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たぶんきっと泣きたかった。ーーもう少し、V6

2021年11月1日
誰かにとっては何でも無い日。
でも私たちにとってはとても大きな日だった。

これは記事とも呼べない、
“あの日”からの私の日記だ。

解散当日のライブのチケットは持っていなかったので
私は友人とカラオケの大画面ルームで配信を見ようと約束していた。

画面に繋げるつもりで持って行ったPCは繋がらず
代わりにつなげた友人のスマホは何故か配信がちゃんと映らず、
(私のスマホはしょぼくて画面に繋がりもせず)
バタバタのワタワタのぐっちゃぐちゃで
結局、PCの小さい画面に持参したスピーカーをつなげて観ることとなった。
バタバタのワタワタのぐっちゃぐちゃの最中、
気づけばライブが始まっていて、とにかく焦って焦って大変だった。

どうにかPCで見ることに落ち着いて、少しビールを飲みながら見ていた。
その時間になるまで、私も友人もいつも通りみたいにしゃべっていて
「今日、解散なんて信じられないね」と言っていた。
友人に至っては、前日の幕張のライブにも参戦しており
「なんかまだまだ続くような気がして、逆に全然泣けなかったんだよね。すっごく楽しかった。」
と話していた。
私はそれさえも少しグッときたのだが。

ライブの最初は割と落ち着いて
笑いながら見ていられたのだが
どこの場面だろう、覚えていないがどこかで急に涙腺がぶっ壊れたのがわかった。
多分、特別な場面ではなくて、メンバーがいつもみたいに笑顔で
ファンに手を振っていたり、メンバー同士でじゃれていたり、
そんな、それまでのライブと変わらない姿を見せてくれたところかな。
その時、この半年とちょっとの期間、なんとなく言わずにいた、
「嫌だ、解散なんて嫌だ」
という言葉を口にしてしまった。

最後の挨拶のあたりでは友人も私ももはや過呼吸になるくらい泣きわめいてしまって
何度も抱き合って、ゆっくり呼吸をするようにして、でもまたたまらなくなって泣きわめいて、多分傍から見たらカオスだったと思う。


ライブが終わってからは、記憶が吹っ飛んでいるが
ちゃんとカラオケの清算をして、友人と駅で別れた。
カオス状態だったせいか(?)ビールをさほど飲んでいないのに
その後ものすごく気持ち悪くなって、なかなか、結構、ハチャメチャだった。

その日の昼間に一目ぼれして買ったクレヨンしんちゃんのエコバッグを
引きずって歩いていたようで、翌日見たら穴が開いていた。

なかなか、結構、ハチャメチャだった。

駅の外に出るとV6のグッズTシャツを着たグループがバイバイするのを名残惜しそうにしていた。
それから、同じTシャツを着た別の女の子が一人で家路についているのも見た。
ライブ会場のそばではなかったので、みんなで鑑賞会でもしたのかな、なんて思いを馳せつつ
私は、人に見られないように、少しだけ泣いた。

泣いても笑っても、11月2日0時はやってきて
ジャニーズの色々なページからV6という文字が消えた。

そしてその瞬間から三宅の健ちゃんがインスタを開設して、少しだけインスタライブをやってくれて、
始まった「新しい時間」を実感せずにはいられなかった。

私は、ずっとV6のライブに一緒に参戦していた友人に少しだけ電話をした。
(前述の友人とは別の子)
彼女とは中学で出会い、もともとはV6に興味のなかった彼女を私が誘う形でライブに連れて行った。
中学、高校、短大、そして社会人となっても二人で一緒にライブに行った。
お互いに付き合う人間関係や趣味が変化して、いつもいつも一緒にいることはなくなったが
それでもV6だけずっと一緒に大好きでV6だけはずっと特別だった。

彼女は今年、ママになった。
そして私は今年、夫の転勤で地方から関東へ引っ越すことになり、彼女と離れた場所で暮らすことになった。
そしてそんな年に私たちはV6ともお別れをすることとなった。
それでも今年のライブだけは都合をつけて、一緒に行った。
私たちが初めて一緒に行った思い出深い名古屋の公演に。

赤ちゃんのお世話や、寝不足になることも考えて
彼女との電話は短く終えたが、その数分がとても特別な時間だったように思う。
「人生は変わっていくね」と話した。
「明日からも生きていかなきゃね」と話した。
それだけで十分だった。


まったくV6と関係のない夢を見た。
AKBの倉野尾成美ちゃんが私の目の前で「根も葉もrumor」を踊ってくれて、私が本物だ~!と言っている夢。
起きた時、「何で?!」と独り言をつぶやいて、それから少し笑った。


それからは思っていたよりも「大丈夫」だった。
もっと毎日悲しくて、つらい思いをしてしまうのではと自分で自分を警戒していたが
案外「大丈夫」で、やらなければならないことは待っててくれないし
考えることも結構あったりなんかして、
なんか結構大丈夫じゃん、って思っていた。

サブスクで北斗の拳と仮面ライダー響鬼を見たり
解散発表からお世話になっているクレヨンしんちゃんばかり見ていた。
クレヨンしんちゃんに至ってはあの3月からずっと見ていて
最初は何も考えずに見れるものを・・・という感じで見ていたのがドはまりして(基本オタク気質なので)
今年の映画は一人で2度、見に行くくらいにはハマった。
この一週間はそんな感じで、関係ないものばかり見て、なんとなく「大丈夫」な日々を過ごしていた。


何の気なしに寄ったコンビニには、今月デビューのなにわ男子が表紙の雑誌が並んでいた。
そうか、デビューかぁとふと手にとるとV6ラストライブレポの文字。
なんとなく「大丈夫」な気持ちでページをめくると、あの日カオス状態だったカラオケの一室で見た光景が写っていた。
ダメだ、これ、泣く、と思って私は本を閉じて買い物かごに入れた。
それからビールを買って、家で飲みながら読んだ。
イヤホンでV6を流して。

笑えるくらい泣いた。
大丈夫だった1週間、そして明日からもきっと「大丈夫」。
だけど、たぶん、泣きたかった。
泣きたかった。

前回のV6の記事が予想をはるか超えて
とんでもない数の方々に読んでいただいたことで
正直相当戸惑ってしまって、
意図しない思いもよらぬ誤解をされた部分もあり、
何をどう書けばいいのか正直ずっと悩んでいた。
けれど今、この気持ちをアウトプットしないと、
いつかこの気持ちを忘れてしまったらもう、二度とこの気持ちを記すことはできないなと思って
2022年11月1日を1週間過ぎた今日、これを書いている。


最後のツアーはとても温かかった。
悲しみとか寂しさとか、そういう雰囲気よりもとにかく温かさがすごくて
楽しくて、笑って、最高だった。
だって終わった後のビールが美味しすぎたんだもん。
仲間と乾杯した後、笑いながら泣いちゃったもん。

出会えてよかったなあ。
V6と、V6のおかげで出会えた仲間たちと。
V6の歌と、V6の笑顔と。

大好きだったなあ、幸せだったなあ、愛してたなあ、
そんでもって今も愛してるなあ。

って、そんな風に。
想える、きっと死ぬ前にも思い出す。
彼らを長い間応援していようが、彼らが私の存在を知ることはなかったけれど
そんなことは重要じゃなかった。
私が出会えてよかったのだ、彼らに。


私の10歳から36歳までの年月を
時に刺激的に、時に優しく、愛で彩ってくれてありがとうとしか言えない。
デビュー当時は刺激が多かったけど、それはそれで大好きだったけど、最後のツアーはなんだかとても、愛だらけだった。

彼らの代表曲が『愛なんだ』なのがまた
上手くできてるな、なんて笑った。

明日からも生きていく。
心にはずっとV6がいる、なんて言っても、それでも
寂しくなる瞬間はきっとあるだろう。
でも、それでも、生きていく。
受け取った愛と数えきれない元気や希望を、誰かにまた伝えられるように。


とりあえず、私は

あの日穴を開けてしまったクレヨンしんちゃんのエコバッグを
ミシンで縫った。

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