後ろを見ながら前を向く。

新年明けましておめでとうございます。

例年大晦日~元日にかけて実家に帰る生活をしており、
今年も例に漏れず帰省しております。
今の家から一時間もかからない実家ですけれども。

夜型というほどではないもののどうにも寝付けず近所を徘徊してきました。

どにも向かうわけでもないけれどもとりあえず歩き出し、
祭りがあれば神輿が出る近所の小さな神社に行って丑三つ時の初詣。
前職に残してきた部下の幸を願い。袖で拭うくらいちょっと泣いた。
しゃがみこまなかった自分えらい。

とぼとぼ歩いて、同級生の家、先輩の家、後輩の家、
建て替えていれば今も住んでいるんだなと思い、
そのままであれば出てっちゃったんだなと思い。
あるんだかないんだかわからない同窓会の存在も知らず、昔を思い出す。

昔歩いた道がなくなることはないけれど、
信号がなくなっていったり、
新しい道ができていたり。
変わったなーと思いながら、
通った小学校、中学校、幼稚園と思っていたら、
幼稚園がなくなっていたり。

あの小説あのシーンはここをイメージして読んだなとか、
昔憧れてた先輩の家は建て替えたんだなとか、
あの階段で今思えば恋人ごっこしたなとか、
学校帰りはこの公園で遊んだなとか、
あの家の柿の木が道にはみ出してはみ出した分の柿をよく拝借したなとか、
返したことないけど、
あの時間に家を出ると当時好きだった後輩とこの道で一緒になれたなとか、
よじ登ったフェンスとか、
転向した子宛に手紙を書いた体育館とプールの隙間とか、
部活を中抜けした体育館裏とか、
バク転練習した体育倉庫とか、
帰り道ショートカットしたくてすり抜けたフェンスとか、
あの美人姉妹の家はまだあるんだなとか。

近すぎてたいして帰らない実家だけど、
間違いなく原点だし、
母親の自転車の後ろに乗せられて通った幼稚園、
毎日相棒の小石を決めて蹴りながら通った小学校、
会えたらいいなと思ったり、
恋人ごっこもどきの下校をした中学校。
それぞれに重なる通学路をたどりながら。

当時は自分の世界のけっこうな範囲を占めた世界だったけど、
こうして元旦の夜更けに通しで歩けてしまうくらいの狭さだったりする。
幼稚園から数えて30年、
中学校から数えて20年、だいたい。
今なら一都三県は好きに移動できるし、
タイミング次第では海外のどこでだって誰かと再会できる。
ロンドンであれば都内と同じくらい自由に歩ける自信がある。
世界は確実に広がっている。

歳を重ねるってそういうこと?なんだなーとちょっと思う。
そういうことってどういうことって言われたら怪しいのだけど。

歳を重ねれば世界は広がるし、
その分出会いと別れがある。

会えてよかったと思う出会いもあれば、
良くも悪くも何で出会っちゃったんだろと思う出会いもある。
清々した別れもあれば、
未だに引きずる別れもある。

消化できた出会い別れ、
未だに消化できない出会い別れ。

携帯のアドレス帳を整理せずにずっときたら、
どっちもちょっとした数になるんだと思う。

糧になったり枷になったり、
どっちもなかったら今の自分は存在しなくて、
良くも悪くもどれだけ重くても、
抱えて、背負って生きていかなければならないんだと。

新しい人生には後ろ向きに入っていくって、
大学の同期が10年前くらいに言っていたのを未だに覚えていて、
本人は覚えていないと思うけど、
今まさにそんな状態。

今までのことは全部背負うし忘れない。
でも前には進む。
泣いてる場合じゃない。
でも泣いちゃいけないわけじゃない。

矛盾しているようで矛盾してない。

全部自分。全部間違ってない。

がんばる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?