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テロ攻撃を受けたイスラエルが批判に晒されるのは何故だろうか(2)

死者数の比較からくる批判

10月24日の日経記事では、「パレスチナ自治区ガザで、地元保健当局は23日、死者が5千人を超えたと発表した」「ハマスは7日にイスラエルに大規模な越境攻撃をかけ、同国によるとイスラエル側で1400人以上が死亡した。」とある。イスラエル批判をする多くのTVキャスターの論調は「無差別に1000人以上殺害したハマスの行為は許されるものではないが、その反撃でガザの一般市民が5,000人亡くなるというのは国際人道法に反する過剰防衛である」というものだ。
10月17日にガザ地区の病院が攻撃され、保険当局はイスラエル軍の空爆で500人が死亡したと伝え、国連安全保障理事会の緊急会合が開かれるまでの衝撃を与えたが、後日イスラエルの空爆ではなくイスラム聖戦によるロケット団発射の失敗であることが判明し、駐車場だけの被害であることから500人という数字にも疑義が生まれた。このように保険当局=ハマスの発表数字を単純に信じることは出来ないが、発表された”病院で500人死亡”という数字のインパクトは限りなく大きかった。ちなみに海外メディアが修正報道した後も、日本のメディアは誤報であったことに言及していない。

(原因、背景に言及せずに)その時々の結果としての死者数の定量比較は極めて分かりやすい。しかし、それぞれの数字には異なる意味があり、同じ座標軸上で比較出来ないデータを比較するのには無理がある

ハマスが殺害した1,000人は、誰でも良いので殺害することを目的としたテロ行為の結果である。

ガザ地区の5,000人の死者は、イスラエルがハマスというテロリストを殲滅する作戦の中で生まれた被害者である。もしテロリストだけを攻撃できるのであれば、当然この被害は生まれない。この数を最小化するための努力としてイスラエルが空爆時に行っていることは、
 ・事前に攻撃対象地域の住民に電話をかけたり、ビラを撒いて非難を呼びかける
 ・ルーフノッキングという破壊に至らない軽微な爆発を対象建物の屋上で起こし、該建物内に残っている人に注意喚起をする

だそうだ。一般市民の被害者を最小化するためにこれ以上何が出来るのか、私自身には想像が及ばない。一方で、ハマス側は住民に避難をしないように呼びかけている。良く知られている「人間の盾」だ。数の大きさに対する批判があるとすれば、
・被害を最小化する手段があるのにイスラエルが怠っている場合
・ハマスが「人間の盾」として住民を利用すること

のどちらかであろう。この点を明確にしたい。

ガザ市民の被害は国際人道法違反という論理

「国際人道法」とは、武力行使の時に「やって良いこと」と「やってはいけないこと」の区別の基準となっているもの、である(長崎大学核兵器廃絶研究センター)。このページの解説をそのまま参照すると、
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武力の行使は、相手の軍事力を破壊するという目的にのみ限定されるべきだという、「軍事」とそれ以外を区別する原則です。軍事力の一部分であるとは普通考えられない一般の女性や子ども、お年寄り、病人、あるいは病院、宗教施設、文化施設や普通の民家、また、敵の兵士であってもすでに降伏していたり、沈没した船から脱出して救助を求めている人間などは、攻撃目標としてはならないことになっています。しかし、それらの非軍事的な施設や一般の市民が、軍事的な施設や軍隊のそばにいて、攻撃の巻き添えになってしまった場合や、道路、鉄道、発電所、工場、港湾あるいは空港などのように、民間の施設あるいは市民生活のために必要な施設であっても、軍事的にも利用価値の高い目標を攻撃した場合など、どこまでが国際人道法上許される攻撃の範囲なのか、現実には判断が難しい場合も少なくありません。
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即ち、攻撃対象である軍事施設のそばにいた一般の市民が攻撃の巻き添えになった場合、はどこまでが国際人道法上許される攻撃の範囲なのか、現実には判断が難しい、とされる。だからこそ、イスラエル側は事前告知と避難勧告をしている。これすら「言い訳のためだ」というジャーナリストもいるが。
例えば、イスラエルは地上侵攻に備えて、13日、14日、15日とガザ北部の住民に対して南部への避難を求めた。移動手段や道路の破損など容易ではない状況であるにせよ、15日時点で60万人が移動したと言われる。10日以上経った10月26日現在、アメリカ等の要請もありまだ本格的な侵攻開始には至っていない。形ばかりの事前勧告をして即日攻撃するのであればともかく、10日以上避難の時間があってもなお軍事施設のそばから離れない(離れられない)一般市民が被害にあった場合は、「判断が難しい場合」とはならないだろう。
ましてや、ハマス側は人間の盾にするために(被害を大きくしてイスラエルへの批判が高まるように)市民に対して避難ではなく留まるように呼びかけているのであり、ハマスこそが国際人道法違反なのである。しかし、メディアではハマスへの批判よりイスラエルへの批判のほうが大きい。話しが通じないテロリストにはいくら言っても無駄だと考えているのであれば、ジャーナリズムの敗北だろう。

パレスチナは国連のオブサーバー国家である

パレスチナ自治区は国家としての体を成していない「自治区」ではあるが、実は2021年時点で138カ国により国家承認されている(日本は承認していない)国連の「オブザーバー国家」である。正式加盟国ではないが、総会等に出席して発言もできる。
暫定自治政府(Palestinian Interim Self-Government Authority, PA)にはハマスに対しても、ガザ地区に対しても責任があるはずだが、2007年にハマスがガザ地区を武力制圧して以来、ガザには暫定自治政府の権限が及ばない状態が続いている。ハマスのようなテロリストの存在を防ぐためには、能力のある指導者による暫定自治政府が国家としての責任を果たして自治区全体を統括することこそ重要であり、国際社会はそのための支援をすることこそがプライオリティだろう。次元の異なる事例ではあるが、企業の工場などでは、安全管理面で「発生した事故処理」だけ繰り返しても改善効果は乏しく、「今後にむけた予防保全措置」が出来て初めて本当に安全な環境が生まれる。同じことがパレスチナ自治区にも言えるはずである。

テロリスト対民主主義国家 の難しさ

そもそもテロリストは国際法や国際人道法違反を意に介さないで犯罪を起こす。だからこそテロリストなのだが、そのようなルールを守らない組織と対峙する時の国家(民主主義であれ専制主義であれ)に対して「国際法」を説くこと自体に虚しさを感じるのは私だけだろうか。

無論、国際秩序を保つためにも各国がルールを遵守することは不可欠である。特に国際政治学者の方々が分析・研究する学問の世界では、国際秩序を維持・発展させるためにも国際法の遵守は必須であり、昨今の中東情勢に関する多くの国際政治学者の方々の声は正論である。

しかし、残念なことに現実の世界ではその正論が有効であるとは限らない。国家間の場合は、国際刑事裁判所(ICC)こそあれ、強制力のある罰則がない。各国が国際法を遵守する理想的な社会であれば、ロシアによるウクライナ侵攻も、北朝鮮による日本人拉致も起こらなかったはずだ。ときには正論を乗り越える勇気をもって問題解決に向かうのも政治であると考える。

13歳の横田めぐみさんが拉致されたのは1977年であり、以降45年以上我々は彼女を取り戻せていない。先制武力行使をしないという自国の法を守りながら、日本が出来る範囲の外交交渉だけで45年以上拉致された自国民を取り返せない事実に向き合うと、法を守るということにどのような意味があるのか、自国民を守れない国は果たして国なのか、と虚しくなる。表現は不適切かも知れないが、正論なら馬鹿でも言える、のである。

10月27日

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