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おみやげde名著 〜司馬遼太郎のバンダナ〜




今回のお土産は、司馬遼太郎記念館で買った『坂の上の雲』の大判ハンカチ(バンダナ)である。『竜馬がゆく』のハンカチも売っていたが、高校二年の私は『坂の上の雲』しか眼中になかった。
 私の人生は七歳のとき、『坂の上の雲』に出会ったことで始まったといっても過言ではない。

まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。

司馬遼太郎, 『坂の上の雲 一』, 文芸春秋, p. 7.

のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

司馬遼太郎, 『坂の上の雲 八』, 文芸春秋, p. 312.

 私にとって初めての「大人の」本であったせいもあろうが、「このような言葉の使い方をする人がいるのか」という驚きは、大砲を撃ち込まれたように大きかった。大砲というより、花火というべきかもしれない。私には、司馬氏の放つ言葉のひとつひとつが、鮮烈な光を発する花火のようであった。私は幼い心が抱けるありったけの憧れを、司馬氏に感じていた。彼が自由自在に言葉を操る魔術師のように思えたのである。私は学校から帰ると、『坂の上の雲』の文章を毎日便箋に書き写していた。そうしていると、まるで自分がその言葉を繰り出しているような気分になって、例えようもなく高揚した。言葉との出会いであった。これをきっかけに、私は明治大正期の日本文学、それと同時代の西洋文学を読みはじめ、やがて19世紀のヨーロッパ文学にのめり込むようになった。もし『坂の上の雲』に出会っていなければ、私は今のように大学で文学を専攻していなかったかもしれない。物理や植物、政治など、いろいろなことに強い興味があった。しかし、あのとき『坂の上の雲』から受けた眩しいほど鮮やかな衝撃は、何物からも得られなかったのである。『坂の上の雲』には、幼い胸を憧れに高鳴らせていた、自分の人生でもっとも美しかった七歳の瞬間が、刻み込まれている。もう二度と、あの気持ちには戻れない。
 今思い返すと、『坂の上の雲』との出会いは、私に呪いがかかった瞬間であった。まず、私を病的なまでに文学に執着させる呪いであり、また、明治を生き抜き名を残した登場人物たちのように、立身出世しなければならないのだ、と信じこませる呪いである。事をなす偉大な人物となってこそ、人生に意味が生まれるのだと思っていた。『坂の上の雲』との出会い以来、私は「一朶の白い雲」を目指して歩いてきが、今その白い雲は灰色の雨雲に飲み込まれ、見えなくなってしまった。すべてを目標のための経路だと考え、自分の感情や欲求を無視した選択をしようとしていたからである。そもそも、明治に生きた『坂の上の雲』の彼らと、令和を生きる我々とでは、置かれている状況や目指していくべき世界像に大きな隔たりがある。「立身出世」という言葉自体、この荒んだ殺伐とした社会では、的外れで空しいものに思える。身をたてれば幸せになれるという単純な明るい世界ではなくなったのだ。昔の百年分の変化が、今では十年、五年という速さで起こるようになり、今正しく、今隆盛を誇るものでも、すぐに覆されることは目に見えている。坂の上に浮かぶ一朶の白い雲など、もうないのかもしれない。だからこそこれからは、どんな時代になろうとも自分が幸せでいられることを第一に願って歩いていきたい。道は白い雲を指すまっすぐな坂ではなく、右へ左へとゆく道なき道でもよいのだから。

司馬遼太郎記念館で購入した革製のブックカバー。使い心地が良いです。
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資料


『坂の上の雲』主人公のひとり、正岡子規についても記事にしました。読んで頂ければ嬉しいです。

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