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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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2024年4月の記事一覧

日本的霊性 抄(要点まとめ)

鈴木大拙著「日本的霊性」の入門的紹介 (更新 2024.6.2) はじめに  鈴木大拙の「日本的霊性(i)」は、仏教を題材にして、霊性を探究していく。太平洋戦争末期の言論統制の下にあって、本書で大拙は、無鉄砲な「日本精神」の宣揚をやんわり批判する。戦後に発行された続編では、今度は明示的に「御稜威」の思想を批判している。戦争が世界に再び蔓延しつつある令和の今、平和を願うすべての人に読んで欲しい良書であり、また大変な難書でもある。  結論から言えば、大拙のいう「霊性」とは、大

鈴木大拙の不生思想 「ただ不生のまま」

更新 2024年5月12日  盤珪禅師は江戸時代前期に活躍された臨済宗の僧で、いわゆる不生禅の生みの親である。禅師は「不生を念に変えるな」、「30日間だけ念を消す努力をしてごらん」と言う。  (不生禅の要旨は ↓ 参照)  この不生禅だが、後世に残された盤珪禅の聞き書きを読むと、「仏心」の文字が目立っている。また、現在世に出ている解説書を見ても、盤珪が「不生」とのみ言っているところを「不生の仏心」と修正していることが多いようだ。なぜかというと、現代の仏教者がこの「不生」

仏教の流れについて(2)無知だったこと、今ようやく成る程、と

廃物毀釈について腹に落ちた。これまで齧って来たことに加え佐藤哲朗、星飛雄馬、岡本直人諸氏の対談を聞いて、そうか、と。これまでは明治新政府の欧化政策のなか、ヨーロッパ王権がカソリックや国教会によって権威付けられている仕組を取り入れて、王政復古とセットで国家神道を新政府に導入するに際し、邪魔だから、さらに神仏習合の下、仏教僧侶の下流に置かれた神道家の積年の恨みもあって、寺や仏像が破壊されたとのみ理解して来た。しかし、梵我一如、国土草木悉皆仏性、ひとはみなそれぞれに仏性を備えており

仏教の流れについて(1)無知だったこと、今ようやく成る程、と

ヒンドゥー教10講から。 空海の密教は全く正当なタントリズムだと。ヒンドゥー教の今日に残るタントリズムの儀式作法と空海が招来した真言宗の儀式作法は全く同一であると。ミシェール·ストリックマンは1972年学会のため訪日したがこのことにショックを受けて5年京都にとどまり密教を研究した。1300年以上も前に書かれた中国のテキストを通じ知っていたことが突然京都で目の前に現れた、と。インドの中世シヴァ教の聖典と中世仏教のタントラは全く同じもので、後者は中国から日本に伝わり、真言宗として

スピノザと西田幾多郎 その2

内在と超越・・補完説明  内在とはある存在の本性に含まれ、またとどまっていることである。超越に相対する概念ある。 例えば人の良心は内在によって、権威の介入なしにおのずと罪を悔い改めることができる、そのようなことである。汎神論では神の働きは自然に内在していて、神は世界から超越せる外的存在ではなく人の内在的活動として定義されている。 次に超越もしくは超越論的とは経験を越えて、経験に先だって経験の成立条件を問う際に成立する認識という意味であり、その意味をくんで「先験的」ともいう。

スピノザと西田幾多郎 その1

最近買い替えたPCに以前のPCからファイル移動していた時、このような記事がみつかった。 この記事がどのような経緯で書かれたのか、どこまで自身のオリジナル的内容なのか検証できていないが、私が以前から関心を寄せる内容なのでNoteに載せることにした。 「知性改善論」「神学政治論」を世に説いた、近世哲学の一つの流れを生 み出した 17 世紀の哲学者、ベネディクトゥス・デ・スピノザ(1632 - 1677)。 彼の名が現代に語り繋がれ、とりわけ彼の哲学が、現代思想にも巨大な影響を

三村尚央『記憶と人文学』/中村昇『ベルクソン=時間と空間の哲学』/ベルクソン『物質と記憶』/沢耕太郎『写真とことば』/ロラン・バルト『明るい部屋』/ソンタグ『写真論』/ベンヤミン『写真小史』/ゼーバルト『アウステルリッツ』

☆mediopos3451  2024.4.29 三村尚央『記憶と人文学』第一章 「写真と記憶、記憶の写真」から すでに本書は吉田健一『時間』とあわせ mediopos2397(2021.6.9)でとりあげているが 今回は写真との関係における「記憶」について ベルクソンをガイドに・・・ 「写真は一体何を写し出しているのか?」 写真が誕生して以来 繰り返されてきている問いである 一葉の写真には 「被写体」「撮影者」「鑑賞者」が 多様な関係で結ばれている たとえば過去

『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』/『世界哲学史1』/『世界哲学史8』/納富信留『世界哲学のすすめ』/山川偉也『パルメニデス 』

☆mediopos3450  2024.4.28 『ミリンダ王の問い』という バクトリア周辺のギリシア王のミリンダと 仏教僧ナーガセーナとの対話が残されていて 「ミリンダ・パンハ」(パーリ語)と呼ばれる 仏教の外典となっている ギリシア人が最初にインドに赴いたのは 前五〇〇年アレクサンドロスの遠征によってだが それから二〇〇年近く経った前二世紀半ばに 上記の対話が行われたとされ テクストの原型が成立したのは 前一世紀前半から半ば頃と考えられている ミリンダ王は 「「あ

オウエン・バーフィールド『意識の進化と言語の起源』『言語と意味のとの出会い』

☆mediopos3447  2024.4.25 オウエン・バーフィールド (1899.11.9-1997.12.14)は ルドルフ・シュタイナーの影響を受け シュタイナーハウスでの講義を行ったり シュタイナー出版から著作を刊行したりしているが とくに日本ではおそらくほとんど知られていない (一般には『英語のなかの歴史』(中公文庫/1980)が 訳されているくらいだ) 第一次大戦に参加した後 オックスフォード大学で法律を学んだ後 一九五七年まで弁護士を開業しながら著作を

「生まれてこないほうが良かった」のか?

●「反出生主義」と「生命の哲学」  「生まれてこないほうが良かった」という思想を「反出生主義」というが、『現代思想』令和元年11月号が特集「反出生主義を考える」を取り上げていて興味深い考察が行われている。平成29年にデイヴィット・ベネターの『生まれてこないほうが良かった』(すずさわ書店)が翻訳され、日本でも活発な論議が展開されてきた。  同特集の冒頭で、『生まれてこないほうが良かったのか?一生命の哲学へ!』(筑摩選書、令和2年)を出版して、この「反出生主義」思想を徹底検証し、

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第1205回「仏心の中に」

人は仏心の中に生まれ 仏心の中に生き 仏心の中に息を引き取る 朝比奈宗源老師の『仏心』の中にある言葉です。 仏心というと、仏の心ですから、それは私たちの中にあるように思います。 「仏心」とは、岩波書店の『仏教辞典』には、 「仏の心、大慈悲心をいう。 観無量寿経に「仏心とは大慈悲心是れなり」とある。 わが国では<ほとけごころ>と読んで、大慈悲心、卑近な言い方をすれば、優しい心を意味することがある。 また衆生の心にそなわる仏の心、すなわち仏性を意味することがあり、特に禅宗で重視される。ここから禅宗のことを<仏心宗>ともいう。」 と書かれています。 仏心は私たちの心に具わると説かれています。 仏性とも言うと書かれていますので、仏性とは何か学んでみます。 岩波書店の『仏教辞典』には、「衆生が本来有しているところの、仏の本性にして、かつまた仏となる可能性の意。 <覚性>とも訳される。 <性>と訳されるダーツという語は、置く場所、基盤、土台の意であるが、教義上<種族>(種姓)および<因>と同義とされる。」 「仏性は仏種姓(仏種)すなわち仏の家柄で、その家に生れたものが共通にもっている素性の意ともなる(その所有者が菩薩)。また、将来成長して仏となるべき胎児、(如来蔵)の意味ももつ。」 と解説されています。 もともとお釈迦様がお亡くなりになったあと、仏教では仏はお釈迦様一人で、その他は仏にはなれないという教えでした。 私たちが修行して到達するのは阿羅漢であって、仏ではなかったのです。 ところが大乗仏教になって仏になれると説かれるようになってきたのでした。 仏になれるというのは、仏になる要因が内在しているからだと説くようになったのでした。 それが「一切衆生悉有仏性」という『涅槃経』の言葉になったのです。 「衆生のうちなる如来・仏とは、煩悩にかくされて如来のはたらきはまだ現れていないが将来成長して如来となるべき胎児であり、如来の因、かつ如来と同じ本性であるという意」なのです。 そこで、「仏性」と名づけたのです。 『仏教辞典』には「具体的にはそれは、衆生に本来具わる自性清浄心と説明されるが、平易に言えば、凡夫・悪人といえども所有しているような仏心(慈悲心)と言ってよいであろう。 なお、仏性がすべての衆生に有るのか、一部それを有しない衆生(無性、無仏性)も存在するのかをめぐって、意見がわかれる(五性各別説)。」 と説かれています。 道元禅師の正法眼蔵には「仏性の巻」があります。 余語翠厳老師の『これ仏性なり 『正法眼蔵』仏性講話』には次のように説かれています。 「普通の考え方でいきますと、仏になる可能性があるというようなことを仏性というように言っておる人が多いわけです。 それならば、仏性というものがあって、いろいろ修養をしていく間にどんどんその能力が伸びて仏さまになるのだということで、理解だけはできるでしょう。 しかしそういうことではないのだ、というのです。 涅槃経というお経に一切衆生悉有仏性と書いてあります。 悉有はしっつと読みます。 悉く仏性有りというように読むのが普通ですが、そういうふうに読むと、今言ったような考え方になるわけです。 つまり仏性というものが私達の中にあって、 修養したりなんかしているとだんだんその能力が伸びていって、仏さまになるのだというように考えられます。」 という考え方があります。 しかし余語老師は、 「今朝もここの若い人達に話したのですが、雑草というものはないはずじゃということを言いますが、花を育てるために雑草を抜くということをやります。 人間の営みとしてそれをやるが、けれど雑草というものはあり得ないというのです。 勝手に人間が「これ雑草じゃ」と、「これはきれいだから花だ」と区別しているだけのことです。 そこに伸びている草はそこに伸びているだけで、それらの草はそんなこと関係ないわけです。 人間が勝手に区分けをしたのだということはわかるでしょう。 それが当を得ているかどうかは別問題として、人間が区分けをするから、清浄という問題が出てくるのです。 清浄も不清浄もそういうことでしょう。」 と説かれています。 綺麗だ、汚いだ、清らかだ、汚れているというのも人間が作りあげたものと言えます。 そして仏性とは清らかものと思い、煩悩とは汚れたものと思ってしまいます。 しかし余語老師は「人間の感覚をはぶいてしまえば、清浄とか不清浄とかいうことは成りたたないのです。 天地いっぱいの道理というものの中には人間のいう浄穢全部、すべて含まれているのです。 浄穢というのは人間がそういうだけのことで、あるものはただそのままあるのです。 そういうことを深く考えてみれば、花も雑草も同じだというわけです。 仏というものは清浄のものだと思っていて、人間臭味のあるところは清浄ではないような気がして、人間らしいところが全部なくならないと仏さまにならないように思うでしょう。」 と説かれます。 そして更に 「自分の体の中に仏性というひとかたまりのものがあって、それがだんだんと伸びていくという感覚になるわけです。 有という、あるということは所有するということですから、自分が仏性をもっておるということになります。 そうではなくて、仏性の中に己があるのだというのです。 天地の命の中の一分を生きておるというこの命は、仏性の中に自分があるのです。 関係が逆になります。」 「道元禅師という人は言葉の上でも天才であったようにみえます。 五年間、中国の生活をしてこられるわけですが、なかなか容易にできることではありません。 昔は洋行帰りの人の話の中にむこうの言葉がそのまま入ってくるということがあったが、あれがハイカラでね。 道元禅師もそれが癖になっていたのでしょう。文をまっすぐ読むのです。 悉有は仏性なりと読む。悉有というのはことごとくあるというのですから、一切の存在が仏性なのである、ということです。 清浄、不清浄と分けたものでなく、全部包んだものです。 それが仏性だというのです。」 と明解に説いてくださっています。 「悉有は仏性」とは実に大きな広い世界なのであります。 その中で私たちはひとときの夢を見ているようなものなのでしょう。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1204回「よい条件を調える」

朝比奈宗源老師の『しっかりやれよ』という本には、こんな言葉があります。 「人は佛心のなかに生まれ、佛心のなかに住み、佛心のなかで息をひきとるのだ。 生まれる前も佛心、生きているあいだも佛心、死んだ後も佛心、その尊い佛心とは一秒時も離れない」 これは、朝比奈老師がよく仰せになっていた言葉です。 そして朝比奈老師は、 「ただ多くの人はそれに気がつかないのです。 悟るということは、新しいことを覚えることでなくて、前からわかりきっていたはずのことが、わからないでいて、それに気がついたことを悟るという。 忘れものをしたのを思い出したように これが悟りだと、お経にも書いてあります。」 と書かれています。 ここに「悟り」という言葉の意味がはっきり書かれています。 「佛心とわれわれとは、そういう関係なのです。 あなた方が間違っていたとしても、佛心のうえからいえば、ただその尊い佛心をそなえながら、佛心のなかで迷っているのです。 夢のなかで、ありもしないのに良いことに会ったと思って喜び、悪いことに会ったと真実に思って泣いたり悲しんだりするのと同じなのです。 いわば人間は手放しで救われている。 佛教は、これほど徹底した教えです。 だがこれが本当に、はっきり受け取られないと、夢がさめないと同じように、つまらんものだ、困ったものだという不安がたえない。 だから、佛教ではこの世のことを夢の世の中と云います。 いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす この世を夢とみて、その浅い夢に酔ってはならんぞというのが、いろは歌の意味であります。 佛教はこういうものであります。 坐禅をするということは、人はそういう尊い心のあることを信じて、心を静かに統一して、心が落着くところに落着けば、自然に雑念妄想は遠のいてしまう。 狭い心もだんだん広くなり、ザワザワしていた心も落着き、暗い心も明るくなり、カサカサしていた心もうるおいが出てくる。 これは佛心を具えている人間として当然なのです。」 と説いてくださっています。 更に「井戸を掘る。 こういう地面でも深く掘ってゆくと必ず水が出る。 わずか掘って出るところもあり、深く掘らねば出ないところもある。 が、水に近づけば、必ずそのへんの土がうるおってくる。 坐禅も同様です。 精出して坐禅すると、自然に佛心の徳がにじんだところへはいっていく。」 と説かれています。 「そうありたいと思ったら、そうなれるように条件を調えていかなくてはダメなのです。 心を落着けたい、心を広くもちたい、ゆったりとしたうるおいのある心境でいたい。 誰でもカサカサしたり、 コセコセしたり、 ザワザワしたりする心持ちはいやだ。いやだと思ってもクセのある人は、すぐそうなりやすい。 そこで坐禅に心がけて、繰り返し繰り返ししていると、自然に心がゆったりとしてくる。落着いてくる。 つまり条件をそうもっていくと、自然にそうなる。 落着くようにもってゆけば、落着く。」 というのです。 このように良い条件を調えるのが坐禅であります。 また坐禅をするのにも良い条件を調えることが必要であります。 『天台小止観』にはまず五縁といって、五つの条件を調えることが説かれています。 それは、 持戒清浄=戒律を保ち、正しい生活をする。   衣食具足=適度な衣食で心身を調える。   閑居静処=喧騒を離れ、静かで心が落ち着く環境を調える。 息諸縁務=世間のしがらみや情報過多の生活から離れる。   得善知識=よい師や仲間を得る。 の五つです。 有り難いことに、修行道場に修行に来た時点で、この五つは自然と調えられています。 そのうえで、五欲を制御し、五蓋という五つの心を覆う煩悩を取り除き、その上で「調五事」といって、五つを調えることが説かれています。 その五つとは、食事と睡眠と身体と呼吸と心です。 坐禅の説明では、身体と呼吸と心の三つを調えると説明されますが、その前に食事と睡眠を調えることが説かれているのです。 これは大事なことです。食事を調える、そして睡眠を調える、その上での坐禅なのです。 それから坐禅をするにも条件を調えないといけません。 坐禅は体と呼吸と心を調えることですが、まず体を調えます。 具体的には、坐相という坐禅の姿勢をとります。 坐禅は両方の脚を股の上に乗せるという独特な方法で坐ります。 これが、近年イスの暮らしが多いためなのか難しい場合が多くなりました。 無理に脚を股に上げさせると、膝や足首を痛めてしまうことがあります。 特に膝を壊すと、あとあとたいへんなことになります。 やはり股関節をほぐして、可動域を広げてからでないと、膝をねじってしまうことになってしまいます。 そこで私もいろいろと体のことを勉強してきましたので、新しく入ってきた修行僧には、膝などを痛めないように、脚が組めるように、その条件を調える方法を教えるようにしています。 ひとり一人骨格や体の癖が違いますので、それぞれに合わせて指導しないといけません。 各自お寺の大事な跡取りの方が多いので、体を痛めないように慎重に指導をしているのであります。 またこうした指導をすることによって、自分の学びにもなるものです。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1203回「臨済禅師のこと」

先日は修行道場の雨安居開講でありました。 今制からまた『臨済録』を読んでまいります。 また初心に帰って、馬防の序文から読み始めました。 臨済禅師については分からないことが多いのです。 その生涯のあらましについては、『臨済録』の塔記に書かれています。 岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の訳文を読んでみます。 「師、諱は義玄、曹州南華(山東省)の出身で、俗姓は邢氏であった。幼い時から衆にすぐれ、成人して後は孝行者として知られた。 出家して具足戒を受けると、経論講釈の塾に在籍して、綿密に戒律の研究をし、また広く経論を学んだが、にわかに歎じて言った、「こういう学問はみな世間の人びとを救う処方箋でしかない、教外別伝の本義ではない」と。 すぐ禅僧の衣に着替えて行脚に出かけ、まず黄檗禅師に参じ、次に大愚和尚の指導を受けた。 その時の出会いや問答は行録に詳しい。 黄檗の印可を受けてから、河北に赴き、鎮州城東南隅の滹沱河のほとりに臨む小さな寺の住持となった。 その寺を臨済と呼んだのは、この場所がらからである。」 というものです。 「行録に詳しい」という内容は以下のようなものです。 臨済禅師は、はじめ黄檗禅師の会下に在って、行業純一に修行していました。 この「純一」なることこそ修行の一番の要であります。 修行僧の頭にあたる首座が、臨済禅師のことをご覧になって、 「これは若僧だけれども、皆と違って見込みがありそうだ」と思いました。 そこで、ここに来て何年になるのかと問いました。 臨済禅師は「はい三年になります」と答えます。 首座は「今までに老師のところに参禅にいったのか」と聞きました。 臨済禅師は「今まで参禅にうかがったことはありません、いったい何を聞いたらいいのか分かりません」と言いました。 こういう所が純一なのです。 何を聞いたらいいか分からないという、純粋に思いを暖めていたのであります。 すると首座は「いったいどうして老師のところに行って、仏法のギリギリの教えは何ですか」と聞かないのかと言いました。 すると臨済禅師は言われたとおりに老師の所にいって質問しようとすると、その質問が終わらないうちに黄檗禅師に打たれてしまいました。 臨済禅師がすごすご帰ってきましたので、首座がどうだったかと聞きますと「私が質問する声も終わらないうちに打たれました、どうしてだかさっぱり分かりません」と言いました。 首座はもう一遍行ってこいと言いました。 また行くとまた黄檗禅師に打たれてしまいました。 臨済禅師が言うには「幸いにもお示しをいただいて参禅させていただきましたが、こんな有様でなんのことやらさっぱり分かりません。 今まで過去世の障りがあって老師の深いお心が計りかねます。 これではここにいてもしかたありませんからお暇しようと存じます」と。 将来臨済禅師と称される程のお方であっても修行時代はこんな時があったのです。 現代社会で、「仏法とはどういうものでございましょうか」と聞かれて、いきなり棒で叩いたら大変な騒ぎになるでしょう。 これは「仏法というのはあなた自身のことではないか、それに気がつかずに何を聞いているのか」ということを一番端的に示す方法だったのです。 火の神が火を求めるという譬話があります。 火の神が火をくださいと言ってきたら「あなたが火なのだから、他に求める必要はないでしょう」と言うしかありません。 大事なのは、「仏法の一番明確な教えは、今あなたがそこに生きていることだ、あなたが現に今そうやって質問していることだ、そうして聞いているあなた自身がすばらしい仏法の現れなのだ」と気づかせるということなのです。 最初は、臨済禅師もそれがわからなかったのです。 そして黄檗禅師の指示に従って大愚和尚のところにゆくと、大愚和尚がそのわけを説明してくれました。 「なんと黄檗は親切だなあ。あなたに対してそんなに親切にしてくれたのか」と言ったのです。 それまでいろんな学問研究をしたけれどわかっていない臨済禅師に対して、さらに言葉で示したならば、もっと迷ってしまうかもしれません。 臨済禅師にしてみれば、知識や言葉はもう十分過ぎるぐらい学んでいるのです。 そこで必要なのは言葉ではなかったのです。 「あなたが一番明らかにしなければならないのは、自分自身が仏であるということだ。そこに気がついたらどうだ」という気持ちで、黄檗禅師はあえて打ったのであります。 これが最も端的な方法だったのです。 そんな臨済禅師の話をして雨安居を開講したのでした。 この春に入門した修行僧にとっては、こんな問答を読んでもまだまだ何の事やら分からないと思います。 だんだんと修行するうちにはっきりとしてくるものです。 『臨済録』で開講しましたものの、いきなり『臨済録』ではやはり難しいので、まずは坐禅の基礎から学んでゆこうと思っています。 早いもので、こうした開講を務めるようになってもう二十五年になりました。 はじめの頃は随分と緊張していたものですが、この頃はなんということなく行うことができるようになったものです。 慣れというのは、良い一面もありますが、恐ろしい一面もあります。 慣れることは大事ですが、慣れてもいけないと言い聞かせながらの開講でありました。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1201回「死をみつめて – お医者さんたちに講演 –」

先日の日曜説教のあとは、上京して都内のホテルで、日本臨床内科医会の会合で講演をさせてもらってきました。 この一月からは第二日曜日の日曜説教の午後から、一般の方々の布薩の会を催していますが、四月は第二日曜の午後に都内の講演が入っていて無理だったのでした。 そこで、第四日曜日の午後に布薩の会を開催します。 講演したのは、第41回日本臨床内科医総合学術集会という会であります。 一般社団法人 日本臨床内科医会と神奈川県内科医学会との共催であります。 ですからお医者さん達の集まりなのであります。 まずはじめに「アウェー」の話をしました。 よくスポーツの記事などで、「アウェー」という言葉をみかけますが、どういう意味なのかと思っていましたが、実に今の私が「アウェー」なのだと分かりましたと申し上げました。 まさしくその通り、お医者さんたちばかりの集まりに、私が一人法衣姿で現れるのですから、「アウェー」であります。 皆さんもいまこの場に異物が混入してきたという思いではないかと察しますと申し上げたのでした。 こんな体験をしたのが、もう今から八年前であります。 二〇一六年に日本肺癌学会学術集会で、「仏教の死生観について」と題して講演したことがありました。 横浜のホテルで行われた大きな学会でした。 そこで死について講演したのでした。 それがよかったのかどうか、明くる年には世界肺癌学会でお話させてもらったのでした。 お医者さんばかりの会に招かれ、まさ「アウェー」を実感したことでした。 世界肺癌学会で講演する際にあらかじめ講演要旨を提出するように言われて書いた原稿が残っていますので、どんな話をしたのかを紹介します。 「人は誰しも死を逃れることはできない。それにも拘わらず、人は死を見つめようとはしていない。できれば死を忘れて暮らしたいと思っている。実に死は、現代社会においても忌み嫌われていると言えよう。  一般に、死は「喪失」であると思われている。たしかに健康な肉体も、人生において与えられた時間も、社会における存在意義も、さまざまな体験も、手に入れたものすべて、貯めたお金や家、家族、友人や恋人、地位名誉などを「喪失」してしまう。  また生命を一日でも長く生かすことを考える医療において、死は「敗北」と認識されている。しかし、もしも死が「喪失」や「敗北」でしかないとしたならば、人生は「喪失」と「敗北」に向かって確実に進んでゆく空しいものとなるであろう。  「愚かな人間は、自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見ると、考え込んでしまい、悩み、恥じ、嫌悪している。じつは自分もまた死ぬものであって、死を免れないのに、他人が死んだのを見ては、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪する。このようなことは自分にはふさわしくないであろう」。  このように考えて、死の苦しみの原因を求め、死の恐怖や苦しみから如何に逃れることができるか、その道を求めたのが、紀元前五世紀にインドに生まれた、ゴータマ・ブッダであった。  ブッダの教えは、インドから中国に伝わり、中国においては「禅」という道に発展していった。「禅」の教えは、今日においても広く世界で求められている。  「禅」においては、「死」を見つめることを大切に説いている。死を問いとして、それに応えるに足る生き方を学んでいると言ってよい。それは決して死後の世界の探求ではない。あくまでも死を見つめて、積極的に生の意味を見いだすことを目指している。  現代においても、ともすれば忌避されがちな「死」について、古来の「禅」の教えを参照しつつ、「死」をどう受け止めて生きるかを学んでみたい。」 というものであります。 そんなところから少しずつ、お医者さんたちの集まりでお話することがあるようになりました。 先日の会でも申し上げたのですが、今はまさに「アウェー」ですが、これからももっとお医者さんたちと宗教者とが親和性を持って、「アウェー」ではなくなる日がくることを望んでいますと申し上げました。 二〇二二年の三月には神奈川県内科医学会集談会でもお話させてもらいました。 これはある医師が、私が出版した『仏心のひとしずく』を読んで、思うところあったらしく、話をして欲しいと頼まれたのでした。 『仏心のひとしずく』は二〇一八年に出版されたもので、私が毎月の日曜説教のために準備した原稿がもとになっている本であります。 その神奈川県内科医学会の講演がご縁となって、今回の臨床内科医会での講演となったのでした。 神奈川県内科医学会の金森会長から御依頼をいただいたのでした。 今回もお招きいただいて、ホテルの控え室で、金森会長をしばしお話させてもらいました。 二〇二二年の神奈川県内科医学会の話のことに触れられて、会長からあの時の話がよかったと言ってくださいました。 そこで私は先生、その時の話をあまり変わらないのですがいいですかと申し上げました。 医学の世界は日進月歩、いやそれ以上に早いのかも知れません。 数年も経てばもう古い情報となるのでしょう。 常に新しく学び続けなければならないのだと金森会長も仰っていました。 まさにそういう世界でありましょう。 しかし、私どもの世界にそんな早さの進歩はないのです。 根本的なことはお釈迦様以来変わることはないのです。 科学や技術は発達しても、人の心は変わらないのだと話し合っていたのでした。 アウェーで臨んだ会でしたが、私の講演の始まりに金森会長が、現場の内科医としては死に立ち会うことが多い、医学では死を学ぶことは滅多にないけれども死の問題を避けることはできない、死について宗教者とも対話を重ねるべきだとお話くださったので、「アウェー」の度合いは下がったのでした。 お医者さんたちの集まりなので、皆さんとても熱心に聴いてくださいました。 その日は朝からいろんな先生方の発表が続いていると聞いていました。 ですから私は今回敢えて、パワーポイント資料や紙の資料などは一切用意しませんでした。 少しでも目を休めてもらおうと思ったのでした。 語りだけ、一時間お話をさせてもらいました。 朝比奈宗源老師の 「私どもは仏心という広い心の海に浮かぶ泡のようなもので、私どもが生まれたからといって仏心の海水が一滴ふえるのでも、死んだからといって、仏心の海水が一滴へるのでもないのです。」 「私どもも仏心の一滴であって、一滴ずつの水をはなれて大海がないように、私どものほかに仏心があるのではありません。 私どもの幻のように果敢なく見える生命も、ただちに仏心の永劫不変の大生命なのであります。」 という言葉を紹介して、最後に柳宗悦の句を紹介して終わりました。 「吉野山 ころびても亦 花の中」 吉野山というのは桜の名所で、どこもかしこも見渡すかぎり一面の桜です。 桜の中にいればたとえどこでころんでも桜の中なのであります。 やがてどこで倒れても、どんな死に方を迎えようと、それはみな私ども仏教でいえば仏心の只中、御仏の掌の中に抱かれているのであります。 とお話したのでした。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺