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おそらく一生ステップもジャンプもしない

 あと数日で三十歳になろうとしている。去年「二十代最後の年だしいろいろやろうかしら。年相応とかね、わからんけども」という話を書いた→『年齢というもの』
 実際どうだったかというと、「これやったことなかったからやってみよう!」という行動をいくつかした。コスプレの水中撮影やコンスタントなポートレート撮影、引っ越しをして旅行にも行ったし、グッズを作って出展もした。人を誘って映画にも行った(基本ソロ活なのでだいぶ珍しい)。周りの人たちのように毎週毎月忙しい!ということはなかったが、能動的に予定を作れたのではないかと思う。
 その中で「やっぱりこの部分は譲れない、こだわっていきたい」「こういうことが表現したくて、そのためにはここが足りない」「これが好きな理由はこの部分がこうなってるから」と認識・分析できたことが沢山あった。めちゃくちゃ遅いと思う。それ何年やってんだとか、初回で気づけよとか。ポジティブに「遅咲きなんで」と言うのもはばかられるレベルだ。
 でも、この一年間で気がついたことは、二十八年間ずっと考えて来た結果だ。今までを総括した気持ちすらある。(ほぼ)二週に一回noteを更新し、考えを整理していたのも良かったのかもしれない。そういえばこのnote更新も、能動的にやってみたことの一つだ。
 一年でできた分析や得た気付きはおそらく、表向きには誰にも気づかれないことだ。きっと誰も見ていないし説明しても「そんな細かいこと」と思われるだろう。実は去年まではその「細かいこと」を捨ててしまおうかと思っていた。基本的には「長いものには巻かれろ主義」な癖に変なところはこだわりが強いので、自分でも「面倒くせぇな。伝わらんがわざわざ言うのもだせぇしよ」と思っている。それでもそこは絶対に譲れないよな、と思えたことは今までの自分を肯定できた気がして良かった。周りの人達が褒めてくれたのも関係している。みなさん本当にありがとう。お陰で私は変わらず変なところをこだわり、自分のことを天才だと褒めて行けます。今後とも応援よろしくお願いいたします。
 ホップ・ステップ・ジャンプで言うとまだホップに入る体勢を取ったレベルだ。しかも今後ジャンプまでするかと言うと多分しないと思う。「三十代一年目だからジャンプします!」とはならないのだ。やっぱり歩きで、たまに誰にもわからないぐらいのスキップで。

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