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【渋谷区】原宿・旧池田邸と中央図書館と東郷神社

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原宿の渋谷区立中央図書館です。

私に個人的な夢が許されるとするのであれば、毎日図書館に入り浸って、本を読んだり居眠りしたいですね。

朝に図書館行って昼飯は外でたべてまた図書館に戻ってという感じで。そういうオジサン結構いるんですけど。

今は社会の変化によって図書館の座席を一日中占拠することはできなくなりました。最長でも4時間くらいかなと思います。

コロナの世の中になっちゃったら図書館も閉鎖だから、公共施設に頼るのも非常に脆いものなんだなと思いました。頑健なように思えていたけどそうではなかったという都会の脆弱さですよね。

現在の地図です。図書館は竹下通り、東郷神社の北に位置します。

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明治初期(明治9~19年)(1876~88年)

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茶畑ですね。けっこう広大な茶畑が広がっています。このあたりは起伏もある地形です。竹下通りあたりから図書館まで10mの高低差。

竹林もありますね。まさか竹の下だから竹下通りとか?


明治後期 (明治39~42年)(1906~09年)

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竹下通りの原型がすでにあります。意外に歴史があるのが竹下通りです。

若者の街原宿のメインストリートは表参道や明治通りより歴史がありますね。

地図には池田別邸とあります。

池田家は関ケ原の戦い以降、池田輝政の弟、池田長吉が鳥取藩を作り、上野に残っている黒門は池田家の表門です。

ここは別邸なので門はこの場所にあったわけではないですが。

上野の旧池田邸表門

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敷地内のお鷹場では明治 8年(1875)に明治天皇の行幸があり名高いものであったといわれています。

原宿池田侯爵邸の設計は明治45年に始められました。


大正時代(大正5~10年)(1916~21年)

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大正6年(1917)本邸が完成 戦災で焼けるまでの20年、貴族邸宅の標本と言われたそうです。

邸宅と庭園の設計は 長岡安平

東京の公園の設計に40年以上かかわっていたようです。

古い地図を見ていみると古の公園設計者との出会いがあります。

新宿御苑の福羽逸人、日比谷公園の本多清六、明治神宮の上原敬二。

この時代は林業全盛期だったという時代背景を知りました。


戦前(昭和3~11年)(1928~36年)

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昭和 12(1937)年には敷地内に海軍館が建設されました。

昭和 15(1940)年には東郷神社が創建、残されていた池田邸宅も昭和 20(1945)年に戦災により焼失。

大体の場合、東京の歴史的建造物は戦災で焼失してしまうので残念です。

島津邸の北、309のあたりに独立した針葉樹のマークがあり、これは大正時代からあるのですが、気になりますね。名物の杉かヒノキがあったのかな。戦後の地図にはないので、焼けてしまいましたね。

この時期に明治通りはできているんですね。

今から10年くらい前に80歳くらいの人から聞いた話ですが、この辺りも空襲が激しく、亡くなった人が多数いて、焼夷弾により溶けたアスファルトには人の足跡がたくさんついていたようです。

その方はある有名歌人を親族に持つ方で、その歌人を検索したら顔がそっくりでしたね。


高度成長期直前(昭和30~35年)(1955~1960年)

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旧池田邸の敷地には学校ができ、新興宗教ができました。東郷神社もできました。旧池田邸の敷地の広さが際立ちますね。

東京オリンピック(1964年)前のこの時期は、今の代々木公園はワシントンハイツと称され、在日米軍施設であり、米軍関係者の住居になっていました。

周辺のお店も近隣住民のためのお店ばかりだったようです。

表参道にキディランドがありますが、ここはワシントンハイツ居住者が主に利用する雑貨店だったとか。キディランドも歴史が深いんですね。

バブル期(昭和59~平成2年)(1984~1990年)

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また原宿近辺は様変わりしました。80年代といえばバブル絶頂期を迎え、タレントショップが軒をつらねていた時代です。

表参道は歩行者天国となっていました。

なるほど、原宿ロカビリーの源流はアメリカ軍の施設関係の流れがあるんだと気が付きました。

さてこれは先日の東郷神社境内です。

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東郷神社待合室

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娘は東郷神社で七五三をしていただきました。

東郷元帥閣下、なにとぞお見守りください。

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