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《聖マタイの召命》と《天秤を持つ女》で読み解くバロック美術における絵画ジャンルの多様化

 西洋美術史における最も大きな変化は、対抗宗教改革がもたらしたバロック美術の誕生とカラヴァッジョの登場だろう。理由は、バロック美術が絵画ジャンルの多様化を促し、後に巨匠と讃えられる多くの芸術家を輩出するきっかけになったからだ。

光と闇の魔術師が産んだ宗教画の新しいカタチ
カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

《聖マタイの召命》サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会(ローマ)

 16世紀半ば、プロテスタントの新興に対しカトリック教会は、教会芸術の革新で巻き返しを図った。民衆に信仰心を植え付けるため、画家たちに「わかりやすく、感情に訴える劇的な表現」を求めた。この対抗宗教改革がバロック美術の原点だが、カラヴァッジョは誰にでも理解できるよう写実的に、ダイナミックに宗教画を宗教画らしく描いただけではなかった。代表作《聖マタイの召命》を取り上げ、その図像を考察してみる。
 まず、印象的なのは彼の代名詞でもある強烈な「光と闇」だ。また、描かれた人物の衣服は当時の一般市民と同様で、これまで宗教画に描かれてきた聖人とは全く異なる。聖書の一場面を近所の酒場の光景のように表現することでリアリティを持たせ、鑑賞者に親近感を抱かせたのだろう。

真相は未だに謎。どっちが『マタイ』?

部分拡大図
「えっ、私ですか?」それとも「あっ、コイツですか!」

 一見風俗画のようであっても、絵のタイトルを見れば向かって右側の光輪のある男性がキリストだと判る。しかし主人公マタイがどの人物なのかについては、今でも見解が割れている。長い間、「えっ、私ですか」と自分を指差す、髭をたくわえた男性がマタイとされてきたが、1980年代になって、左側のうつむいている若者がマタイではないか、という説が有力になっている。徴税人マタイは、帽子を被っていない(ずっと室内にいた)ほうが自然で、髭の男性が指差しているのは己ではなく、うつむいて手元のお金を見ている男の方である、と。この絵画は、主題を「読み解く」面白さまでも、鑑賞者に提供してくれているのである。
 カラヴァッジョの卓越した写実性と明暗法は、彼の作風に心酔した追随者「カラヴァジェスキ」によってスペイン、フランス、オランダにも広がった。しかし、宗教改革後プロテスタントの傘下となったオランダでは、バロック美術は独自の発展を遂げることになる。偶像崇拝を排斥し、パトロンとなる王侯貴族も存在しないオランダでは、貿易で豊かになった市民の間で芸術ブームが起こった。大きな祭壇画ではなく、家に飾れる小さめの、身近な主題の絵が好まれたのだ。「風景画」「風俗画」「静物画」「肖像画」などである。宗教画か王侯貴族の肖像画に偏っていた絵画のジャンルが多様化したのだ。

市民の日常、のように見せかけて実は・・・
ヨハネス(ヤン)・フェルメール《天秤を持つ女》

《天秤を持つ女》ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C)

 17世紀半ばにオランダで活躍したフェルメールも、カラヴァッジョの影響を受けた画家のひとりである。《天秤を持つ女》は、上流階級市民の日常を描いた風俗画だが、随所に隠されたアレゴリーを読み解いていくと、違ったジャンルにも思える。背景に《最後の審判》の画中画があり、修道女を思わせる白いベールの女性の手に、何も置かれていない天秤。これは、最後の審判の際に人間の魂を測る大天使ミカエルの天秤を意味するのではないか。そしてその天秤が見事なまでに絵の中心に配置されている構図も、宗教的な寓意性を暗示している。

 宗教画を風俗画のように描いたカラヴァッジョがジャンル多様化の先駆けならば、風俗画の中に宗教的メタファーを盛り込んだフェルメールは、多様化の先のジャンルの融合なのかもしれない。


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