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「ダンディ」な男 ~追悼・宝田明~

 月日が経つに連れ、俳優さんやスタッフといった「昭和の怪獣映画を語れる人物」の訃報を聴くようになる。寂しい話だ。そしてとうとうこの方が亡くなられてしまった。本当に急な話だった。

 初めて宝田氏を観たのは『怪獣大戦争』P-1号パイロット・富士役。この映画はニック・アダムスと水野久美との話が逸話としてよく語られるが、そのニック演ずるグレンとの軽妙な掛け合いをしつつ、妹の彼氏だが何とも頼りない発明家・哲男(久保明)の前には兄として頑とした態度を見せる。これがサブキャラである哲男側のドラマを引き立てる役柄にもなっていて、これは脚本の妙であると共に主人公としても丁度いいポジションにいるという美味しい役だった。

 次に思い浮かぶのは『世界大戦争』の航海士・高野役。星由里子演ずる冴子と恋に落ち、華やかな公園で仲睦まじく交わされる二人の会話は、観ているこちらが思わず恥ずかしくなるほど。しかしその熱愛が描かれれば描かれるほど、後半にやってくる「二人の意図しない別離」という悲劇が際立つ。やがて、世界大戦突入かという絶望の淵に立たされながらも寄り添えない二人。船の上で居ても立ってもいられなくなった高野は、自らの部屋にあるアマチュア無線に向けてモールス信号を送る。「サエコ、コウフクダッタネ」……これだけのことをやっても何一つ臭さや嫌味すら感じないのは、やはり宝田氏自身が持つオーラに他ならないだろう。

 その一方で、どこか洒落っ気のあるキャラもしっかり演じてしまうのが宝田氏の面白いところで、例えば『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』の吉村は、金庫破りの腕を生かして悪の秘密結社すら煙に巻くようなキャラクターだった。『100発100中』はあいにく未見だが『ゴジラ FINAL WARS』ではそれをネタにし、日本人初の国連事務総長という一見真面目なキャラでありながら、ペットの犬の話を持ち出されると急にフランクな態度になるどころか、主人公達のピンチに二丁拳銃で現れ
「こう見えても、昔は百発百中と言われた男だ!」
と分かる人には分かるネタで颯爽と参上する(※監督のアイデアらしい)。映画自体の持つヘンテコなテンションに合わせたかのような、そんな役柄であった。二枚目ではあるが三枚目な面も見せられる、至極真面目な役どころをしっかり演じる風格を持ちながらも、コミカルさが必要なときにはきちんとそれに徹するという器用さ。この幅の広さこそが宝田明氏のスターたる所以ではなかろうか。

 宝田氏はしばしば「ダンディ」と称される。が、英語の「dandy」には「おしゃれに気を使いすぎている男」「ナルシストっぽい中性的な男」という意味も込められ、むしろマイナスイメージの言葉になるらしい。では日本でいう「ダンディ」は何と表現すべきか? その例を引用すると、

・a sophisticated man:洗練された男性
・a witty and refined man:機知に富んで洗練された男性
・stylish:ファッションが優れている
・cool:かっこいい

ことばの疑問を解決するサイト「スッキリ!」より

 宝田氏が演じてきた人物は全て当てはまるのでは? と思えてならない。やはり氏は「ダンディ」なのだ。

 晩年は舞台をこなしつつ、各地で『ゴジラ』を通じて反戦を訴える等の講演活動を行っていた。しばしば各種メディアに出演される際もそのエピソードを語られていたが、時おり氏の語る
「試写の時に『ゴジラが可愛そうだ』と思った」
という逸話を聴くたび、それは原作者・香山滋氏にまつわる話では……と疑問に思うこともあった。

 しかし氏が抱く反戦思想の原点は、旧満州時代で終戦を迎えた過去から来ている。ソ連の侵攻により関東軍は武装解除され、現地は無政府状態と化した。自身もソ連兵から銃撃を受けて脇腹を負傷し、麻酔もせずに弾丸を取り出したという。その激痛たるや想像も付かない。また同じ社宅で女性が暴行を受けているさまを目撃し「あの嫌悪感は絶対に忘れられない」とも語っている。

 傷つけられた相手への恨みは一生消えない。私は助かったが、愛する家族や友人を殺された人の恨みはもっと深い。逆に、自分が傷つければ相手の恨みが残る。「やった」「やられた」が繰り返されていく。戦争とはそういうものだ。

東京新聞 2015/03/03の記事より


 先に挙げた香山滋氏の逸話に限らず「ゴジラが可愛そうだった」という反応は、既に54年の封切時から観客の声として「なぜゴジラを殺した?」というという意見と共に存在した。そして今改めて初代ゴジラを観ると、ゴジラ自体に恐怖を感じても「善悪」を感じない。むしろ「善悪を超越し、全ての人々にただただ畏怖と恐怖を与えていく存在」なのである。それが、水爆によって図らずも怪獣となってしまった生物だとしたら……
 ゴジラにシンパシーを抱くようになったのも、ゴジラによる被害描写も含めて「戦禍に巻き込まれた者」としての想いが強くなっていき、ゴジラ含めて作品全体になおさら共感できるようになったのだろう。

 2016年には「国民怒りの声」から参院選への出馬を一度は表明したものの「後進に道を譲りたい」と取りやめた(当時82歳)。これには様々な声も挙がったが、賢明な判断だったろう。過去の記憶があってもなお、最後まで「俳優」としての立場を貫いた姿勢は素晴らしい。こうなると、晩年の講演活動に一度も足を運ばず、氏の話を生で聞けなかったのが悔やまれる。

 闘病しながらも俳優活動は続けており「急死」とあるからには、本当に直前まで仕事をされていたのだろう。そんな氏にとって、昨今の国際情勢はどう映っていたのだろうか。

 ご冥福をお祈りしたい。

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