笑みがこぼれる飲食店経営を目指すSmile Free 3

私の飲食業 経験 第3弾 

いつも笑みがこぼれる飲食店経営を目指す、

笑顔でお客様を包み込み温かな雰囲気があふれる店舗

その雰囲気に導かれてファンが増え続けていく

一日の営業が終わり、売上集計をすると思わず笑みがこぼれる飲食

目まぐるしく変化する飲食業界の中で、その様な飲食店経営を目指すためには

今「進化」が必要。その事を共に「考え」「共感」出来る方々に発信しています。

共に考え、共感して行くにあたってに今回も私の事を知って頂くために経験談を続けて発信させて頂きます。
前回は韓国の留学を通し自身のアイデンティティーを発見し「日韓の架け橋になる」という人生のミッションを掲げ、日本と韓国において飲食店のコンサルティングを展開する企業に15年勤めた経験談をお話ししました。

今回は、コンサル会社退社後、縁あって韓国の財閥系日本法人の外食企業にスカウトされ、そこで営業本部長として「日韓の架け橋」のミッションを実践して行く経験談をお話ししたいと思います。

私が就職した会社は韓国の財閥CJグループ傘下の「CJ Foodville Japan」と言う企業でした。
CJグループはサムスングループから生まれた会社。
サムスンの創業者は現会長の祖父 李ビョンチョル氏 まだ韓国が日本の植民地であった頃に三星商会を立ち上げサムソンの土台を作り上げました。その後朝鮮戦争で荒廃した国土から人間に必要な「砂糖」を製造し韓国の再起と国民の為に貢献すると言うビジョンから「第一製糖」という企業を立ち上げ大成功を収めるのです。これがのちのCJグループの前進です。
この成功からサムスングループは繊維、家電・電子、造船などあらゆる産業に参入し企業を立ち上げ財閥化し大きくなっていきます。そして1993年 遺産分けのような形でCJとサムスンが分離され現在に至っています。ご存じの通りサムスンは電子分野で世界的企業となりましたが、CJグループは食品を中心に内需に係わる産業を展開し、食品メーカーとしては韓国NO.1の企業です。(その他、外食、エンターテーメント、映画製作、物流など数多くの系列企業があります。)

そのCJが2008年頃「bibigo」というブランドを立ち上げ、このブランド名で自社製品を開発し広めていく事を決定します。戦略としてはまずこのブランド名で飲食チェーンを展開し、ブランディングを進め、そのブランド名が認知された後に「bibigoブランド」の加工食品を売り出すマーケティングを決定します。
bibigoは「bibimpa  go」(ビビンパとゴー)を合わせた造語から作られたブランド名で、韓国の伝統料理であるビビンパを新感覚で提供するビビンバチェーンです。
その運営を任されたのが傘下の「CJ Foodville」と言う外食企業でした。
そして2009年 韓流ブームから日本でもこの「bibigo」ブランドを展開しようと日本にも進出し「CJ Foodville Japan」が設立されたのです。

日本においては1から立ち上げが難しいという事で、既にビビンパチェーンとして展開している企業を買収する形でスタートする事になりました。
買収した企業は「ビビンバ大王」というチェーンを展開していた「吉本興業」傘下の企業でした。「ビビンバ大王」は石焼ビビンバが日本に紹介され頃にいち早く業態を開発し大ヒットしたブランドです。しかし、飲食経営に不慣れな「吉本興業」です、乱脈経営から太刀打ちが出来なくなり手放す形となったのです。

そして、そんな折、新たな道を模索していた私に声が掛かったのです。
日本の駐在員として赴任した担当者が、私が所属していたOGMコンサルティングの韓国支社の社員だった人間であり声を掛けてくれたのです。コンサル契約の後、2010年幹部として入社が決まります。

執行役員営業本部長と言う大役です。

コンサルティング会社に所属していたころは、クライアントをあてがわれ、その中で、比較的個人裁量で仕事をしていましたが、今度はいきなり30店舗ほどの組織をまとめると言う極めて高度な、新たな挑戦でした。

今までは個人店や中小企業しか相手にして来なかった私ですが、今回は、大元は大企業です。日本法人で規模は小さくともすべてのやり方が大企業システムです。
店舗のマネージメントの他、数多くの会議、その為に作成しなくてはいけない資料、稟議・決裁、組織運営、対外折衝など最初は本当に戸惑いました。
社長は吉本興業の傘下企業から来た人です。それ以前も大企業で勤めていたビジネスマン。慣れない私を厳しく指導してくれました。
その指導は今の私にとっては大きな財産です。

業務は激務の連続でした。生まれたばかりの息子を相手する事もままならず女房からはあきれ返られていました。

この、ビビンバチェーンはほぼフードコートに入店する店舗です。20年に破綻した「あんにょん」というビビンバチェーンの店舗も買収し全国にFC店も含め30店舗の規模を任された形でした。しかし、半分以上が採算の取れない赤字店舗だったのです

私のミッションはbibigoブランドを正式に立ち上げる前に、これらの既存店舗を黒字化し事業全体の収益性を改善する事でした。

「ビビンバ大王」「あんにょん」ブランド「韓菜」というブランドに変更しあらたな展開を開始しました。

フードコートの家賃契約はほぼ売上歩合制です。
最低売上保証が300万程度 売上歩合家賃と施設の管理費、及び販促費を加えると約売上の22%位を施設側に支払う形です。
300万円を超えると超えた分にまた歩合で徴収される形です。

その中で既存店の30%は採算の取れている店舗 、30%はほぼ最低売上保証の300万円の売上を行ったり来たりで十分な利益を生めない店舗、そして残りの30%は採算の取れていない赤字垂れ流しの店舗です。
会社全体としては本部費も掛かるのである採算の取れていない60%の店舗の底上げをしなくては全体として黒字化できない状態でした。

フードコートのこの様な契約システムでは月商500万を超えると急激に収益性が上がる形態です。
少人数でオペレーション出来るフードコートスタイルでは500万円を超えると急激に人件費負担が下がり、収益が上がる形です。
事実このチェーンのトップの店の売上は月収1000万円を売る店舗で30%近い利益を出していました、2番店は600万、3番店は450万~500万を売る店舗で10%以上の利益を出していました。しかし、残りの60%の店舗でその利益を食ってしまう形でした。

このチェーンの強みはクィックサービスが出来た事です。
30秒でビビンバとスンドゥブを提供できるサービス。
フードコートのお客様のニーズは「早い」「安い」「旨い」の順です。
美味しいよりもまず「早く提供される」事を望むと言う結果を数々のリサーチから把握していました。
事実トップの月商1000万を超える店舗はピーク時の時間帯組数は60組から70組と忙しい中でも1分以内に商品を提供していた店舗です。暇な時間帯はお客様がお会計を済ませる前に出来上がりびっくりされることもありました。

味も悪くありません、味に関する評価はビビンバにしても、サブのスンドゥブにしてもいつも高評価でした。固定のファンもいましたが、なかなか全体の売上が上がらないのは何故か? フードコートに適しているシステムを持ちながらも収益性が上がらない理由は何か? 深く、深く考え 悩みました。

理由として考えられたのは「韓国料理業態のシェアの限界です」

フードコートはだいたい12店舗が入店していますが、我々の店は大体が下位から2番目位の位置にいました。上位の店舗は、名古屋、東京、大阪の大都市圏、トントン店舗は都市部でも郊外の施設、そして赤字垂れ流しの店舗は地方の人口30万程度の商圏の施設でした。
フードコートの上位はラーメン、うどん、ハンバーガーなどの日常的に簡単に食べられる業態が閉め、中位クラスはペッパーランチなどのやはり食文化としては認知の高い店舗、そして下位は我々の様な日常的には頻度の低い専門業態です。
女性のファンは多くとも、後に分析をしましたが、韓国料理の日本におけるシェアは現時点でも0.5%です。上位、中位の業態から比べると1/3から1/2しかありません。
施設の立地商圏と韓国料理の人気度の高いエリアを選択して入店しなければなかなか勝ち目がありません。事実、上位店舗はすべてその様な条件がそろっていた施設でした。
フードコートなので目的利用を誘発する集客マーケティングも難しいところです。実際に試みましたが効果は薄い状態でした。

なので、ターゲットを広げ、頻度を上げる為に焼肉メニューや男性客に受けるガッツリ系のカルビ丼などのメニュー開発をしましたが、オペレーションが複雑になり現場のスタッフのモチベーションが上がらず効果は出ませんでした。

以前の会社が韓国料理のシェア分析をせず、需要が薄い地域に無作為に出店をしていた為それらの店舗をそのまま受け入れた関係上底上げはかなり難しい状況でした。
そこで会議で、「このままフードコートだけに頼っていたら収益改善にはつながらない、路面でサムギョプサルなどの肉系とアルコールの比率の高い業態を開発して単価の高い商売を目指すべきだ。」と提案しましたが、韓国本部からはNOの返答。
ファ―ストカジュアルの業態としてbibigoブランドが成立する業態を続けろと言うミッションを継続せざるを得ない状況でした。

そして悪戦苦闘の末いよいよ2012年 韓国本部主導でbibigoプロジェクトがスタートします。そこからは韓国本部からスタッフが来てわれわれは既存店舗の死守と実務のフォローに回る事になります。

まず、最初の指示は、2番目に売上の良かった「韓菜」を「bibigo」に転換する業務でした。

bibigoはビビンバ版サブウェイ方式です。
まず、体の中からキレイになる野菜をメインに、ご飯を「白米」「玄米」「黒米」「雑穀米」から選択、そして基本ナムルをベースとしてトッピングを「牛プルコギ」「豚カルビ」「チキン」から選択、そしてソースを「コチュジャン」「醤油ベース」「そしてフルーツ系のドレッシング」から選び、お客様が好みのカスタマイズが出来るというコンセプトでした。
業態としては面白く画期的でしたが、既存の店舗にその様な形を導入すればオペレーションが乱れますし、フードコートに導入しても慣れていないお客様は混乱します。
「あり得ない」と猛反対しましたが、聞き入れられず韓国本部の主導で強行されました。
オープンしましたが案の定オペレーションは乱れ、お客様は混乱し「なんで変えたの」という声を毎日聞く有様でした。

結果売上は30%低下してしまいました。

そして次には加工食品の宣伝も兼ねて本格的な韓国料理業態を出すという事で赤坂のBizタワーに出店することが決定するのです。本部からシェフたちも来日しbibigoメニューを中心に、本格的なスンドゥブ、サムゲタン、チヂミ、プルコギ、カルビチムなどがメニューとして開発されスタート。当初はすべてのメニューの仕込みを1からしなくてはいけない業態です。オープン作業だけで総労働時間が15時間にもなる異常な状態でした。

確かに料理は素晴らしく現在であれば大ヒットしていたかもしれません。
Bizタワーもオフィスビルです。日常のランチ需要としては来店頻度の低い韓国業態は弱く、また夜お酒と共に韓国料理を楽しんだり、接待などに使われる業態としては「食事の店」的で需要を捉える事が出来ませんでした。高い家賃と1からの仕込みで多くの調理スタッフを抱え高い固定人件費。損益分岐点を超える売上確保が難しい状態が続きました。
2号店目の候補として施設側からもオファーが来ていたのが新宿のルミネエストです。
我々も最適な立地だと確信していました。施設側の担当者もわざわざ韓国まで行って韓国bibigoを見て来るという力の入れようでした。しかし、韓国側トップのツルの一声で契約寸前で破断。「ここは気に入らない。」と、日本の事情も分からずに拒絶したのです。
我々は施設側に平謝りに行く始末で、散々でした。

今思えば、ここに出店していれば成功していたと確信しています。

そして、既存のチェーンの収益性改善失敗とbibigoの不振の責任を取らされ、一緒にやってきた社長、私、そして私を誘ってくれた駐在社員の後輩は責任を取らされて2013年解雇となるのです。

その後CJグループは外食の「bibigo」ブランドから撤退し、加工食品のマーケティングに専念し今ではイオンやドン・キホーテなど数多くのスーパーチェーンでそのブランド名は認知されています。健康ドリンク「美酢」などはTVコマーシャルでも大々的に宣伝もされ日本における韓国食品メーカーとしての位置を確立しています。

今は自分達では成果は出せなかったものの、その結果を見ると嬉しい限りです

激務と辛い思いもした3年間の生活でしたが、良きも悪くも多くの体験と学びができ、私の財産となった事は確かです。

そして次回は懲りもせずに人生のミッション「日韓の架け橋」を貫くために、「日本のヒットブランド韓国進出の失敗」と「コンサルの再起で飛躍」編をお届けします。

長々と私事を連ねますがどうかご拝読お願いします。

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