推しを求めて5泊6日の旅 その1

 皆さんには「推し」という存在はいるだろうか。今のちょっとしたブームにもなっているこの文化、1人や2人推しがいるのか当たり前と言っても過言ではないだろう。ちなみに推しという言葉の正しい意味を調べたら推しが1人や2人や3人いるのはちょっと違うみたいですがスルーします。とにかく「応援したい人、キャラ、コンテンツ等」的な意味で。

 私にももちろん推しがいる。たくさんいる。非常に困る。何せ推し活とは金がかかる。
 元々、私は小説や漫画を読むのも音楽を聴くのも映画を見るのもゲームをするのもあとは妖怪とか都市伝説とかなんかマニアックなこととか、とにかく好きである。多趣味だとよく言われる。
 小説や漫画、音楽が好きと言ってもこれまたジャンルが幅広い。
 漫画でいうと手塚治虫大先生から尾田栄一郎大先生。ちゃおも読めばサンデーも読む。ちなみに小学館で例えたが私は集英社も講談社も秋田書店もKADOKAWAも読む。特に講談社さん、青い鳥文庫の清水清志郎シリーズで私は育ちましたありがとうございます。
 音楽についても後輩いわく幅広いらしい。エルレにバクホン、バンプとラッドにピロウズ、9mm、アシッドマン、フラカン、斉藤和義、ハチ改め米津玄師、日食なつこ、クイーン、マイケミ、チャットモンチー、たしか、ユニゾン等等。忙しくて仕方ない。


 数多い趣味の中でも人によってはドン引きされるもの。されてきたもの。日本史である。

 学生時代は歴女と揶揄され、社会人になってからは刀剣女子と言われたタイプの人間がわたくしである。全ては司馬遼太郎大先生の「燃えよ剣」から始まったが一旦おいておこう。話が進まない。

 歴女・刀剣女子と言われるオタクの私の歴史関連における三大推し、御三家は下記の通りである。

・土方歳三
・熊本城
・同田貫正国

一番上については本当に話がまとまらないし終わらないのでここでは語らない。自室に土方歳三のあの有名な写真のポスターを貼っているとだけ記しておく。
 さて、熊本城と同田貫正国。熊本城はみんな知ってるよね。あの有名な城である。同田貫正国は某刀剣が乱舞するゲームで知った人が殆どではないだろうか。私はそうです。

 刀剣乱舞とは、簡単に説明すると「歴史変えたるわ!」という歴史修正主義者に対抗するため、審神者(プレイヤーのこと)の力で刀剣より生み出された刀剣男士(分かりやすく言うと刀の擬人化)が闘うぞ! 的なやつである。詳しい事はググって欲しい。

 このゲームのリリース当時から私は日本史が大好きだった。好き過ぎて日本史の専門学科がある短大に進学した。オタクの巣窟で居心地が良すぎた。
 好き過ぎて、拗らせてた。
 当時は、歴女ブームに乗ってか乗らずか分からないが、歴史上の人物を大変イケメン化したコンテンツがとても多かった、気がする。私はオタクが好むコンテンツ類は大体好んでエンジョイする勢ではあったが唯一苦手だったのが、乙女ゲームだった。キラキラしているイケメン男性を生理的に受け付けることができなかった。長髪の男性キャラには「髪を切れ」とどなり細身なキャラには「肉を食え」と怒鳴っていた。  ※乙女ゲームを否定しているわけではないです。面白いコンテンツであることは分かっています。私の癖の問題です。 
 
そんな私が刀剣乱舞のキャラクター達を見て最初に思ったのは「なるほどキラキラしているイケメンのゲームか。私はやらぬぞ決して」である。
 リリース前の事前情報が解禁された頃である。友人等はゲームの事前登録を済ませいつでも審神者になれぞと心の準備を済ませていたが、その時私は何故かイケメン達を唾を吐く勢いで嫌悪していた。

「貴女が好きな土方歳三の刀もいるんだよ!やりなよ!」
 友人に言われて、公式サイトを見た。
「髪が長い! 髪を切れ!!」
 私は叫んだ。今思い出すと本当に面倒な女だな。ちなみに私はONE PIECEではサンジよりゾロ、硬派な男がタイプです。

 そんな面倒女の私にもこのゲームをプレイしてほしいと思う友人らは、キャラクター一覧をあさった。そして見つけたのだ。同田貫正国を。

「質実剛健」「ぶっきらぼうで好戦的」「他のキャラクターに比べると黒髪短髪顔に傷有と武骨な印象」

 私は思った。

こんなん好きだが?!?!?!?!?!

 すぐにゲームに登録した。同田貫正国を我が本丸に迎えるため頑張った。凄いレアという訳では無い様なので頑張れば来ると信じ、マウスをクリックし続けた。同田貫正国を迎える前にスーパーウルトラレア三日月宗近が来た。なんでや。

 同田貫正国にハマりまくった私。彼の好きなところをあげていくとキリがない。好き過ぎてレポートを作った。友人たちに爆笑された。

 さてこの同田貫正国、調べてみると加藤清正のお抱え刀匠「同田貫正国」がつくった刀の総称とのこと。熊本県が聖地のようだ。




聖地巡礼、行くか。

 そう思ったが学生の私には東北から熊本に行く旅費なんてとてもじゃないが払えない。社会人になったら行こう!そう思いながら卒論と就活をなんとか終わらせて私は社会人になった。
 震災がおこったのは社会人になってすぐだった。


 はじめて熊本県に足を踏み入れたのは社会人4年目の初夏。6月だ。夜行バスで東京に行き、生まれてはじめて飛行機に乗った。熊本について観光地を見て回り、目的の推し刀剣である同田貫正国を見た。かっこよかった。ここも長くなるから簡略します。本当に、かっこよかった。
 さて、推しを見て熊本市に戻った私が次に向かったのは熊本城だ。震災のこともありテレビやネットで見る機会の増えた熊本城。歴史は好きでもお城についてはそこまで詳しくない私でも名前は聞いたことのあった熊本城。人からよくマニアックと言われる私である。この時私はこう思った。

「復興途中のお城を見れる機会なんて今後あるのか? いや、ない」

 好奇心だった。ほんの僅かな好奇心をもって私は熊本城に向かった。

 熊本城を見て、悲鳴を上げた。TPOは弁えてるので、心のなかで。 

 かっこいい!!!!え?かっけええ!!なんだこれ!!!!!!!

 かっこよかったのだ。遠くからでも見えた堂々と立つ天守閣。今にも崩れそう、でも崩れない石垣。とても広い城内。

 まんまと惚れた。一目惚れとはこのことか。
 毎年行くと、決めた。その年の冬、コロナが蔓延した。


 2023年6月深夜。連続休暇をとった私は駅のバス乗り場にいた。およそ4年ぶりに、推しに会いに向かうのだ。
「4年に一度か…オリンピックかな?」
 そんなことを思いながら、私はバスに乗り込んだ。

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