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♪またひとつ個人的通過点に手を振って

♪齢63を迎えられたことは、個人的に結構感慨深かったりします。

ちなみに日付変更線微妙の生誕だったらしく、実際には 7/12 だった可能性も? ・・・・・・ ですからこのタイミングでアップします。
 
  
もしかすればそれは、己が人生を振り返るなか、最も幼い頃の記憶?
 
もしくはモノクロ写真に収められていたそのワンシーンを見返すことで、
 
( ; ^o^ ) 時間差で記憶として擦り込まれたのかも?
 
 
そんなことはない。
 
Because 交わした会話の声色口調まで、鮮明に思い出せるから。
 

近年こうした夏雲を見かけなくなったような?

  
まだ幼稚園入園前だったから、昭和30年代末のこと。
 
最初の東京オリンピック開催(新幹線開業)の頃だった計算になります。
 
場所は当時徒歩数分の場所に住んでいた、父方の祖父母宅。
 
実父の末妹はまだ大学生で、私にとっては大きな姉のような存在?
 
 
「はい。あーん。ちゃんとちてくだちゃい」
 
患者役を演じる祖父の口腔内を、円錐形の懐中電灯で照らす、幼い私。
 
「おいくちゅ(何歳)でちゅか?」
 
「63歳」
 

今春撮影・区画整理で解体開始直前の、亡き祖父母宅。

 
来月には初孫娘も満2歳に。
 
3月の福岡弾丸ツアー以来、足を運べていません。
 
この春から保育園に通い始めて4ヶ月目。
 
「今は外の社会での日々初体験が最優先課題。爺婆の存在は雑音だよ」
 
相方を諭しつつの自問自答、よもやこんな晩年を経験できるとは(驚)。
 
 
 
仕事とされる作業も、ここから密度が増して予定が埋まっていて。
 
おそらく毎年同じことを繰り返しているだろうけど、
 
「ひとつずつ丁寧にクリアしていけば、翌年への扉に指先が届くはず」
 
ここ最近INPUTがお留守気味 = アイデア持ち出し状態のウエイト高?
 
( ; ^-^ ) ストックを増やす姿勢も忘れずに。
 

ちなみに自宅で和裁教室を開いていた祖母は、折り紙の達人でもありました。

 
もちろん随分後になって理解できたこと。
 
警察官を定年退職後は、地元で色々な他業種に携わっていた祖父。
 
給食センターでの調理や、近所の工務店で事務などを担当していたりも。
 
とにかく手先が器用で、棒編み(編み物)はプロレベル。
 
海軍に徴兵された際に、実益と退屈凌ぎを兼ねて覚えたそうな。
 
戦地の銃撃戦で打ち抜かれた右腕の傷、幼心に怖かったっけ。
 

推定1962年撮影・幼い日の私。
新聞紙の帽子は間違い無く、祖父の即興作品でしょう。

  
当時の祖父はそんな第二の人生もひと区切りから、隠居生活だったかな?
 
明治生まれながら170cmに届く高身長 + 均整の取れた体型。
 
北欧もしくはロシア系の血が混じる(※信憑性高)、彫りの深い顔立ち。
 
晩年は近所の公園で、高齢女性の心を日替わりで射貫いていたとか?

「私の口座番号と暗証番号は◆◆◆◆ですゥ~」

たずねなくとも彼女たちのほうから、こんなふうに言い寄ってくるほど?
 
 
“隔世遺伝” って嘘だな。
 
似ているのは色白と、近所の公園を徘徊しているくらいかな。
 

狭い自宅=登録事業所所在地 → こうなりますわな。

  
我が職業は、税務署公認の青色申告個人事業主(歴23年目)。
 
不労所得も財産もありませんし、歩みを止めればそこが寿命です。
 
大海を移動する魚みたいですが、群れを成すのは嫌いです(笑)。
 

久々の夜の大阪梅田でパチリ。

  
自らの意志で隠居生活を始めることは許されぬ、退屈とは無縁のこの道。
 
( ^o^ ) まだ生きています & ご迷惑にならぬよう努めているつもりです。
  
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ちなみに丁度1年前の記事を振り返ってみると・・・・・・
  

(昨年同月同日更新)
 

( ; ^o^ ) たった365日前のこの日のこと、記憶に見当たらないゾ?
 
 
7/13/2024 (SAT)
 
 
#412 / 5506.

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