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生きる*試されている?GAME


自分の感情を試験風に
試されている状況が何度かありました。
*感情選択OR理性的になる。

子どもの頃から、
きっと誰もが体験していると思う、…かな?
気がつかないことが多いだけで。

ピンチはチャンスというけども、
突然のハプニングには
トラウマがでてくる。

どうして、わたしばっかり?!
と思うような、ハプニングの連続がありました。
映画のミート・ザ・ペアレンツを見て、主人公(男だけど)が自分みたいだと思ったことがありました(悪気は無いのに、ヘマをしてしまってますます印象が悪くなっている部分)。

ハプニングが恐ろしくて、
わたしのそばから離れる人も増えたり、
逆に、面白そうと近付く人たちもいて、
「また、あなたなの?!」
「ギャグ漫画の主人公みたいだね!」、と言われてました。
><あははは


子どものころから、
うちは3代の祟りがあるから…とか、
必要以上にネガティブな情報が盛りだくさん(?)
雪崩のように当時は舞い込んできていたので、
更に自分は不幸で呪われているから(?)
しあわせになれないのだ(?)ということを
自ら諦め、
ただ耐えて、
苦しむ人生なのだと
言われ続けました。

特に、不幸好きメンバー代表、
血縁たちに。
*だから繰り返しているだけ?


引き寄せの法則?のままに
不幸好きな人が近くに集まり
不幸自慢大会。

不幸自慢大会を楽しんでいたら
他人のしあわせを
喜べない自分に気付きました。
…あれ?(モヤモヤ)


特に昭和の時代は、競争社会であり
勝ち負けが基本で
誰々よりも自分が上だと(勝ち)
誰々よりも自分が下だと(負け)
とか、今思えばくだらない
マウントが普通で常識なんだと
洗脳されて生活してました。


ある日、
不幸自慢大会のメンバーたちに
自分のラッキーな出来事を話すと
顔や声にでるぐらい不機嫌になり、
嫌そうな顔をしたり、
意地悪をいわれたり、
…、びっくりするぐらい
あんたなんかが?!と
いう人もいて、…。

好きだった人たちが
実は自分の不幸を願っていたの(?)
…かな?と思うと
悲しくて、
ショックで、
言葉に表せないくらい
何だか気持ち悪く感じてきて。

自分も実はそうだったのかも?

人のしあわせを喜べないって
不自然なんだと悟りました。



それがきっかけで、
少しずつ他人のしあわせを
心から喜べるようになりました。


自分がしあわせなときに、
心から喜んでくれる人がいると嬉しいから。

まずは、
自分がそんな人になろうと
思いました。


不幸自慢大会に参加しなくなり。
不幸大会のメンバーから
離れて生きるようになり。

友人、知人関係もやり直し。
ゼロからの繰り返し。

ひとりぼっちの時もあったけど
それは真実を知るきっかけになった。

自分の心を知るための時間は
必要な時間でした。

義理人情とかで
惑わされたりしましたが、
自分の心に従っていきることに決めました。

御涙頂戴の訴えも
動じなくなりました。


そう、ゲームスタート!です。
リセットボタンを押して生きているよう。



まだ20代、やり直せる!
まだ50代、やり直せる!
まだ80代、やり直せる!

人間、何歳でもやり直せる。

いろんな誘惑がありますが、
心を揺るがすテストやら試験から
どれだけ自分の信念が強いかの挑戦。

テストに合格して、
次のステージに進むことを決めました。

他の誰にも比べることが必要ない
自分だけのNEXTステージのために。

がんばったら、ボーナスステージも
みつかることがある。

なんだか人生って
ゲームだと
思うようになりました。

*誤字脱字がありましたら、ごめんなさい。


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