見出し画像

「成長の世界」で生きる

小学1年生から始めたサッカーを今シーズンが終わると約20年したことになる。

常に何かと戦っていた。

それはライバルであり、

それは相手チームであり、

それは自分であった。


試合に出る、出れない、

試合に勝つ、勝てない。

全て自分と誰かとの競争があって生まれる出来事である。

小中高大、強豪からそうでないチームまで様々なチームでプレーしてきた。

なんなら現在はドイツでプレーしている。

いよいよ日本ですらない。

サッカーがドイツという場所に自分を連れてきてくれた。

不思議で面白いなと思う。


そんな人生の中で、競争を避けては叶えられない夢を追いかけてきた。

プロサッカー選手になれる人はサッカーをしている人の中でもごくわずか。

ワールドカップに出れる人はそのごくわずかの中のごくわずか。

誰かに勝って、

誰かを蹴落とさないと叶えられない夢。


サッカーでもらったお金で生活をするという広い意味で夢が叶った時に感じたことが2つある。

一つ目は、当たり前のことではあるが、

上には上がいるということ。

上がいすぎる。

二つ目は、

何もなかったということ。

夢が叶ったからすごいなんてことは一切ない。

億万長者になれたわけでもなく、

すごく知名度が上がったわけでもない。

本当に何もなかった。

二つのことに気づきながらもまたその中で上を目指し続けている。

そこで気づいた。


競争という世界にいたらいつまで経っても自分は常に何かと戦い続けなければいけない。

そして、その戦い続けた先には何も残らないということ。



夢を叶えた瞬間こそがゴールだと思っていた僕は甘かった。

夢を追いかけて、叶えることも人生の中の一つの出来事でしかない。

夢を追いかけることも、叶えることも一つの手段でしかない。


叶うか叶わないかが重要なのではなく、

その過程、結果を経て、

人として成長できたかどうかが大事なのだと気づいた。


この考えに気づくまでにいた世界が「競争の世界」だとしたら、今は「成長の世界」にいるとする。


その点で言えばドイツという場所に来て良かったと心の底から思う。

ドイツでの生活は決して楽なものではない。

毎日打ちのめされる。

コミュニケーションは100%取れるわけではない。

ずっと実家暮らしで甘えていたために初めての一人暮らし。

自分のことは全て自分でしないと生きてはいけない。

どんなに嬉しいことがあっても顔を合わせて喜びを共有することはできない。

どんなに辛いことがあっても助けてくれる人はいない。

日本に帰った1ヶ月間は居心地が良すぎた。

コミュニケーションは簡単に取れるし、

ご飯は作らなくても出てくるし、

すぐに誰かに会えるし、

心の底から笑うことができる。

僕は弱い人間だから、

居心地が良すぎる日本にいたら自分は甘えてしまって成長できないと感じた。


ドイツに初めて向かうときは不安よりも期待が強かった。

どんな場所なんだろう、

サッカーのレベルはどんな感じなのかな。

2年目のドイツへ向かうときは不安と恐怖しかなかった。

新しいチームで上手くやれるかな、

新しい家での生活大丈夫かな、

そして何より、

1年目みたいなことがまた起こったらどうしようという怖さだった。



ドイツに戻ってきて色んなことがありながらも何とか日々生きている。

あぁ強くなったな。と思う。

泣いてばっかりだった1年目から強くなった。

いいプレーができた、できなかった、

勝った、負けた、

そんな尺度ではない。


誰かと比較してではなく、

毎日自分が成長するために生きている。

昨日より今日、今日より明日成長できるように。

毎日の積み重ねが勝利や成功に結びつくかどうかはわからない。

もしかしたら結びつかない可能性の方が高いかもしれない。

それでもいいと思っている。

諦めてるとかそういうことじゃない。


毎日の積み重ねは必ず自分自身の成長に繋がるから。

サッカーをしたいなら別にドイツじゃなくてもいい。

一人暮らしをしたいなら別にドイツじゃなくていい。

ドイツでは今まで甘えっぱなしだった人たちいない。

人間関係も何もかもを0から作っていかないと生きていけない。


そんな環境だからこそ成長できるって感じて、今ドイツでサッカーを続けている。




失敗や挫折は怖かった。

失敗だらけ挫折だらけの人生を負い目に感じていた。

全てが成長のための材料だと捉えると、

もう何も怖いものはない。

失敗や挫折が成長の機会を与えてくれるなら喜んで受け入れる。

24年生きてきてやっとそう思えるようになった。



生きてたら色々ある。

人生良いことばっかりじゃない。

むしろ悪いことの方が多いんじゃないかさえ思う。

仕事で上司に怒られた。

今の仕事楽しくない。

やりたいことが見つからない。

自分の方が頑張ってるのにあの人の方が給料がいいんだろう、役職に就いてるのだろう。

彼氏彼女に振られた。

色んなことがある。


でも忘れちゃいけないのは生きてるだけで十分幸せってこと。

今自分たちが生きている今日は誰かが生きたくても生きることのできなかった今日かもしれない。

生きてるだけで幸せ。

その上、その今日で昨日より成長なんてしちゃったらどうする?

こんな幸せでいいの?って心配になるレベル。


ある本に書いてあった。


"「生きる」じゃなくて「生き切る」こと。「生き切る」の「切る」には悔いがないという意味が込められてる。与えられた1日を思い残すことなく「生き切る」"


まさにその通りだと思う。

いつ終わるかもわからない人生。

いつ終わっても、最期の瞬間に人生を振り返った時に、

あぁしとけば、こうしとけば、なんて後悔するのではなく、


もう一回全く同じ人生を送りたいって思えるくらいの人生にできるように。


起こることをごちゃごちゃ考えずに、

毎日生き切る。

それだけでいいと思っている。

自己満でもいい。

ちゃんと成長してるならそれでいい。

「成長の世界」の中で毎日生き切る。


よし、今日も1日生き切ったなぁ。お疲れ様自分。

また明日も生き切ろう。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?