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色んな(複数の)顔を持つということ

さてこの土日は比較的時間に余裕がありました。
久々に自分自身を整えることができているかなと思います^^
あ、世間は3連休かぁ。私は明日はまあまあ普通にお仕事な感じですね。
さあ今日もnoteの更新いってみよーかなと。

タイトルは色んな顔を持つということ、としたのですが、打ち込みながら思索を深めていく感じになりそうです今日は。
色んな顔を持つということ、というタイトルは別の言葉で言うと、多元的自己とか、マルチアイデンティティに関連してこうしてブログを書きながら自分自身を振り返りたいなってことなんです。

でも多元的自己とマルチアイデンティティとはちょっと意味するところも違うようですね。興味本位で調べていくと色々と論文とかにも当たったりして。自己とアイデンティティ自体は別物なんだろうし。
まあ私は学者ではなくただの一般人なのでそこら辺はあまりこだわらずに勝手に書いていきましょうw^^


色んな顔を持つと言ったのは、ここに書いてある内容が一番しっくりくるかな。私の感覚と。

実際、アイデンティティはもっと多元的になっています。
1980年代の後半から、Aさんとは恋愛のこと、Bさんとは勉強のこと、Cさんとは趣味の話といったように、友人のタイプに応じ別の顔を見せる若者が増えてきました。
その背景にあるのが、消費社会の成熟による価値観の多様化です。分かりやすくいえば、学校のクラスがまとまりを失い、趣味の仲間が集うクラス横断のグループの方が活性化するような状況が起こってきました。
さらに1990年代にかけて、携帯やメールといったパーソナルメディアが普及し、同じ中学出身、同じ高校出身、同じクラス同士、同じサークル同士、バイト仲間といったように、複数のネットワークに所属しながら、別の顔を使い分ける学生が当たり前になってきました。
その下の世代は、フェイスブックやラインといった、パーソナル機能が一層強化されたメディアを駆使するSNS世代ですから、その傾向がさらに高まっています。
そうした多元的自己を駆使して大学までやってきた若者が就職した途端、職場だけの顔になるのは無理でしょう。「働いている私だけが本当の私じゃない」と思っているはずです。職場以外にも、別の自分の顔を見せる場があるわけです。その場は趣味のサークルかもしれないし、ボランティア団体かもしれません。
企業側も包摂の姿勢をますます弱め、社員の副業を大っぴらに認める動きも出てきました。
私は学生によく言うんです。働くことは生活の一部であり、職場はそのための場所にすぎないから、別の場面で通用する顔を複数もっていた方がいいよ、と。
職場にしか生き甲斐がない人間は労働者としても弱い。それよりは活躍の場を複数もった自立的な人間のほうが思考も柔軟で、いざという場合、頼りになるのではないでしょうか。企業も積極的に働きかけ、社員が多元的な自己をもてるようにするべきです。

https://www.recruit-ms.co.jp/issue/interview/0000000603/

上記のリンクの文章の一節を引用させて頂きました。

価値観の多様化、ライフスタイルの多様化、居場所が複数あることなど、その場、その場のキャラや立場、違ったりしませんかね?
私は思いっきり違いますね笑
多重人格ってことではないのですけれどもw^^

こういう傾向ってSNSが発達して、皆が使い倒すようになってからますます強くなっていったのかなって思います。
例えばXとかにしてもいわゆる「裏アカ」とかもあるじゃないですか。
表とは全く別のSNS上の人格(アカウント)といて動いている人なんて多いんじゃないかなと思います。いい悪いじゃなくて。

あるSNSのコンサル的な人に、「趣味」とか「推し活」的な投稿が多くなると、「経営者」としての投稿が埋もれてしまって、そのアカウントのedgeが効かなくなるから、「趣味」や「推し活」は別アカウントでやるのも1つですよとアドバイスを受けたことがあるんですよね。

ま、そのアカウントのフォローとかインプレッションを伸ばしていくのにはそれがいいのでしょうけど、私はXの場合はそれら混然一体となっているのが本名をだしている「私」だと思っているので、そのまま内容はがちゃがちゃと色々と混ざっているのが現状ですけどもね。

ただやはりこうして多元的な自己だとか、マルチアイデンティティという考え方は今のようにテクノロジーが発達し、働き方や生き方、ライフスタイルなどが変わったからこそ、出てきたような概念、考え方なのかなとは思います。


こちら、プロティアンでお世話になっているタナケン先生こと田中研之輔教授と、ビジネススクール(グロービス)の時に授業に出させて頂いていた伊藤羊一さんの対談。日経ビジネスにありました。
ちょっと前のモノですが。。。
その中でタナケン先生が、

日本人は「アイデンティティーは1つである」という幻想を抱いていますよね。1大学、1専門……と、いろんなものを「1つだけ」に絞らせようとする。それをこれから先は、「2、2、2でいい」といったようにマルチアイデンティティーに変えていかないといけないんです。
 『ライフ・シフト』で僕が感銘を受けたのは、人生には複数のステージがあると唱えていることです。A、B、C、D……と家庭や会社、地域コミュニティー、副業など、多様な輪の中で“複数生”を生きていい。それが人生100年時代のセーフティーネットになるんです。シングルアイデンティティーだとつまずいた瞬間に人生が終わってしまう。それはあまりにも危険すぎます。
 「マルチアイデンティティーだと芯が揺らいで自分を見失う」という批判もあります。けれど人間はもっとしなやかな生き物です。そもそも大人になるといくつもの役割を生きていますよね。会社の人、地域の人、高齢の親を持つ息子であり、夫であり、子供の親……と。もともと“複数生”を生きているのだから、仕事においても複数のコースを生きられる。そんな時代になるはずです。

https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00015/092500015/

と仰っていて、とても私自身もしっくりくる考え方なんですよね。
リンダグラットン先生の「ライフ・シフト」を私も読みました。
確かに人生には複数のステージがあり、マルチに複数の多様な生を生きていい、それが人生100年時代のセーフティネットになると。なるほど。

私自身、これまで約15年培ってきた介護事業の経営者というアイデンティティがまずあります。おそらくそれが「芯」なんだと思うんです。
その周辺事業として移動販売などの社会的事業を手掛けるソーシャルビジネス経営者の側面もあります。
また、数年前から学んできた内容を活かして「コーチング」「キャリア相談」「コンサル」「メンター」などの顔もあります。
また幾つかのコミュニティ運営者としての顔もある。

経営者として、メンターとして、コミュニティマネジャーとして、
それぞれ同じのはずがないんですよね。
それぞれの「顔」があります。
だからこそ面白いのかなと。
複数の生を生きる。しなやかに。かろやかに。

そして自分の中でスッキリしているのは、その複数の生を生きる私の中に、一貫して貫かれている「パーパス」は一応持っていて・・。
それがこのブログのタイトルにも出しているんですけど
「対話によって個人と組織の可能性をひらく専門家」
ってことなんですよね^^


チャットGPTに自分のことを聞いてみると・・

最後に。チャットGPTに私のことを分析してもらいました笑サニーウインググループの代表はどういう人なのかと。そしたらこんな返答がww

皆川敬氏は、新潟を拠点に活動するサニーウインググループの代表であり、介護事業を中心に地域に根ざした企業運営を行っています。彼は、地域に密着した高齢者向けサービスの提供を通じて「信頼」を重視する一方で、利益が出にくいとされるサービスにも取り組みます。これは、長期的な信頼構築が地域社会からの支持を得ると同時に、新しい人材の獲得にもつながると考えているからです​ 。
皆川氏の経営哲学には、対話とコーチングの要素が強く反映されています。彼は「対話によって個人と組織の可能性を最大化する」をモットーとし、職員とのコミュニケーションを重視しながらリーダーシップを育成し、企業文化を築いています。また、自身が経営に携わるだけでなく、メンタル面のサポートやコーチング活動にも取り組んでおり、個々の信念(ビリーフ)に基づく成長を支援することに情熱を注いでいます​ 。
さらに皆川氏は、地域の買い物弱者支援など、社会課題にも積極的に取り組んでいます。特に、買い物の困難な高齢者を支援するための移動販売サービスを提供しており、クラウドファンディングなどを通じて支援者を募ることで、地域貢献を目指しています。このような取り組みは、収益性よりも地域の高齢者の生活の質向上に焦点を当てており、彼の社会貢献活動への情熱が反映されています。

当たってるか?笑
半分くらい??
んーどうだろう^^

色んなことに手を出して、さまよっているようにも見えているかもしれませんが、自分の中では複数の顔を持ちながらも、統一化されたアイデンティティにつながる「パーパス」を掲げながら生きているんです、ってことが言いたかったのかな~。
ほんと思い付きで書いてしまった記事でした^^

今日はそういうことで以上です!
あまり内容的にまとまらなかった~~笑


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