1997年 「はこのなかのともだちてん」「アランジブックス」
アランジアロンゾ設立6年目!大阪の古ビルでこっそりひっそり商ってたアランジに東京の出版社さんや広告屋さんやギャラリーさんからお声がかかります。
あー、忙しい、忙しい
『アランジ アワー』の連載が、絵本雑誌『ね~ね~』で始まりました。『MOE』と『まんがくらぶ』での連載も加わり、それまでとは違った忙しさに追われるようになりました。商品のアイテム数もどんどん増えていきます。
新しい事をするのは楽しいです。仕事をしていると、脳のどこからか危ない物質がドクドク出てきて、もう楽しくて楽しくてたまらない気持ちになります。
けれどもあまりに忙しすぎると、怒りっぽくなって周りの人に迷惑をかける事になりました。
もともと、私達は怠け者の種類の人間なのに、無理をしているからでしょうか。
仕事の相手先の人が休暇をとってバカンスに出掛けたと聞いては、うらやましくなって怒り、「すべて、自分達がやりたくてやってる事なので、誰にも怒れないやんか!」といっては怒り、めちゃくちゃです。
雑誌『ねーねー』でまんがを連載その後、本になりました。かぱちゃんやかぱぱ、ちゅーこちゃんなど、アランジアワー生まれのキャラクターも。
雑誌『MOE』連載中、お便りがどっさり!嬉しくて読みふけるカッパ。
ライセンスって何?
「ライセンスで物をつくりませんか? 広告に使わせてくれませんか?」。聞き慣れない言葉でした。私達はあまり物を知りません、物知りの反対の物知らんです。
要するに、カッパやしろうさぎの絵を使って、他の会社が商品をつくったり、パンダやクマが何か商品を宣伝したりする事のようでした。
商品をつくるのが楽しくて会社をしているのに、その楽しい事を手放すのは、つまらないと思いました。広告はよくわからないのですが、カッパやパンダに、意にそわぬ事をしゃべらせたりするのがなんだかかわいそうな気がしました。
だからそういうお話をいただいても、たいていは「ライセンスに関しては、今のところ、もごもごもご」と言葉をにごしていました。
それにしても、テレビアニメでも、大手メーカーのキャラクターでもなんでもない私達に声をかけてきてくれるのが不思議でしょうがありませんでした。
そんな不思議な人達はおもしろい人も多く、私達のどうにも偏った考え方を、なんとか理解してくれる人もいて、自分達だけではできないような事を一緒に楽しんでできるのなら、ライセンスとかいうものもいいものかもしれないと思い始めました。
大阪梅田に地下街『ディアモール大阪』のキャンペーンガール、ネコ。きいろネコの他にグレーネコもいい仕事してました。
原宿にあった『キッズラフォレー』クリスマスDMではベッドのふかふか具合を確かめるルドルフ。
『渋谷パルコ』はパンダ。おしゃれファッションビルに起用されたというプレゼントに大喜び。「やっちゅうー」は小学生男子のよろこびのおたけびから。
超ファンシーな『はこのなかのともだちてん』
原宿の同潤会アパートにあったギャラリー『Rocket』はかっこいいギャラリーです。こんなふうに書くとあまりかっこよくきこえませんが、かっこいい催しものをしていた伝説的なギャラリーです。そのかっこいいスペースでアランジが個展を開かせてもらえる事になりました。今までは大阪の自分たちの店での、常連さん相手の、こっそりしたてんらんかいしかした事がありません。
自分達をアーチストだと思った事もありません。でも、楽しそうです。いろいろな人に見てもらえるよい機会です。
ぬいぐるみをいっぱいつくりました。普段つくる必要のないマイナーなキャラクターもつくりました。箱に入れると展示っぽい気がしたので箱をつくってその中にぬいぐるみ達に入ってもらいました。
私達はアーチストではありませんが、唯一アートっぽいことといえば、グッズをつくってその販売方法まで自分達でデザインする事、それ自体。「こんなやり方もあるよって実際に世間に提示していく事」、「こんなふうに物を作って売っていくのが自己表現なのかも?アートかも?いや違うかな?そうかな?」と思っていました。だから、やっぱりグッズもはりきってつくってしまいました。パンフレットや、ポストカードなどです。
売れてしまいました。かっこいいギャラリーが期間限定のお店屋さんのようになってしまったのです。お客さんもいっぱい来てくれました。
この個展で初めてアランジを知って、好きになってくれた人もいました。とてもすごい物をつくっている人も何人か見に来てくれて、「いいねー」といってほめてくれて、友達になってくれました。
「ああ、嬉しいなぁ」とちょっといい気になっていたその時です。「超ファンシーだな」。決して、褒め言葉で言っているのではないようでした。吐き捨てるような冷たいものいいです。そんなにファンシーを嫌わなくても。
何か、身の程をしらされた感じがしました。暗い気持ちになりました。超ファンシー、超ファンシーです。悪意のこもった超ファンシーです。
新しい悪口です。斬新です。すっかりやられてしまいました。英語でいったら、スーパーファンシー、あれ?なんだかかっこいいような気もしました。ファンシーを超えたのです。なら、まぁ、いいか。
『はこのなかのともだちてん』はとても暑い6日間でした。真夏にクーラーが壊れていたのです。写真ではわかりませんが。
アランジ ブックス
ある時、本がつくりたくて、つくりたくてしょうがなくなりました。どんな本ができるのか自分達でも見てみたくてしょうがありません。カッパの本はどんな本なのでしょうか、ああ、読んでみたい、今までなかったような本、つくるしかありません。
でも、本は自分達だけでつくるのはとてもたいへんそうです。好きなように本をつくってもいいよ、といってくれる出版社さんを探さなくては。ただ、つくりたい、つくりたい、といっててもそりゃ無茶なので、こんな本をつくりたいんです、という企画書を持って出版社さんを回る事にしました。
その時は、どう考えても、同時に3冊出さねばならないような気がしました。思い込んでしまったのです。
ゆずれません。でも、売れるかどうかわからないような本を3冊も出してくれるところはあまりありませんでした。「そのうちね」といってくれるところはあったのですが、今、今つくりたかったのです。
ベネッセさんがつくってもいいよ、といってくれました。しかも、好きなようにつくらせてくれたのです。
アランジ ブックスが本屋さんに並んだ時は、とても嬉しかったです。嬉しさのあまり、取り乱してしまわないように気をつけていました。
『うさぎのちいさいともだち』を見てつくったフエルトマスコットを抱えるしろうさぎ。不器用なしろうさぎでも作れる画期的な手芸本。
このころの商品たち
ホーローの食器はかわいくて好きなので、国内のあるホーロー業者さんに見積もりをお願いしました。「こんな絵柄なんですけど印刷できますか?」とイラストを渡しました。結局、値段があわず、その時はつくらなかったのですが、数ヶ月後、そのイラストのホ−ロ−製品がなんと、パリの雑貨屋さんに並んでいたのです。業者さんが中国の工場にイラストを渡してしまい、工場が勝手に作って、パリに卸していたのでした。それを知らずに神戸の雑貨屋さんはパリから仕入れて『パリの食器』として売っていたり。びっくり! ひどい話です。が、悔しい事にかわいい食器でした。
そんな事があってもやっぱり、ホーローの食器がつくりたくって、違う業者さんにお願いしました。中国の工場はこわいので、印刷だけは国内でしてもらう事にしました。とてもかわいく出来上がりました。と喜んだのも束の間、マグカップの縁がぞわぞわしていたり、取っ手がとれかけていたり、たいへんです! それに、食器のくせにごしごし洗うと、絵がはげてしまうものもあります。なんで? 不良品がかなり混ざっていたのでした。検品をすると、半数近く不良品が出ました。かわいいのに、悲しかったです。
「なんか好き」な商品たち。マチつき帆布バッグは初期の名作(自分たち基準)のひとつ。とにかく全体の大きさといい、マチの厚さといい、くたくたしてるのに自立するたたずまいといい、シンプルなイラストの入り方といい「なんか好き」。アルミのお弁当箱とおそろいのお弁当入れも素朴すぎる感じが「なんか好き」。七宝のアクセサリーは職人さんが一個一個手作りで、これなんかもう見てるだけで「なんか好き」がわきあがってくる。
ついでにちょっと宣伝、マチつき帆布バッグ今でも売ってます。「なんか好き」だから作り続けてます。
https://shop.aranziaronzo.com/shopping/03199
お弁当箱や、七宝も作り続けたいのだけれど、作ってくれてた工場がやめちゃったり、職人さんやめちゃったり、大人の事情で今は作っていないです。
いよいよ全国ツアーへ!の1998年へ続く
読んでくれた上にサポートまでしてもらえるとは!うれしいです!カッパやわるものたちの小遣いにします。