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「非合理なビリーフ」に気づいた「目から鱗」の体験について

私は介護事業者の経営をメインとして活動していますが、自分のライフワークとなっているのが、このnoteのぺージタイトルにもなっているように「対話」によって個人や組織の可能性をひらくことへのチャレンジです。
その「対話」の要素としてとても重要なものがコーチングスキルです。
コーチングスキルは今は某国内老舗コーチングファームにてクラスを持たせて頂いたり、様々なクライアントにセッションを提供したりしているわけですが、最初はまず自分がコーチングを受けるという体験があったんですよね。まさにそれまでの自身の非合理な思い込みを突き付けられたような、「目から鱗が落ちる」ような体験でした。
今回はそのあたりのことを書いてみたいなと思います。


私がコーチングを受けるきっかけとなったのは・・

私がコーチングを受けるきっかけとなったのは自分自身のリーダーシップについての悩みが深くなったことですね。今から7年くらい前でしょうか。
当時お陰様で組織が徐々に大きくなっていった時に、最初数人で始まった頃とは全く違うリーダーシップが求められているように感じ、迷いの中で自分自身のスタイルが出来ていって、数年経過し、本当にこれでいいんだろうかと悩んでいたんです。

色んな課題・問題がある中で、誰がこの組織を統制取っていくのかとなったら自分しかいないし、言葉は悪いけれども、いわゆる誰かが締めないと、という文脈で私はまさにバリバリのコントローラー、「指示型のリーダーシップ」が確立?!されていきました。

指示型のリーダーシップといっても、それってどういうこと?という方もあると思います。リーダーシップ論は様々な学者が色んな理論を説いているのですが、そこを今日は詳しく言っても意味がないですね。
ワードそのものはSL理論とかに出てきますが、私がここで「指示型」という言葉を使いましたのは、メンバーに細かく指示を出し(まさにマイクロマネジメント!)、自分がこの事業のすべてを把握して必死になって責任を果たさなければならない!!!という思いにとらわれていた、という意味合いです。

確かに、自律的に動きだす人は少なかった(私が引き上げてあげられなかっただけですが)ので、私が何とか問題のすべてを解決しなければならない。そしてお客様、職員を守っていかねばならない。また地域社会に対してもしっかり「責任」を果たさなければ。
そういう「責任」に見合うような「私」に成長しなければならない!
ここまでに何度も出てきた言葉、わかりますか?
「ねばならない」です。
常に気を張って、組織の統制を考えて、正直メンバーとは常に一線を引いていました。私がゆるい空気を作ったら、この会社がダメになる!誰がまもるんだ、という感じです。
ただそのキャラは本来の自分自身のものとは程遠いものでした。
YouTubeや音声配信などで触れて頂いた方は分かられると思いますが、私は元々は人が好きで、結構フランクな関係性を好みます。本来の自分とは別な、会社では「役割」を演じるような形でリーダーシップを発揮するしかなかったんですよね・・。


コーチングを受けてわかった私の「思い込み」

ここからちょっと話は変わります。
そんなわけで私は自身の「リーダーシップ」に大いに悩んでいたわけですが(ほとんど語っていないので周囲は気づいていないと思いますが)、
友人に相談した時に、コーチングというコミュニケーション手法があると知り、自らかなりベテランコーチのセッションを受けたんですよね。
テーマは「私のリーダーシップについて」でしたかね。最初は。
セッションは何度か重ねるうちに、リーダーシップそのものの内容から、私自身の人生の目標やゴール、ありたい姿などの話題になっていきました。
そこでのやり取りは、今となってはログを見返すと面白いです。。。

コーチ「結局みなっくさんが目指しているビジョンってどんなものなんでしょうか?」
私「いや、ビジョンとか言う前に自分は今これこれこうしなければならないんですよ」
コーチ「リーダーとしてどうありたいんですか?」
私「どうありたいも何も、とにかく自身の責任をはたさなければならないんですよ」
コーチ「責任・・・。大きな責任を果たしていく中で、皆川さんが成し遂げたいことは何ですか?」
私「まずこれ、とこれ、これもやらなければなりません!」

こんなやり取りが何度もありました。
実はコーチと私とですれ違っているんですよね(私に原因がありますが)。
コーチが聞かれているのは、
「何がしたいのか?」(want toを聞いています)
私が答えているのはすべて
「何をしなければならないか?」(have to)
なんです。
コーチの質問は「私のやりたいこと」「成し遂げたいこと」を聞いてるんですよね。まさに「want to」の質問です。
コーチはおそらくこのすれ違いに気づかせるためにあえて何度か繰り返された上で、聞かれました。
コーチ「皆川さんが答えてくれているのは、〇〇しなければならないっていう内容ですね。それも大事かもしれませんが、結局どうしたいんですか?会社が、こういう立場が・・、それも分かりますが皆川さんはどうしたいんですか?」と。。




自分の心のうちに初めてきづいた時の感情を写真で表した図・・笑

「have to」の呪縛?

その質問をされたとき、はっとしました。
いや、愕然としましたね。。。
シンプルに言って私には今、「やりたいこと」がないんだと。
立場とか、会社がこうだから、これこれしなければならないと言っているけれど、みなっく自身はやりたいことが見つからないまま、いや見ようともしないままさまよい続けてるだけじゃないかと。
「やらなければならない」ことに縛られている方が実は楽だったんじゃないのかな?と。
この気づきは本当に私にとって大きかったですね~~~。
最初聞かれたとき、あれ?やりたいこと?出てこない・・・
と分かった時には衝撃でした。

じゃあどうして私は常に自分の発想が「have to」ばかりになってしまったんだろうと自らの心中を深堀していきました。
その結果分かったことがありましたね。
一言でいって、これまで真面目すぎたんだなと。(簡単なこたえ)
それはどういうことか。

(ここに書けないことがほとんどですが)人生は苦しいことだらけ。大体うまく行くこと自体が少ない。どんなに苦しいことがあってもどうやって乗り越えていったらいいのか。どんなことがあっても、動じないような腹の据わった男にならなければいけないんだ!
こんな思いが私の腹底に根強く存在していました。
どんなに苦しくても動じない腹の据わり。これを手に入れることが私が頑張る理由であり、人生で成し遂げるべき(成し遂げねばならない)大仕事だという固定化された信念。言い換えれば思い込み。
それがあったから、否応なしに苦しいことやつらいことに対応させられるのが人生だから、「〇〇しなければならない」という発想しか出てこなかったんだろうということに気づきました。
これは元々そういう性格だったというよりも、成長して生きてきた中で後天的にそのような「ビリーフ」が自分の中で育ち、また外因的な要素においても植え付けられてきたんだということが分かったんです。
これはもう「have to」の呪縛ともいえるものですよね。。。




アルバート・エリス

アルバート・エリスの論理療法

自分自身の「ねばならない」という信念はあくまで「思い込み」なんじゃないかと気づいた私が次に知ったのは、アルバート・エリスの論理療法でした。コーチングに関係したビリーフマネジメントって何だろうと深めていくうちにたどり着いてました。
私は心理学が専門ではないので、詳しくはここで触れられませんので引用でこちらに書かせて頂きましょうか。

論理療法(ろんりりょうほう、英語: rational therapy)とは、アルバート・エリス(Albert Ellis)が1955年に提唱した心理療法で、心理的問題や生理的反応は、出来事や刺激そのものではなく、それをどのように受け取ったかという認知を媒介として生じるとして、論理的(rational、あるいは合理的)な思考が心理に影響を及ぼすことを重視している[1]
理論としては、出来事(A)、ビリーフ(Belief、信念)、結果(C)のビリーフ(B)のうち、非合理的なイラショナル・ビリーフを論駁するという、ABC理論を特徴とする。心理的な問題や生理的な反応は、出来事そのものではなく出来事の受け取り方によって生み出されるものであり、非合理的な受け取り方から合理的な受け取り方に変えれば、そうした反応は弱くなるかなくなるという理論である[7]
(wikipediaより抜粋)

論理療法とネットで検索すると沢山ヒットしますので、関心がある方は調べてもらいたいのですが、数あるサイトの中で私が分かりやすいなあと思うもののリンクをこちらに載せさせて頂きます。

是非、上記リンクは見て頂くと理解しやすいかなと思います^^

ABCDE理論とも言いますが、それぞれ
A:Activating event(出来事)
B:Belief(信念、固定観念)
C:Consequence(結果)
D:Dispute(論駁)
E:Effect(効果的な新しい信念)  となります。

出来事(A)によって引き起こされたと思っている悲しい、嬉しいなどの感情は、出来事そのものではなく、その出来事に対してその人の信念(B)が不適切な解釈をした結果(C)と言えると。出来事をどう解釈するかという(B)によって結果が決まってくるってことになります。
そのBがイラショナルビリーフといって、非合理な信念と言えるもので、私ならば、「人生は苦しいもの」「問題が起きたら自分が解決しなければなららない」「自分が代表なんだからすべて自分が先頭斬ってやらなければならない」などの固定観念を持っていたということになります笑

その考えは思い込みじゃないか?もっと別な考え方もできるんじゃないの?自分で背負い込むことはないし、人生はもっと楽しいモノなんじゃないの?というのがDですね。論駁。
そして、あ~こんなに自分を追い込む必要はないんだなあ、失敗してそれをとにかく少しでも早く解決して再発しないようにするなんていうのはそれができたら素晴らしいけど、いつもそんな風に物事進むわけじゃないし、もっとなるようにしかならないと思って構えてもいいんじゃないの?という感覚を持てるようになった、というのが、ABCDEで言うとEになりますね。効果的な新しい信念です。
この論理療法に関する本は何冊も手に入れて読んでみたのですが、私にとってはとてもしっくりくる考え方で、この理論を知ることができてよかったと思っているんです。


非合理なビリーフを手離す

私はコーチングを受けることで、自身のねばならない症候群的な非合理な思い込み(イラショナルビリーフ)に気づくことができました。
コーチング自体が色んな解釈や理解ができるのかもしれませんが、私はやはりクライアントの方が持っている自らのイラショナルビリーフに気づき、それを手離して、新たな効果的な信念を持てるようになる(パラダイムシフトが起きる)のがまさにコーチングの醍醐味じゃないかなと思っています。

私自身も「ねばならない」(have to)症候群にとらわれている時には気づかなかったのですが、もっと自分の為にやりたいことをやりたいと言っていいし、もっと肩の力を抜いて「やりたいこと」を探してみると人生楽しくなるし、なんとかなるさと思うことで、本当に何とかなるものだと心が大変わりしたんですよね。

だからこそ、コーチとして活動を始めている今は、どんなセッションを目指しているかというと、クライアントが自身の「イラショナルビリーフ」に気づいて、パラダイムシフトが起きるような対話ということになります。
いろんなコーチの方がいますが、ただ単に思考の整理程度であれば、コーチングでなくていいのです。私はクライアントがビリーフに気づいて大きく行動変容を自ら起こす伴走支援がしたいんですよね^^
この文章を読んで、私のコーチングセッションに興味がある方は是非直接ご連絡下さいね☆
XのDMが一番連絡が取りやすいと思われます。

これまではコーチングを含めた私が提供している対人支援のサービスは紹介でお受けしていたのですが、この2月以降はきちんと整理してどなたでもご希望頂けるようにしたいと思って準備中です。
ご関心ある方はお問合せ下さい^^



とは言っても「非合理なビリーフ」はまるで人間の業のように・・でも清々しくもあり。

さて、常に何においても「ねばならない」という思考・信念にとらわれていた私がコーチングセッションだったり、論理療法を知ることによって、それに気づいて、新たな信念を持つことができたっていう話をここまでしてきたのですが、実はそんな単純なものではないんですよね笑
この「非合理なビリーフ」っていうのがとても厄介なもので、私の感覚では恐らくなくなることって死ぬまでないんじゃないかなと。

笑ってしまうんですが、たとえばこのnoteも、今年から週1回更新しよう!って地震があった1月1日に決めたのですが、そこから、いつものようになぜかこのnoteを週1回、更新しなければならないんだ!私は!みたいな信念に心が囚われていることに昨日気づきました笑

あーまた出てきたな、しつこいなと思いますが、以前とは違います。このような発想や、思いになる傾向があるのが自分だということが分かっていますので。ここが大事なんですよね。
非合理なビリーフをそれだとつかめたかどうか。自覚しているかどうか。
以前はそれが非合理と思わずに、正しいと思い込んでいたわけですから、やはり大変わりできたんです。
非合理なビリーフ(イラショナルビリーフ)はおそらく人間の業とほぼ同義なんじゃないかなと思います。(学者の方間違っていたらすみません)
「わかっちゃいるけどやめられない」の世界です。

最後に。
でも今は「わかっちゃいるけどやめられない」と以前のように「ねばならない」症候群の私がムクムクっと出てくる瞬間に、そんな自分も含めた自分自身を前と違って、受け入れて、愛することができているんじゃないかなと思っているんです。伝わるかな~~?いわゆる自己受容ってやつです。
その辺りも今後、このnoteで触れていきたいなと^^

では今日はこの辺で!長くなりました!!

以上です☆



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