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タイサル!第11話「誰が誰だかわからない!個体識別の話」

みなさんこんにちは、サルの写真を眺めてはニヤニヤしているヒヨッコ研究員の豊田です。

今日は調査の基本、「サルの個体識別」についてのお話です。


■個体識別って?

私たち動物研究者にとって、個体を識別することは調査の基本中の基本です。行動を記録する際は「誰と」「誰が」「いつ」「どこで」「どういう状況で」「何をしたか」を記録します。

「誰と」「誰が」って、どうやって記録するのでしょうか?

答えは簡単で、全ての動物の顔を覚えて、名前をつけて、区別すればできます。私は調査期間中、この調査地に生息する5つの群れ、総勢400頭以上のサルたちの顔を覚え、区別し、名前をつけて識別していました。よく「サルの顔がわかるなんてすごいですね!」と言われますが、動物を研究している人はどんな種であってもみんな、対象の個体を見分けています。個人的には、人間の顔を見分けて名前を覚えるより簡単です。

もちろん初めからすぐにできるわけではありません。調査開始当初は誰が誰だか全くわかりませんでした。

そこで私は、サルたちに出会ったら、まずは手当たりしだいに全員の顔写真を撮りまくりました。どんな角度でもいいから何枚も撮ります。ひたすら撮り続けます。この段階では1日に3,000枚以上の写真を撮っていました。コツは、サルたちの顔を、ピンぼけ・ブレなく、顔のシワに至るまでくっきり撮影することです。どんな小さな傷でも識別の手がかりになります。

写真を撮ったら、部屋に戻ってきて、すべての写真を一枚ずつ確認します。そして、すべての写真総当りで「同じ顔」か「違う顔」かを判定していきます。

この子とも違う。

この子でもない。

この子とは顔の模様が違う。

この子はここに傷がある。

この子は毛色が少し違う。

.....

そんなことを繰り返しながら、すべての写真を割り振っていきます。

■個体識別のやり方ーベニガオザル編

例えばかなり目立つ怪我や傷跡があったり、特徴的な顔の模様だったり、瞳の色が違ったり、片目の瞳孔が開きっぱなしだったり、そういう明確な判断指標がある個体は識別が容易です。でもすべての個体にそういう指標があるわけではないので、その場合個体の一致・不一致の判定は、以下の基準を厳密にチェックしていきます。


・顔の特徴が少なくとも3つ以上一致すること

撮った写真を拡大し、「鼻の斜め45度下の位置に黒い点が3つ並んでいる」とか、「右の頬に赤い筋状の模様がある」とか、「左の目元に点が2つある」といった斑点の特徴や、「左の頬から目の横にかけてY字状のシワがある」など、細かい特徴をすべてチェックします。

図1

上の写真のように、顔の斑点ひとつひとつ、シワの一本一本までくっきり写っている写真が必要となるので、写真撮影技術は嫌でも日に日に向上していきます。識別見本となる写真には、この精度で撮られた写真が正面、左右の少なくとも3角度分は必要となります。


・乳首の数、色の組み合わせが一致すること

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実はこの調査地のサルたちには、副乳と呼ばれる第3、第4の乳首を持つ個体が結構な割合で存在します。なので、乳首の数は数えて識別情報に使います。また、乳首の左右それぞれについて、色が赤色と黒色の二種類あるので、この色の組み合わせをしっかり確認します。識別写真では顔の模様の詳細がわかるアップの写真と、乳首の数、色までわかる引きの2パターン撮影することが重要です。

上の写真では、乳首が4つ、いずれも黒、となります。右乳首が赤・左乳首が黒、という個体もいます。


・オスの睾丸の色が一致すること

オスは乳首に加えて睾丸の色が赤色と黒色の2種類あるので、これもチェックします。良い識別見本写真を撮るためには、オスが歩いている時に斜め前からカメラを構え、顔にピントを合わせつつ、足の隙間から睾丸の色が確認できる瞬間の写真を撮る必要があります。顔と睾丸の両方にピントが合った写真を撮るのは至難の業ですし、その場合は真横から撮ることになり、横顔になってしまうので、睾丸は色が判別できればヨシとします。顔の詳細情報があれば、睾丸のシワまで拡大して見る必要もないですし...

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上の写真は、顔が正面で撮れていて、赤い睾丸が確認できるので、条件はクリアです。撮影タイミングが命なので、その個体の歩き方のクセを見ながら、カメラを構える位置を見極めます。


■識別作業の実例

この作業は非常に過酷でストレスが溜まります。調査初期の私は、個体情報どころか、「その群れに何頭いるのか」という正解情報すら知りません。つまり、すべての写真が何頭に分類できれば識別が終わりなのか、全くわからないのです。ゴールが見えない作業を永遠と続けなければならないのです。

この作業の一部をご紹介しましょう。

まずは簡単な例から。

図1

この二頭、顔は非常にそっくりです。顔全体の模様の分布パターンはよく似ています。おでこにY地模様、目横から頬端にかけてのエリアは赤色、鼻周りは黒、鼻下アリアは赤....

でも、よく見ると、違う個体です。

左側の子は、左頬に、赤いラインが入る模様をしていますが、右側の子にはその模様はありません。左側の子は、下顎の模様は黒ですが、右側の子は赤です。右側の子は鼻上に傷跡があります。

パッと見は同じ個体に見えても、細かく見ていくと違うところがたくさんあります。



次はちょっとややこしい例です。

図2

この二頭も、全くの別個体です。どちらも顔が基本真っ黒で、頭のハゲ具合もそっくりです。最初、私はこの二頭を同じ個体だと勘違いし、黒いので「黒澤くん」と名付けました。

しかし、ある時観察していると、目の前に「黒澤くん」が2頭現れたのです!

一瞬頭が混乱しました。なんで分身してるの?と思いました。

しかし、そこで2頭並んで現れてくれたおかげで、私の識別が違っていることに気がついたのです。部屋に戻って、「黒澤くん」の写真を全て細かく見てみると、確かに2頭分、混じっていたのです。

決定的な違いは、毛色です。私は当初、「はい真っ黒ね、黒澤くんね」と思っていました。識別が簡単な個体だと思いこんでいたのです。毛色の違いは写真の撮影状況による色味の違いかなと思っていました(例示の写真はわかりやすいものを使用していますが、日の当たり方で結構色味が変わって見えることが多々あります)。しかし実際に毛色が異なる2頭が確かに存在することが、実物を見てはっきりと分かったのです。

ややこしいので毛色の明るい方を「黒澤モドキくん」と名付けました。

そうして私は、毛色の特徴から、「黒澤くん」と「黒澤モドキくん」を分離することに成功したのです。



しかし、悪夢は続きます。




今度は「黒澤モドキくん」が分身したのです!

図3

顔が真っ黒なオスのうち、毛色が黒いのが「黒澤くん」、毛色が明るいのが「黒澤モドキくん」と思っていたところ、顔が真っ黒で毛色も明るいという、「黒澤モドキくん」に合致する特徴を持つオスが2頭現れ、私はまた冷や汗をかきました。

「黒澤くん」は別のところにいる。毛色も明るいからこれは「黒澤モドキくん」のはず...なのに2頭いる...一体どうなっているんだ...

そこで今度は「黒澤モドキくん」の写真を一枚一枚丁寧に見比べました。すると、鼻の左側に、切れ込みが入っている子と、そうでない子がいることが判明しました。「黒澤モドキくん」の中にも、2頭分の写真が紛れ込んでいたのです!切れ込みがあるのは上の写真の右側のオスです。

黒澤モドキのモドキなので「黒澤モドキダマシ」という名前が良いかなとか思いつつ、流石にややこしいので、鼻の切れ込みがない方を「黒田くん」と名付けました。

そうして、無事に真っ黒いオスを3頭に識別する事ができました。






ちなみに...






しきべつ4

話はここで終わりません。個体識別が進むにつれ、”顔色も毛色も似通ったオス”というのがいっぱいいることがわかってきたのです!

...さすがにキリがないので続きはやめておきます。


とにかく、ひたすら見本写真との一致不一致を判定する作業を繰り返す作業を延々と繰り返します。個体識別表をゼロから作るという作業は本当に時間がかかる、骨の折れる仕事です。教科書を読まずに見たこともない漢字を勉強するようなものです。

調査初期には写真データも少なく、勘違い・識別ミスがたくさんあったので、気が狂いそうな毎日を過ごしていました。


...長くなってしまいましたので、続きはまた次回。お楽しみに!

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