20年前の食卓調査から何が見えるか 〜驚愕を超えて愕然とした家族の食卓のリアル〜
「変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識」
著:岩村暢子 2003年刊行
この本は広告代理店であるアサツーディーケイ社が行う〈食DRIVE〉という「定性調査」を紐解いたものだ。首都圏に在住する1960年以降に生まれた子供を持つ主婦を対象として毎年実施している2,000食卓以上のデータに基づいた実態調査から、学術的な結論を見出すものではなく、1家庭1家庭の食卓から何が見えるか事実から把握しようというものだ。
朝は起きないと決めているお母さん。
お菓子を朝食にする家族。
夕食はそれぞれ好きなものを買ってくる家族。
昼食を1つのコンビニ弁当で終わらせる幼児と母。
食べたいものを我慢できず帰宅前にコンビニで買う父。
など、今から20年前のごく普通の子育て家庭が送る当たり前の日常の食生活の事実が赤裸々にデータとして記載されている。
「遊び」に忙しくて「食」はどうでもいい
「食費はできるだけ削ってディズニーランドに遊びに行ったり、ハワイとか海外旅行にも行ってみたい」
「食べることにはあまり関心がないので、食費は抑えてなるべく他に回したい」
そう語るのは当時のOL世代ではなく、主婦の家庭の食についてのインタビュー回答だそうだ。
とある家族がキャンプに行く日の1日の食事にも驚かされる。
朝はゴミが出ないようにとコンビニの菓子パンのみ。
昼はテントの設営などで忙しいから持参したカップ麺。
夜はBBQをするけれど味は気にしないので100g68円の肉を焼いて食べた。
家族や友人とBBQする方が大事で、食は二の次、三の次という事象はこういったアウトドアに限らない。
カラオケが好きだからと、友人親子とカラオケへ行き、そこで適当に夕食は済ませた親は、1才や2才の自分の子供たちが何を一体そこで食べたのかよく見ていないし覚えていない。
きんぴら、肉じゃが、筑前煮のような時間のかかる料理は自分の気分が乗って「やる気」になれば作るそうだ。日常はしない「ちゃんとしたものを作った感じ」になれるという。
一方、新メニューチャレンジは果敢に挑戦する志向にあり、「同じことは自分が飽きて続けられないから変わったことをやってみる」「その時の思いつきで変わったことをやってみる」という感覚で不思議なメニューにトライしている姿も散見された。美味しいかどうか、家族が喜んで食べるかどうかは別としての話だ。
調査票から「無性に食べたくなるいつもの味」「家族みんなの共通して大好きなあの味」を抽出すると、多かったのはマクドナルドのハンバーガー、吉野家の牛丼、日清のチキンラーメン、ハウスのバーモントカレーなど。お母さんオリジナルの家庭の味ではなかった。
出産をきっかけに料理をやめる母親たち
ほとんど料理経験のない女性が結婚し、まがりなりにも食事作りを始めるが、できないことだらけ。それでもやがて子供ができる頃にはどの主婦もきちんと作れるようになり徐々に腕を上げていくものだと思うだろう。
しかし、現実はほとんどの場合その逆だという。
大抵の主婦は子供ができたら新婚時代よりもさらに料理を作らなくなってしまうのである。
主婦自身の実感から言えば「作れなくなる」と言った方が正しいのかもしれない。その理由は「子供が生まれてゆっくり料理をする時間がなくなった」、「小さな子供がいて危ない」という言い分がほとんど。
さらに「忙しい」「疲れていた」「時間がない」「余裕がない」といった発言が頻出するが、その意味は単純ではない。
忙しいその理由は、
「友達の家に遊びに行ったので時間がなくなり、コンビニで買った菓子パンとおにぎりをその家で食べた」
「家族で実家に帰ったので、作ってもらったものを食べた。手伝いはしない。帰ってくるのが遅くなり時間がなかった」
「子供を連れて動物園に遊びに行き、売店で買ったものを食べた。夜はすぐにできるものをと考え、スーパーの惣菜とインスタントの素でできる料理を作った」
など。
帰ってから時間がなくなりそうだから前もって段取りをしておいたり、計画的に買い物をしたりはしないのだ。
子供が生まれたことを契機に新婚時代のように料理に手をかけることをやめ、子供の成長に従って公園遊びやママ友との交友、お稽古事や塾の送迎、PTAと次々に「子供をより良く育てるために」しなければならないことがあり、子供の食事は後回しにされていく。
そして「送迎」がなくなると主婦はようやくできた「自分自身の時間」を大切にしたり、「自己実現の趣味」もしたい。
あるいは「パート」や「仕事」という別の理由も浮上する。
2024年の現代は、そこにデリバリーという合わせ技も加わって、ますます主婦が手を抜こうと思えばどこまでも手が抜けて楽ができる環境は整ってきている。
よって主婦が「手をかけて料理を作る」日は一向に来ないのだ。
子供の機嫌を取り続ける母親たち
1960年以降の主婦の家庭ではお腹を空かせた子供の姿はあまり見られず、食べたがらない子供にご機嫌をとりつつ、なんとか食べてもらおうとしている親の姿ばかりが目につく。
昔の親なら「ワガママ」と言って聞かなかったような要求にも応じてしまっている。「我慢しなさい」と言わずに現代主婦は本当によく子供たちの要求を聞いてやっているそうだ。
食べなくなると困るから、文句を言われるのが嫌だから、機嫌が悪くなって朝がスムーズに進まなくなるからと、あれこれ先回りして子供に気を使う。
そして用意した複数の選択肢・バリエーションは手作りではなく既製品が主。
子供がポケモンパンを食べたがるからと買って、親の朝食もポケモンパンになるといった具合だ。
朝は起きないと決めている母親の家庭では、勝手に起きた子供が自分で取り出せる袋入りのパンを数種類用意して、勝手に食べてもらえるようにしてさえいる。その子供の年齢とは小学生ではなく未就学児であってもだ。
加速する「バラバラ食」と見て見ぬふり
毎朝家族揃って同じものを食べている家庭は100世帯中1件。
他は全て「バラバラ食」というから驚く。
それはいわゆる個食とか孤食ではなく、一人でいるわけでもないのに食卓につく時間がバラバラであったり、一緒に食卓についているのにバラバラなメニューを食べているのが特徴だ。
ほんの10分の時間も待っていられないし、人に合わせて早起きすることもしない。食べ物だけでなく時間もなかなか譲り合えなくなっている。
2000年以降はビュッフェ式や大皿盛りにしても、あるいはバラバラ食にしても「作らないで買ってくる」家庭が増えてきているそうだ。
でも、好きなものや使いたいものは我慢できないので、それに関する危険情報は「気にしない」「見たくない」というのも実情だそうで、パッケージに書いてあることは「絶対」だと言う。
「健康に良い」「ビタミン入り」などの表記は全てを信じており、そんなヤバいものが堂々と売られているはずがない、と信じて疑わない。
自分の都合の良い情報だけを集める「自己愛型情報収集」スタイルを貫く。
そこに自分の考えや確固たる意志は存在していない。
現代の食卓はどこに向かうのか
余談であるが、ことに私の住む渋谷区は、買ったものを寄せ集めて食卓に並べて済ませる家庭が最も多いエリアと聞いたことがある。
現に、働く親が子供に1000円札を渡しておけば、勝手に好きなものを食べてもらえるからと、そうしている親子を複数知っている。その子供たちは近くのスーパーに行って、サラリーマンさながらのカロリー高めの添加物満載のお弁当を買って一人で食べている。
今年の初めにジャーナリストの友人に勧められてこの本を読み、驚愕すると同時に決意した。
今年は「食」にさらに徹底してこだわり、あえて時間のかかる昔ながらの日本料理を学び、チャレンジしてみようと。
「だけレシピ」や時短料理の極みの類がさらに加速し注目される現代。
私はあえて逆をいこう。自分の勝手な気分や都合に左右されて怠けてしまわないように、自分の手帳に毎日の献立を書いてみようと始めた。
自分が手をかけた料理を子供たちに食べてもらえるのも一体あと何食あるのかわからない。
1食1食を今よりもっと大事にしていった先に、きっと何か答えが見つかるだろうと信じたい。
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