きい/アートライター【日々是藝術】
訪れたことのある町、好きな町、いつか行きたい町の記録。国内・海外問わず。
仕事(日本語教師)のこと、日常のこと、エッセイなど
自分が描いたもの、作ったものの紹介。ジャンルはいろいろ!
大学で学んでいる「作品研究」「作品分析」「芸術批評」などを中心に。
こんにちは。「きい」です。Piacere. 【日々是藝術】とはタイトルの《日々是藝術 ~にちにちこれげいじゅつ~》は、《日々是好日 ~にちにちこれこうじつ~》のもじりです。 ※Note新参者につき今ひとつ使い方が把握できておりませんが💦、ブログではないのでタイトルは不要なのですね。でも、何をメインに発信しているのかが初見で解る方がよかろう、と思いまして。 日々是好日は簡単にいうと「毎日が良い日です」という意味ですが、もっと丁寧に説明すると「目の前にある物事が喜びであろうと
碁盤の目の暮らしと、残ったもの、滅びたもの 1994年、地下60cmのところから平安京大極殿の基壇が発掘された。少し掘削すれば1200年前の遺構が出土する、京都という土地のポテンシャルは驚異的である。今は鉄柵で囲われた空地に石碑が建つだけだが、確かにそこに皇居と政治の中心地があった。大極殿を含む朝堂院は、規模の縮小こそあれ平安神宮を訪れることでその姿形を目にすることができる。 では、平安宮の外側の碁盤の目では、誰がどのように暮らしていたのだろうか。そして、桓武天皇の遷都から
「かわいい」という概念をかき乱す存在が世間を騒がせている。2025年に開催される大阪・関西万博の公式キャラクター「ミャクミャク」だ。ビジュアルのインパクトは、奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」に匹敵する。その造形的な特徴と、「かわいい」という概念の関係を考察したい。 「かわいい」とは? 「かわいい」は、多くの人にとって、小さいものや幼い者をいつくしみ、愛らしく思う気持ちを表す言葉である。特徴としては、二頭身か三頭身で、顔立ちは丸っこくて柔らかそうで、目鼻の位
リグーリア州 ポルトヴェーネレ 海と山の間の狭小地にびっしり建ち並ぶカラフルな家並み。 イタリアには、そんなフォトジェニックな港町がたくさんある。北イタリア・リグーリア州ではCinque terre(チンクエテッレ)が観光客に人気だが、この年(2019年)はPorto venere(ポルトヴェーネレ)という町に立ち寄ってみた。 海を向いてズラリと横並びで建つ「背の高い」カラフルな建物群は、圧巻だ。この建物群の「高さ」が、他のカラフル港町とは違う。まるで暴風壁か城壁のようだ。
https://news.livedoor.com/article/detail/23077420/ 最高裁判決出た!あたりまえだ。練習中のへたっぴ(失礼)な演奏に「聴衆に聴かせることを目的とした」演奏料の支払い義務なんてありえない。でもあたりまえなのに、こんなに時間がかかるなんて…。 https://note.com/arcobaleno_802/n/n5d352c16ae46
19世紀に活躍した印象派に属する女性画家メアリー・カサットの《オペラ座にて》を、視点と視線というテーマで分析したい。 【造形】~何がどのように描かれているのか~ まずは造形的な特徴から捉えてみる。オペラ座の桟敷席(ボックス席)で、右手にオペラグラスを持ち、何かを熱心に鑑賞する女性が描かれている。女性はマチネ公演用の黒衣をまとい、左手に握った扇子は閉じたままで、女性らしい華やかさを演出する要素は見当たらない。この黒衣の女性をメインモチーフに、背景的な要素として他の桟敷席
西洋美術史における最も大きな変化は、対抗宗教改革がもたらしたバロック美術の誕生とカラヴァッジョの登場だろう。理由は、バロック美術が絵画ジャンルの多様化を促し、後に巨匠と讃えられる多くの芸術家を輩出するきっかけになったからだ。 光と闇の魔術師が産んだ宗教画の新しいカタチ カラヴァッジョ《聖マタイの召命》 16世紀半ば、プロテスタントの新興に対しカトリック教会は、教会芸術の革新で巻き返しを図った。民衆に信仰心を植え付けるため、画家たちに「わかりやすく、感情に訴える劇的な表
音楽教室VS JASRAC事件に見る「作家の権利」と「音楽の未来」教育のための演奏に、演奏料!? 絵画や文学作品などの著作物を「学校で教育のために使う」場合は、使用料を支払う必要はない。音楽も同様であり、授業や合唱大会、卒業式などで使用する楽曲に著作権の切れていないJ-POP等を選ぶ小中学校は多い。こういった現状をふまえて、裁判所の判決に違和感をおぼえた「音楽教室対JASRAC事件」(令和3年3月18日 知財高裁)を取り上げる。 同事件は、ヤマハを中心とした音楽教室を
ポリマークレイという樹脂粘土を組んで、ミルフィオリ(どこを切っても同じ模様が出るいわゆる金太郎飴状のモノ)を作り、作品に仕上げるという手工芸を長年やっている。 以前はネックレスやピアス、ブレスレット、リング、ブローチなどのアクセサリーが多かったが、最近はもっぱら帯留めに特化している。というのも、需要があるからだ。 ↑ミルフィオリ(金太郎飴状のもの)をつくり、↓作品(帯留め)に応用 ちょっと前までは和装といえば、高額、自分で着られない、特別な日の装い、といったイメージ
コンビニでも自動販売機でも、駅の改札を通るときも、スマホでピッ。電子マネーが普及した昨今、現金払いをする機会はめっきり減った。しかし、近い将来完全なキャッシュレス社会になるのかといえば、それは違うと思う。もともと高額品はカード払いが主流だし、安全面を考慮すると大金は持ち歩きたくないものだが、小銭の出番がなくなることはないからだ。 4月の京都旅行を思い返してみる。寺社仏閣の拝観料は現金でしか払えないし、お参りにはお賽銭が必要。おみくじを引くにも千円札をくずさなくてはならず
もう、いいじゃないか、みんな使っているんだし・・・の 「らぬきことば」 言わずと知れた、長年問題視されている日本語文法上の「誤用」の、もっともポピュラーなヤツ。見れる、食べれる、といった、一段動詞を可能形にしたときの活用ミスだ。 正用は「見られる」、「食べられる」。 なのだけれど、この一段動詞を可能形にする場合は、尊敬の~れる、~られると作り方が同じなので紛らわしい。 「見れる」「食べれる」などは、ひとつの可能動詞として容認してもいいのではないかという流れがあるのだそうだ。
19世紀末から20世紀にかけて巻き起こった芸術の革命「アヴァンギャルド」の、戦時下の受難について思うことを書いてみる。 アヴァンギャルドとは? 目に見えない芸術家の内面が表出した「表現主義」、フランスの表現主義「フォービズム」や意味を否定する「ダダ」、意識のもとではコントロールできない領域を現す「シュルレアリスム」。これらの芸術動向を含んだ広い意味でのアヴァンギャルド=前衛芸術は、19世紀の終わりごろからテクノロジーが目まぐるしく変化する社会の中で、芸術家が絶対的な存在
イタリアの町① シチリア州 パラッツォ・アドリアーノ 『ニュー・シネマ・パラダイス』というイタリア映画をご存じだろうか。シチリアの小さな村を舞台に描かれたジュゼッペ・トルナトーレ監督の不朽の名作で、日本では1989年に公開された。 民衆の娯楽といえば、映画くらいしか無かった時代。村に1館だけある映画館『パラダイス座』の映写技師と、映画好きな少年との友情をテーマに前半のストーリーは展開する。そのロケ地となったのが「パラッツォ・アドリアーノ」だ。 パラッツォ・アドリア