尊いものなのです。命そのものだということも言えます。それに対してdoingは目に見えて比べることができるものです。それは、身長、年齢、服装などの表面的なところや、能力、得意不得意、その人の経験、さらには、感情もdoingに入ります。つまり、良し悪し、優劣の判断ができるものです。

doingの良し悪しや優劣に振り回されてしまって、本来もっている自分のすばらしさを、低く見てしまったり、可能性を閉ざしてしまったり、人をねたんだり、憎んだりする。その結果、何が起きるかというと、そういう負の感情を持ってしまっている自分自身を責めてしまうのです。自分を責めることはとても苦しいことなのですが、それが「当たり前」になっていることが多いようです。ダメな自分だから人からも責められるのは当然、自分を責めるのも当然のことという認識です。実は、この認識が人生を厳しいものにしている可能性が大いにあります。

しかし、私たちの存在=beingは決して傷つくことはありません。

本来、人は一人ひとり異なる存在なのです。それなのになぜか、誰かの型にはめよう、はめ込まれようとして育ちます。そして「私もできたんだからあなたもできる」とか「みんながやっているんだからあなたもやりなさい」と同じような行動と成果を求められるのです。

これは、子育てにもあるし、教育にもあるし、社会に出てからの仕事の中にもあります。確かに、同じようにやれないといけないこともあるかもしれません。でも、もともと違う存在の人間がすべて同じようになるわけはありません。doingに差異が生まれることは当然のことなのです。

あり会では、そういうdoingに目を向けるのではなく、そこに集われた一人ひとりが尊い存在であるということを互いに認め合う場なのです。なので、人を良し悪し、優劣で見るのではなく、存在=beingで見るまなざしに重きをおいているのです。

【1のまとめ】
1はもっとも大事なお話です。ポイントをまとめておきます。

 ・あり会は自分の感情に焦点をあてたとりとめもない話をする。

 ・感情を自分のものとしてとらえる

 ・否定的なことを他人に言うと緊張感が生まれて場が崩れるので注意

・人は一人ひとり違う、それぞれが素晴らしい存在である

・doingではなくbeingに目を向ける—互いにすばらしい存在として認め合う

・beingに目を向けることで、自分自身を責めることから抜け出す

初回からなかなかのボリュームになってしまいました。最後までお読みくださりありがとうございます。

2 ありのままの自分を大切にするとは


【1】 ありのままの自分を大切にするとは?
ありのままの自分というのは、何もしないで生きることでも、わがままに生きることでもありません。今の自分でOK、どんな自分でも大丈夫と思って生きることなのです。良いところも良くないところも認めていくのです。

確かに、自分の中には、劣っているところ、できないところ、人に知られたくないところなど、表に出すのがはばかられるようなところがたくさんあります。通常はそこを努力でもって克服しようと頑張ります。欠点は長所に変え、苦手は克服するもの。そう教えられるし、それが当然の社会です。これが全く無駄だとはいえません。でも、苦手なこと、できないことを頑張るには、好きなことをやる以上にエネルギーがいります。ストレスも大きいです。そういう努力を強いられ続けると、心病むか体にガタがくるか、または人間関係がおかしくなるか、何らかの不調が訪れます。

何らかの努力をする前に必要なのは、できない自分、苦手な自分をきちんと肯定しておくことなのです。じつは、他人から努力を押し付けられる理由の一つが、自分の「できない」を認めていないところにあります。ここをしっかり認めていないと「これ苦手なんだよな~」とか「昔、頑張ったけどあんまりうまくできなかったんだよな~」という思いがあっても「はい、やってみます」となってしまうわけです。そして、頑張ってもうまくいかなかったり、期待に応えられなかったりして、結局自分を責めることになるのです。

これを背伸びするとか見栄を張るとか言います。

ありのままの自分を大切にすることが難しい(と感じる)のは、自分のできないところを認めないといけないからです。これまでそれを努力で克服しようと考えていたところを、「そういうダメなところがある自分であってもいい」と認める。これが重要なポイントなのです。そして、一つがダメだから全部がダメというわけでもないのです。

仕事ができない、勉強ができない、スポーツができない、などできないことは人によってさまざま違います。そのできないところは所詮はそれは一部なのです。逆に、その人にとっての良いところもまたいろいろとあるのです。

ある高校生の話です。自分は姉弟に比べて勉強ができないという劣等感をもっていました。発達障害もあったので、余計に自信を失っていました。確かに、doingとして学力を比べると劣っていました。しかし、彼には彼の良さがあり、優しい面や、新しいことに挑戦することをいとわない勇気、人の話にしっかり耳を傾けることのできる素直さなどがあります。それは、数字では測ることができない力ですが、生きていくうえで大切な要素ですし、これからの彼を助けていくことになります。

良い面も悪い面も細かくみていくと人によって様々です。そしてそれらは所詮doingでしかないのです。苦手なところは控えめにして、得意なところを活かして好きなことをすることもありのままの自分を大切にする一つの秘訣です。

【2】 誰もが素晴らしい存在
あり会では、誰もが素晴らしい存在であるというのが前提ですというお話をしました。それは、良いところがあるから、悪いところを認めているからというのではなく、単に人間が存在として素晴らしいということです。人を見るときにdoingに目が行きがちです。その人の外見、学歴や職歴、現在の働きや所得や地位などです。そういうdoingからbeingにまなざしを向けることで、うわべだけでないつながりができるのです。さらにそのまなざしを他人だけではなく、自分に向けることで、ありのままの自分を大切にする視点が養われます。

実は、自分の「ありのまま」については、自分が一番盲目的なところがあり、気づいていないところがあったりもします。なので、人と話しをして自分では見えていない、気づいていないところを認めていくというプロセスを経るのです。

カウンセリングではそれを1対1でやるのですが、あり会の場合は多対多でやるようなイメージでもあります。

内面、とくに弱い部分を話せば話すほど、自分のdoingがはぎとられ、ありのまま感を強めることができます。ありのまま感がつよまると、その人らしさが良い意味で強調されるようになり、生きやすくなるし、他人に対しても認めることができるようになるのです。

これは、今の世の中で求められる多様性を認める力にもつながります。自分のありのままを認めることで他人にありのままも認められるのです。この辺りの心のからくりは次回のメールで詳しくお伝えいたします。

【2のまとめ】
・ありのままの自分というのは、何もしないで生きることでも、わがままに生きることでもありません。

・できない自分、苦手な自分をきちんと肯定しておくこと

・そのできないところは所詮はそれは一部なのです

・他人と比べない

3 自己受容と自分の感情の向き合い方


「1自己受容とは何か?」、「2感情のケアに必要な3つの心得」の二つのセクションにてお話しさせていただきます。

【1】自己受容とは何か?
自己受容とは自分を知り自分を受け入れることです。

自己受容のプロセスとしては、それはやさしいとか、人に対して気づかいをするとか、器用であるとか、料理が好きとか、一人でいるのが嫌いとか・・・普段の生活や仕事、人間関係の中でいろいろな自分に出会います。そういう自分を知った時に、「そのままでいいよ」と認めていくことで自己受容がなされます。

長所も短所も受け入れる必要があるのですが、実はこれが人によってはハードルが高かったりします。長所に関しては「そんなに良いところが自分にあるはずがない」と思って受け入れていなかったり、短所に関しては「見なかったこと・なかったこと」にしたり、「そんなはずはない」と否定してしまって、なかなか受け入れられないじょうきょうがあります。

ありのままの自分でいるためにはこの自己受容は避けて通ることができません。どんな自分もOKと認めていくことが、ありのままの自分になる道だからです。ありのままの自分を認めるための自己受容がなかなかうまくいかないのは、もともと持っている「ありのまま」の自分像自体がゆがんでいる可能性があります。

誰しもが、両親・養育者に育てられます。そして、その親に喜ばれるように生きます。そこで描変えるありのままの自分というのは、親や養育者がおもう「ありのまま」なのです。本来のあなた自身のありのままではない可能性があるのです。

たとえば、親が音楽家で子どもにも同じ道を歩ませたいと思って、小さいころから英才教育を施す。これがハマってくれればその子は、その道でプロフェッショナルになっていくわけですが、そうじゃない場合は、苦痛でしかありません。親は親でできない子どもに苛立ち、子どもは子どもで、やりたくない、向いていないことを強制させられるわけですから。親が○○だから子ども○○になれるという保証はどこにもありません。それなのに、子どもに努力を強いて、そして子どもも親を喜ばせたいから一生懸命がんばる。そして、「親のために生きる」という、ゆがんだありのまま像を歩むことになります。ゆがんだありのまま像を持っている人の特徴は「ありのままの自分じゃない」ということを責める思考が強いです。本来は楽になるありのままの自分から責められるというのはおかしな話なのです。その背後には、親をはじめとした誰かのための生き方になっている場合があります。

自己受容を阻むのはこのゆがんだありのまま像です。だからこそ、真に自分自身のありのままを見出す必要があるのです。それは地上の親から与えられたものではなくて、天から与えられたあなたなりのありのままを見いだすことにつながります。これを「親替え」という言い方をする場合もあります。地上の親から天の親(神様)に従うことです。

しかしながら、自己受容を阻むと言っても、自己受容が進まないというわけではありません。自分を受け入れる分だけ、どんどん、真のありのままの自分に近づいていくことができます。自己受容すると自分が変わらないのではなくて変わっていきます。

「ありのままの自分を受け入れたとき、初めて自分を変えることができるとはなんと興味深いパラドックス(逆説)だろうか?」

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これは現代カウンセリングの基礎である来談者中心療法を提唱したカール・ロジャーズの言葉です。

自己受容をすると自分が変化するのです。なので、本当にありのままの自分を受け入れていくと、親や誰かの期待通りに生きる、間違った枠組みから抜け出して、自分にフィットする生き方に変化していきます。本来、自己受容は気持ちがよいすっきりするものです。生きるエネルギーにもつながっていきます。それこそ若いからとか健康だからとかは関係なく、自己受容が深まれば深まるほど、その人なりのエネルギッシュな生き方に変わっていくのです。

これは努力するというよりも、とらえ方を変えるとか、認識をかえるという作業が必要になります。時間がかかる場合もあれば、一瞬で落とし込めることもあります。

【2】感情のケアのための3つの原則
あり会の感情に対するアプローチの基本原則は次の3つです。

どんな感情もあってよい
感情はコントロールできない
感情は否定するものでも隠すものでもなく認めるもの
自己受容の肝になるのが感情です。感情は自分でコントロールできません。出来事に対する反応として出てくるものだからです。当然ながら不快な感情はだれも積極的に味わいたいとは思いません。でも、不安、恐れ、憎しみ、嫉妬などは人間関係がある以上必ず出てくるものです。それを押し隠そうとすればするほど、その感情は大きくなっていきます。

感情の性質というのは、泣いている赤ちゃんのようなもので、親が気づかないでいるとどんどん大きな声で泣き叫んできます。それと同じで、感情の主である自分自身がその感情を押し隠そうとすればするほど、気づいてもらうために大きくなります。

感情の基本原則はどんな感情もあってよいです。仮に誰かを殺したいという強烈な憎しみがあったとします。その感情自体があることは仕方のないことなのです。そこで、自分自身に共感的に「そうだよね、殺したいくらい、憎いんだよね」といってみたり、それこそカウンセラーや信頼のおける人にその気持ちを分かち合って「それほどまでに大変な思いをしたんだ」という姿勢で共感的にかかわってもらうことで、自分の中でその気持ちを受け入れることができます。憎しみの先にある暴力的な行為はいけません。しかし、そういう憎しみの気持ちを持っていながら、認めてしまうと実際に行為に及んでしまうのではないかと思われるかもしれませんが、実は全く逆なのです。その気持ちを押し隠そうとすればするほど、憎悪の念は強くなり、それこそ我を忘れてその人に向かっていく可能性があるのです。またはその人の代わりに誰かに向かっていくか。(感情転移という心理現象があります。ここでは詳細を省きます。)認めることによって、感情はどんどん小さくなっていきます。最終的になくなるかどうかは分かりませんが、その感情に飲み込まれて我を忘れるほど怒り狂うことはなくなります。

感情に対する敵は抑圧することです。そしてその抑圧がストレスとなり、自分を責めることにもつながります。どんな感情も自分の一部として大切にしていく必要があります。そうすることで、その感情から起こる自分への責めを弱めることになります。

どんな感情もあっていいと認めること自体が自己受容でもあります。そして、不思議なことに、受け入れた感情に飲み込まれることはなくなるのです。結果として行動の変化が起きます。そして感情に振り回されなくなり、生きることが楽になるのです。

【3のまとめ】

・自己受容とは自分を知って受け入れること

・自己受容すると自分が変わる

・どんな感情も大切な感情

・感情は味わい受け入れるもの

4 人の話を聴く態度


1~3では自分との向き合い方についてお伝えして参りました、ここでは、あり会メンバーが大切にしている「聴く」ということについてのお話です。

あり会では、自分の気持ちを話すこともありますが、当然ながら参加者の気持ちを聴くこともあります。その時に必要になるのが、1傾聴と2共感的態度です。傾聴はスキルです。そしてその傾聴の質を左右するのが共感的態度という心構えです。

【1】傾聴
傾聴というのは、ご存知かもしれませんが、相手の話に耳を傾けることです。その時に、否定も肯定もしないで、ただ黙ってうなずいて聴くということに徹します。途中で口をはさみたくなったり、質問したくなったりしても、その人が話し終えるまでは黙って聴くわけです。ただ、うなずいているだけだと、話しが入ってこないことがあります。なので、意識してほしいことが二つあります。「この人はどんな気持ちだったんだろう」ということと「本当に伝えたいことは何だろう」ということを考えながら聴くのです。いきなり二つも聴くのは難しいと思いますので、どちらか一つだけでも大丈夫です。こういう思いでもって話を聴くことで自然と共感的な態度が生まれます。

【2 共感的態度】
もちろん、話し終えたら、質問したり、感想を述べたりしてもらって構いません。話の途中で入ることや、そのことに反論したりすることは無しにしていきたいところです。これは前回「緊張感が生まれるから」というところでお伝えさせていただいたのが理由です。

もう一つ必要なのが、共感的態度です。共感的態度というのは自分の価値観をいったん脇において、話を聴くことです。自分と相手ではなくて、できるだけ相手の気持ちになって寄り添っていくわけです。すると、相手がどんな言葉を欲しているのか、何を言われたくて、一番言われたくないことはどんなことなのか?が見えてきます。

話を聴いていておかしいなと思うことや、疑問に感じることはたくさんあります。たとえば、「上司が私ばかりを叱ってくる」という話があった時、「本当にあなたばかりなの?」とか「それは同じミスを繰り返しているからじゃない?」ということも想定できるわけです。しかし、話し手本人にしてみれば「自分だけがそのような不運に遭っている」というのが事実なのです。そこにいったん寄り添う必要があります。

共感的にかかわると・・・

Aさん「上司が私ばかりを叱ってくるんです」

Bさん「なんで、自分ばかりが言われないといけないの?って不安になりますよね」

→Aさんの気持ちに寄り添っている。かりに「不安」がなくても「不安というよりも、怒りですね」とか「怖いんですよ」という別の言葉が引き出されてくる。

共感的ではない関わり・・・

Aさん「上司が私ばかりを叱ってくるんです」

Bさん「その上司は他の人にも厳しいんじゃないんですか?」

→あなたの認識は間違っているというメッセージが伝わってしまう

もう一つNGの例があります

Aさん「上司が私ばかりを叱ってくるんです」

Bさん「その上司はあなたのことを思って叱ってくれてるんですよ」

→励ましているように見えて、実は、上司の見方をしている。「誰の味方をすべきか」を見誤ると共感的な態度でなくなってしまう。

あり会はコミュニケーションの場ですので、NGが起きないというわけではありません。しかし、そうならないように意識をすることで、否定的な言葉や、緊張感を生み出さずに済むのです。

そして、大事なのが、人の話を聴いていながら、なんだか自分の気持ちが揺さぶられることがあります。いい気持ちになることもあれば、不安や怒り、恐怖が出てくることもあります。それは、あなたをそのようにさせた相手の話が悪いのではなくて、自分自身と向き合うときなのです。極端な場合ですと「もうこれ以上聴いていられません!」ということにさえなりかねないのです。そういうときこそ、自分自身の中で抑圧してきた思いと向き合い、その感情を認めていくプロセスのスタートでもあります。参加者に快適に過ごしてもらいたい気持ちは当然あります。しかし、時に、気持ちが高ぶって、自分で抑えきれない状況になっても、支えてくれるメンバーがいるのもこの会の強みでもあります。

人の話を聴くことを通して、ありのままの自分になっていくというプロセスも味わっていただきたいところです。

最後に大事なことを一つ書き加えておきます。それは守秘義務についてです。あり会では内面の細かいお話しや、プライベートなお話しなど、本来であれば人に話したくないお話をされるかたもいらっしゃいます。みなさまに安心して話していただくためには、守秘義務をお守りいただく必要があります。そのためには、あり会で知りえたお話しは、あり会以外のばでは一切しないということです。あり会以外の場でお話しする機会があっても、本人が話さない限りはその話題に触れないということです。話題によっては心配であったり、結果がどうなったのかということも気になったりする場合がありますが、そのことについても「この前話していたあのこと、大丈夫だった?」など探りを入れるようなこともしないでいただきたいと思います。ちょっと厳しい感じですが、安全な場であることを保証するための大切なことなので書かせていただきました。

【4のまとめ】
傾聴―ただ黙ってうなずき、聴くことに徹すること

共感―自分の価値観を脇において、相手の気持ちに寄り添おうとする態度や心構え

5 あり会のルール
ここまでお読みくださりありがとうございます。あり会は文字通りありのままの自分を大切にするためのコミュニティです。だからと言ってわがままにふるまって良いわけではなく、互いに認め合うことが大切です。

具体的には

・他の参加者の発言を否定しない

・他の参加者の話を最後まで聴ききる

・共感的によりそう

・自分の心がざわついたら、自分で引き受ける(可能であれば素直に気持ちを言葉にする)

・私のありのままと相手のありのままは異なることを前提とする

・守秘義務

事務的なことで行きますと・・・

・毎週送られてくるメルマガにあり会の情報がありますのでご確認ください。

・遅れての参加、途中までの参加はOKです。

・お友達をお誘いいただけると幸いです

以上のことをご理解の上で、下記の申し込みフォームからメールをご登録ください。

あなた様にお会いできること、楽しみにしております。

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