暗渠マニアックスと探る、荒川区らしい暗渠 前編 -荒川区景観まちづくり塾2022 〈第4回講座〉-
荒川区景観まちづくり推進委員、委員長の山本です。
このnoteでは、あらまち(私たちの委員会による景観まちづくり活動)について記しています。
今回は、2022年11月19日に開催された荒川区景観まちづくり塾2022〈第4回講座〉について。
第4回の講座は、暗渠【講義編】です。
今回はその前編。
暗渠マニアックスの髙山さん、吉村さんのお二人を講師に迎え、暗渠について、また荒川区と暗渠の関わりについて学んでいきます。
暗渠マニアックスは、その名の通り、暗渠を“偏愛”する髙山さん、吉村さんのお二人からなるユニット。暗渠については右に出るものはいないのではないかというほどの暗渠通で、ツアーガイドやご講演、また書籍も出版されています。テレビ等さまざまなメディアにも出演されているので、ご存知の方も多いと思います。
1. 暗渠へのいざない @荒川区
早速講義ということで、まずは暗渠マニアックス髙山さんから。
「フラジャイル、知ってる人?」というキーワードからスタート。
お、一体何が始まるんだという声が聞こえてきそうなほど、第一声から引き込まれていきます。
荒川区の街をみていると、スーパー堤防や橋などのストロングなものに対して、暗渠はフラジャイル(もろい、かよわい、はかない)なものに感じたと髙山さんは言います。
暗渠になされたフタは車が載ると壊れてしまうし、区内にはたくさんの暗渠があるけど、痕跡も少なくパッと見てもわからないような儚い存在である…
フラジャイルと言われると、なんだか暗渠を守ってあげたくなってきました。たった1つのキーワードで暗渠愛に導かれていきます。
では我々も髙山さんのように、暗渠を楽しむにはどうすればいいか、そのコツを伝授していただきました。
暗渠を楽しむコツ① 「経路」
暗渠のそばに多いものを暗渠サインと呼びます。
例えば銭湯。調べてみると荒川区にある23軒の銭湯のうち、なんと…
12軒の52.2%が暗渠沿いにあります。
江戸川区では実に90%近くが暗渠沿いにある一方、千代田区は0%。ということで、荒川区の銭湯は23区の中では真ん中くらいの暗渠サイン率ということになります。
同じように排水を必要とする施設として、氷屋さん、金魚屋さん、クリーニング店なども暗渠を知る手がかりになります。
もう少し確度の高いものだと弁財天や、車が載って暗渠のフタが壊れないように設けられた車止め、水門、橋跡などが挙げられます。
まずは街中にこの暗渠サインを見つけます。
暗渠サインを見つけたら、点を結ぶようにして辿っていく。
パッと見てもどこにあるのかわからない暗渠ですが、こんなふうに「経路」を再発見していくというのが暗渠を楽しむコツその1。
暗渠を楽しむコツ② 「経過」
そもそも暗渠はいつごろできたのでしょうか。震災や空襲といった要因でできたものもありますが、なにより高度経済成長期、今から50〜60年前にできたものがたくさんあります。
臭いものに蓋とはよく言ったもので、汚れた川に蓋をしてたくさんの暗渠ができていきました。
ということは…まだフタのない当時を知っている人がいる!
教科書ではなく、誰かの口から直接聞いて歴史が知れるという面白さ。
このように「経過」から暗渠を楽しむというのがコツその2。
暗渠を楽しむコツ③ 「景観」
街をよくよくみると微かに川の痕跡を見つけることができます。
それは、普段全く気にも留めないようなアスファルトの割れ目、道路の膨らみなどなど。
街に虫眼鏡を当てるように、自分の目でそのかすかな痕跡を見つける。
この「景観」をみつめる面白さ、これが暗渠を楽しむコツその3。
この3つのコツを駆使しながら街に出て暗渠を楽しんでみると、今まで見ていたいつもの風景が、全く違う街に見えてくる。
暗渠は、街について深く知る、街を楽しく体験することができる、面白い切り口だということがよくわかりました。
加えて「今、目の前に川が流れている」という心の目で街を見つめ直すと、
ー 暗渠沿いの路地に置かれた草花を見て、「水辺を彩っているんだな」
ー 家の前の水槽を見て、「水路の魂を残そうとされているんだな」
ー 捨てられたゴミを見て、「これは川の淀(よどみ)なんだ」
というような風景の広がりを感じ取ることができる。そんな創造的な視点についてもお話しされていました。
これらを持ち合わせれば、きっといつか髙山さんのような深い愛情で暗渠を、街を見つめることができるかもしれない。髙山さんに手を引かれるように、みんなで暗渠マニアへの第一歩を踏み出しました。
2. 荒川区の暗渠
さて、引き続き暗渠マニアックスの吉村さんから、区内の暗渠についての講義。
吉村さんご自身も生後すぐの頃に荒川区にお住まいだったというご縁。
今回講師を務めていただくにあたって、毎週のように荒川区に通い、ご準備いただいきました。
そんな中で、見つけたこと。
それは、荒川区は他の地域に比べて暗渠沿いにある街中華や喫茶店などの風情あるお店が多いということ。
私たち荒川区民にとってはいつもの風景でも、日本中の暗渠に通づる方に“特別だ”と言われると、なんだか誇らしく感じます。
さらに、吉村さん自作の「暗渠カレー」。さまざまな暗渠をカレーで再現するうち、他の地域のものはパッと見てどこの暗渠かすぐわかるのに、荒川区のものはどこを再現したものか分かりにくいという特徴を発見したと言います。
髙山さんも荒川区の暗渠はパッとみてわからないとおっしゃっていましたが、吉村さんも荒川区の暗渠は「街にめちゃくちゃ溶け込んでいる」と感じているようです。
そこで出てきた言葉、荒川区の暗渠は「普通の道の顔をしている」。
とても興味深いフレーズです。
その理由を深掘りすると、荒川区発展の歴史に関係がありそうだということがわかりました。
最も特徴的なのが、暗渠化のタイミングが早いこと。
他の多くの地域では昭和30年代後半以降に暗渠化がはじまりますが、荒川区では昭和7年に大部分で暗渠化が成されています。既存の道に暗渠をプラスするのではなく、道の整備と暗渠化が一体的に行われることで道と同化していく、ということでしょうか。
また、地盤に高低差がなく低地の用水路で、特徴的な形になりにくいことも理由のひとつ。
だから、荒川区の暗渠道は普通の道の顔をしている。なるほど面白い考察です。
では具体的に見ていきましょうということで、ここからは区内の暗渠をいくつか深掘り。
(江川堀と八幡堀はこのあと別のプレゼンテーションがあるため割愛されています。)
藍染川 (あいぞめがわ)
現在も「藍染川通り」の名が残っているので、親しみのある方も多いかもしれません。暗渠になる前をご存知の方からは、川に落ちたというエピソードを聞くこともあります。
藍染川は大正7年に完成した人工的な排水路。
谷中、千駄木あたりを流れる藍染川があふれるのを防ぐため、隅田川とつなぐようにつくられました。
荒川区にとっての藍染川のはじまりは、現在西日暮里駅前にある「さくら水産」のある場所。(実際に行ってみるとその名残を見つけることができるので、ぜひ行って確かめてみてください。)
排水路といっても、できた当時は分岐した川。
中洲には水草が生えていたため、タニシやドジョウをとったり、ウォータースライダーのようにして遊んだという話もあります。また、染め物業者の姿もありました。
近所には金魚屋さん「大谷金魚」があり、藍染川が氾濫した際には逃げ出した金魚をすくいに行ったというエピソードもあります。
そんな藍染川には、たくさんの橋がかかっていました。
花の木橋の袂にあった飲み屋のおじさんが、流れてくるボールを拾っては近所の子供にくれたなど、橋にもさまざまなエピソードが残されています。
木橋には、コンクリート橋と違い、車の往来を気にせずに釣りをする子供の姿も。
藍染川は暗渠化が2段階で行われたため、町屋のあたりは比較的遅れて暗渠化されました。そのため、昭和30年くらいの写真が多く残されています。
写真をみてみると、ずいぶんと汚れていますね。写真横に残されたコメントには「糞尿」や「厨芥」の文字も。その後、昭和31年には川全体が暗渠化されました。
音無川 (おとなしがわ)
荒川区と台東区の区界を流れる音無川。
区内の暗渠は藍染川と一部を除き、石神井用水のものがほとんど。この音無川はその代表的なものです。
昭和9年に暗渠化されているため、写真はあまり見つけられませんが、錦絵や浮世絵にはいくつか残されています。
橋で言えば、地名として残されている「三ノ輪橋」もその痕跡のひとつ。
また、日暮里駅の近くにある「善性寺」には「将軍橋」が今も残されています。
昭和52年の新聞を見てみると、音無川復活の話もあったようですが、その後どうなったのでしょう。(ご存知の方がいれば、ぜひ教えてください!)
思川 (おもいがわ)
思川は、音無川から分流したもので、明治末から大正初期にかけて埋め立てられました。
痕跡としては、そこに架かっていた「泪橋」の名前が交差点に残っているのと、「あしたのジョー」にも出てくることで知られています。が、現在の街にはほぼ残っていません。
リバーハープコート内緑道
瑞光橋公園から汐入水門跡にかけて続くリバーハープコート内緑道。
水を想起させるモニュメントもいくつか設置されています。
ここは、隅田川駅と繋がる運河があったところを埋め立ててできたものです。
運河を緑道や公園として活用するのは墨田区や江東区では見かけることができますが、区内ではここだけ。
地蔵堀 (じぞうぼり)
現在の荒川警察署横にお地蔵さんが残されています。
当時の地蔵堀にはフナやドジョウ、メダカなどの魚がおり、魚取りをしたという話もあります。
現在も「地蔵堀児童遊園」にその名が残っていますが、公園の先には水路も整備されています。これはもしかしたら地蔵堀を意識したもの??
浄閑寺堀 (じょうかんじぼり)
他の暗渠と比べると少し高低差があるのが特徴です。
昭和30年前後、隅田川とつながる手前のあたりは貯木所になっており、子供達にとって絶好の遊び場でした。そこが現在の天王公園。子供達の遊び場として現在に継承されています。
これら「堀」と名が付く暗渠は、どこか荒川区らしさを感じさせてくれると吉村さんは言います。
広がる平地に、くねくねと曲がっている道の多い荒川区。
昔の農村地帯だった頃の水路の風景と現在のくねくね道の風景。重ねてみると確かに荒川区らしさを感じます。
パッとみてそれとわかりにくい「普通の道の顔をしている暗渠道」。
それでも調べてみると、それぞれに物語が残されていることがわかりました。
荒川区は暗渠化が早かったこともあり、たくさんの資料が残されているわけではありません。でもそれは、調べる、考察する余地がたくさんあるということ。
暗渠はタイムマシーン。
暗渠の歴史を深掘りすることが、まちを知る手がかりになる。
ぜひ皆さんも時間旅行を体験してください、と吉村さん。
何度も重ねられた視察に加え、文献や昔の新聞、古地図、区の内部資料などなど、膨大な調査から得られる面白いお話。お時間の都合で割愛しながらご講演いただいたにも関わらず、とても濃密な時間でした。
髙山さんからはみんなで暗渠を楽しもうといった、暗渠を拡げる視点。
また吉村さんからは暗渠を歴史から紐解こうといった、暗渠を深掘る視点。
それぞれの視点で、暗渠と街についてご講演いただきました。
さて後編では、区民目線でみつめた暗渠についてのお話や、八幡堀についての日本大学学生による研究、そして再び暗渠マニアックスのお二人にもご登壇いただいた質疑&意見交換会について記していきます。
荒川区景観まちづくり推進委員 委員長 山本展久
後編はこちら
荒川区景観まちづくり塾 2022 〈第4回講座〉
・内容:隅田川【講義編】
・日時:2022年11月19日(土曜日) 13時30分~
・場所:ふらっとにっぽり 3階多目的スペース(東京都荒川区東日暮里6丁目17-6)
・講師: 暗渠マニアックス(髙山英男氏、吉村生氏)
・話題提供:日本大学 暗渠研究チーム(吉中美波氏、甘糟未帆氏)、原田麻氏(荒川区景観まちづくり推進委員)
・司会:西村卓也氏(荒川区景観まちづくり推進委員)、久保凛一郎氏(荒川区景観まちづくり推進委員会 学生委員)