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視線の先|#夏ピリカ応募

 山形から東京の高校に転校した初日から、僕の視線の先は彼女にあった。

 一番前の席で彼女は、僕が黒板の前で行った自己紹介には目もくれず、折り畳み式の手鏡を持ち、真剣な顔で前髪を直していた。そのことが気になって、彼女の様子を観察してみる。休み時間になる度、彼女は不器用そうに手鏡を開く。自分の顔と向き合い、たまに前髪を直す。何度か鏡の中の彼女と目が合ったような気がする。鋭い目つきで少し怖い。隣の席のクラスメイトに「彼女はいつも手鏡を見てるのか」と訊くと、バツが悪そうに「分からない」とだけ答えて何処かに行ってしまった。

 その日の帰宅途中、駅のホームで彼女を見かけた。変わらず手鏡を開いている。しばらくして電車が来て、僕は乗ろうとしたが、彼女は微動だにせず、鏡と向き合っている。僕は乗りかけた電車を降り、意を決して彼女に話しかけることにした。
「あの、同じクラスの玉田だけど、電車来てるよ」
 彼女は何も言わず、真剣な顔を崩さない。アナウンスがあり、電車の扉が閉まる。
「何で乗らないの? そんなに自分の顔が気になるの?」
 彼女は、電車から降りてきた人が周りからいなくなったことを確認してから、ようやく口を開いた。
「あなた転校生だよね?」
 僕は静かに首を縦に振る。
「じゃあ、絶対に犯人じゃないし、教えてあげる」
 彼女は不器用な手つきで手鏡を閉じた。
「自分の顔を見てるんじゃない。鏡に映り込んだ人の顔を見てるの」
「えっ、でも前髪を直して……」
「それは前髪が伸びてきて、鏡を見るのに邪魔だから、かきあげてるだけ」
「でも何で、他人の顔なんか。しかも鏡越しに……」

 彼女は教えてくれた。転校生だから、絶対に犯人じゃない僕に。

 ひと月ほど前、彼女は、この駅のホームで電車を待っていた。待ち時間に手鏡で自分の顔を確認していると、突然、背中を強く押され、線路に突き落とされた。その結果、左手を負傷して思うように動かなくなり、小さい頃から続けていたピアノもできなくなってしまった。手鏡の開閉が不器用そうだったのは、その影響だそうだ。彼女は警察に被害届を提出したが、目撃者もおらず、彼女の不注意による転倒と認定された。それからというもの、彼女は独りで犯人を探し、復讐を試みている。唯一の手掛かりは、鏡越しに見た犯人の口元だけ。彼女が言うには、男性か女性かも分からない、だけど、もう一度見たら分かると言い切れる気持ち悪い笑顔の口元。そのことを聞いた僕は何と言っていいかが分からず「頑張って」とだけ伝えて、その場を離れた。

 翌日、学校に着くと、教室が騒がしかった。あのホームで、また線路内への転倒事故があったらしい。だけど、犯人も被害者も、まだ公開されておらず、みんなも分かっていないようだ。僕は彼女の席を見やる。空席。もうすぐ朝のホームルームが始まる。彼女が向けた視線の先は、鏡越しに犯人をとらえたのだろうか。

(1,190字)



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