読書感想文(308)板野博行『眠れないほど面白い百人一首』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は、数年前に読んだ本を読み直しました。
久しぶりに百人一首を読もうかなーと思ったことがきっかけです。

感想

改めて、百人一首ってやっぱり良い歌が多いよなぁと思いました。
全てに感激するわけではないのですが、表現が秀逸で美しかったり、歌意が非常に的を射ていたり。

今回最も印象に残ったのは「つき」こと「月見れば千々に物こそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど」です。
これは『白氏文集』にある「燕子楼中霜月夜 秋来只爲一人長」という句の翻案とされます。
しかし元の漢詩は「一人の為に長い」と言うのに対して、「つき」は「自分一人の為だけの秋ではないけれど」と言います。この遠慮する感じが、なんだかとても日本人らしく感じます。
そして、頭ではわかっているけれども、やはり自分一人だけのように思ってしまう、孤独な悲しさが伝わってきます。

他に印象に残っているのは「あらし」こと「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり」です。これは叙景歌として素晴らしいのですが、印象に残ったのは作者の能因法師についての話です。
能因法師は歌枕と呼ばれる、和歌に詠まれる名所を巡る旅人だったそうです。つまり、現代風に言えば聖地巡りをするオタクです。このオタ活は西行や松尾芭蕉といった有名人にも引き継がれています。

あとは、元々好きだった歌として「たき」こと「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」があります。
これは三舟の才で有名な藤原公任の作です。彼は道長と同じ時代に生きていたので、出世はある程度しか望めません。
だからこそなのかわかりませんが、芸術の才能が溢れています。
そんな公任が「実体は無くなっても、時代を経て尚評判は高く聞こえてくる」と詠み、その歌が実際に千年の時を経て我々現代人が名歌として味わっているのは感慨深いものがあります。
これを読みながら、『山月記』の李徴を思い出した。

最後にもう一つ、「おうこ」こと「逢ふことのたえてしなくばなかなかに人をも身をもうらみざらまし」を紹介します。
会うことが全く無くなれば諦めもつくしそのうち忘れられるのに、中途半端に時々会ってしまうからかえって相手のことが恨めしく思うし、こんな自分のことも恨めしく思ってしまう、という意。
三十一文字で非常に的を射ており、共感できる内容だと思います。

おわりに

百人一首は内容もバラエティに富んでおり、良い歌が多いので、義務教育で全て覚えるくらいにしても良いような気がします。
もっと言えば、小学生辺りで競技かるたを必修にするべきだと私は本気で思っています。まだまだ競技人口が少ないですが、国民スポーツとするべきです。
お正月のかるたも一層盛り上がることでしょう。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?