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SF作家、そして「と学会」元会長・山本弘氏死去

 山本弘さん。肩書としては「SF作家」だが、自分の中では完全に元・と学会の会長さんである。本棚に並んでいる氏の著作も、全てと学会関連のものしかない。もう少しSFに目を向けても良かったか。

 しかし自分は「と学会」を通じて、巷にあふれるオカルトや陰謀論を「エンタメ」「コンテンツ」として受け止め、それらへの不安を娯楽へ昇華させることが出来た。これは紛れもない事実である。特に山本氏が単独で記した『トンデモ・ノストラダムス本の世界』は力作で、五島勉を始めとする予言研究家、そして彼らの本が如何にぶっ飛んだ解釈をしているか、さらには予言の真相は何なのかをトコトンまで書き尽くした一冊だ。
 「ノストラダムスの予言が映し出すのは未来のビジョンなどではない。研究科たち自身の心の中――彼らの抱く恐怖や願望なのだ」
 自分が持ってるのは文庫版だが、その裏表紙に書かれた一文が何とも心強い。なお文庫版といえども447ページ。ノストラダムスの予言一つに絞ってこれだから、世間にどれだけオカルトやトンデモが蔓延ってるかが分かろうというものだ。

 一方で、山本氏はこんな文章を残していた。

 これにも同意出来る……が、実は執筆した山本氏本人もその思想に陥っていた、というのだ。

 これには自分も心当たりがある。柳田理科雄氏への批判だ。
 柳田氏といえば『空想科学読本』がベストセラーとなり、その後も創作物に登場する「科学」が、実際の科学と比較していかに現実離れでぶっ飛んだものか……を面白おかしく紹介していた。
 だが柳田氏の「解釈」は山本氏の逆鱗に触れたのも同然だったらしく、後に『こんなにヘンだぞ!空想科学読本』という反論本を出し、コテンパンに批判している。「そもそも(作品設定の)基本データを間違えている」「初歩的な計算間違い」だらけで、何より「笑いを取りに行くため、超強引に誤った理論を展開している」のがダメだ、と。

 この指摘はその通りで、例えば「タケコプターで空は飛べるのか?」 という疑問に対し、柳田氏は「あの大きさの羽で得られる揚力は少なく、もし空を自由に飛びたいなら回転数を上げねばならない。だが仮に必要な揚力を得られたとしても、発生する風はドラえもん本人を直撃するため、最終的に本人が破壊される」とした。
 しかし山本氏はこれを「タケコプターは反重力場を発生させて飛行する、という設定なので揚力は無関係だ」とバッサリ。もっともそれ以前に、柳田氏は素人目にも分かるミスを犯していた。「ドラえもんの体重を80キロと設定して」とあるが、ドラえもんのスペックは身長・体重・胸囲その他諸々が全て「129.3」だ。ドラえもん百科のような児童向けの本に掲載されているデータすら知らないとは! ツッコまれるのも無理はない。

 『空想科学読本』シリーズは自分も好きだったが、続編を重ねるごとに「笑いを取りに行く」姿勢が露骨になり、やがて買わなくなった。山本氏の反論本を読んで以降は、むしろ柳田理科雄氏が胡散臭く見えてしまうくらいだった。

 だが柳田氏は今なお「空想科学」の研究者として活躍されている。いやむしろ「科学解説の先生」としてしっかり活動中ではないか。
 かつての『全国こども電話相談室』はもちろんのこと、気が付けば「科学」の看板を掲げ、科学に対する疑問に対してアレコレと分かりやすく答えている。おまけに、かつて柳田氏が繰り広げた「笑いを取りに行くための解説」はこんなところでも引用された。見事なまでのバカ受けである。

 こうなると、間違いを指摘し続けてきたた山本氏が野暮に見えてしまう。

 科学的には、確かに山本氏の方が正しいのだろう。しかし、あまりにも「ただしさ」にこだわるがゆえ、柳田氏の持つ「科学解説をエンタメに昇華させる技術」を無視し続けてしまったのは大きな間違いだった。
 科学的に正確で、より事実を述べてくれるのなら「科学の先生、そしてSF作家の山本弘先生」というポジションにいても変ではない。だが山本氏は「正しくなければダメ=間違いを指摘する」ことしか出来なかった。いうなれば批判をエンタメにする、だけで止まってしまったのである。それがあまりにも惜しすぎるし残念でならない。

このページでは、『空想科学読本4』および『SPA!』連載中の「空想科学研究所」の内容を詳細に検討し、柳田氏がこの手の本を書くのに向いていない人物であることを立証していきたいと思う。

山本氏の公式サイト「も~っとヘンだぞ!空想科学読本」より

 今となってはこの言葉が虚しい。

 ……しかし、それでもやはり山本弘氏が記した文章の魅力は褪せない。先に挙げた『トンデモ・ノストラダムス本の世界』も、間違いを許さない御本人の生真面目さが産んだ一冊なのだろう。同書のあとがきでは以下のようなことを記している。

 予言の研究家達は、予言の解釈を自らの存在理由にしてはいまいか
 (研究家達は)「自分こそが、この予言を正しく解釈できる唯一の人間だ」と、己を特別な存在だと思い込む。たとえ世間から狂人変人扱いされようと「自分を認めない世間の方こそおかしい」と考えた挙げ句、
「だからこそ、こんな世界は滅んでしまえ」
という結論を出してしまう。
 自分は予言者だ、という幻想に頼ることでしか自らの存在意義を保持できないのは、あまりにも哀れだ。予言の中からそれを読み取ろう、というのはつまり自分を信じていないことではないか。この世界にシナリオなど存在しない。全てがアドリブだ。予言などというありもしないシナリオに振り回されるな。

 そう、未来はあなたが創るのだ。

 文章で、様々な世界を創ってきたからこその一言、だと自分は思う。

 山本弘さんの御冥福をお祈りします。


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