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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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2023年12月の記事一覧

「観音力」について

念彼観音力 「観音力」とは文字どおり”観音さまの力”ということですが、それはいったい何なのでしょうか。自分なりに考えてみたいと思います。 『観音経』の内容  「観音力」という言葉は『観音経』の偈に出てくるもの(「念彼観音力」というフレーズで有名)です。  『観音経』自体は、『法華経』の「観世音菩薩普門品第二十五」を独立したお経として扱ったものなので、本来『法華経』の一部です。ですが内容はある意味、かなり独特なものです。  その『観音経』に書かれている内容ですが、要約すると

C・G・ユング『ヨーガと瞑想の心理学 (ETHレクチャー 第6巻 1938-1940)』/『黄金の華の秘密』

☆mediopos3305  2023.12.5 ユングはスイス連邦工科大学(ETH)において 一九三三年から一九四一年にかけて 一連の講義をおこなっているが その講義の内容がETHレクチャーとして 全8巻にまとめられている 本書は第6巻『ヨーガと瞑想の心理学』で 一九三八年から一九三九年の冬学期および一九三九年の夏学期 一九四〇年から一九四一年の冬学期の最初の二回の講義である すでに第1巻の「近代心理学の歴史」 (一九三三年から一九三四年の冬学期に行われた講義)は

アルボムッレ・スマナサーラ×藤田一照 『テーラワーダと禅 「悟り」への新時代のアプローチ』

☆mediopos3307  2023.12.7 曹洞宗僧侶の藤田一照と テーラワーダ仏教(スリランカ上座仏教)長老である アルボムッレ・スマナサーラの対談だが 主に藤田氏がスマナサーラに ブッダの「悟り」とそれを実践するプロセスについて 話を聞く内容となっている スマナサーラは一貫して極めてクールである ブッダの教えにもとづいた忠実な実践を 現代的において可能な仕方で行うことで 「目覚める」ことが可能だという そしてその「目覚め」は 「宗教」にも「宗派」とも無縁であ

人は零に還るゲームをしている②

我々は、人生を通じて「零」に戻るゲームをしています。 零という言葉を「中庸」と言い換えることができます。 中庸とは、「極端な行き方をせず穏当なこと、片寄らず中正なこと」という意味ですが、中庸の場所に立つことができれば、バランスの取れた人生を送ることができます。 若い頃は、平凡で穏やかにいることは退屈だと思うものです。 そういった思いから、いろんなことに挑戦し、様々な感情を動かしながら、自分の中にある心地よさを見つけるようになって、人は結果的に中庸に近づいていくものです

人は零に還るゲームをしている

人は誰もが平和な気持ちで過ごしたいと思うものです。 この平和な気持ちを図で表すならば、こんな感じでしょうか。 シーソーの中心点は0であり、このゼロポイントに自分をおくことができれば、平和を保つことができます。 しかし、我々の感情は常に波打っていて、シーソーの板が右に傾いたり、左に傾いたりしていたりするものです。 そして、そういったシーソーの傾きを水平の状態に戻そうと努めながら我々は生きているといっていいでしょう。 では、どうすれば波打つ感情を小さくし、シーソーの板の

哲学:現代思想の問題点⑤最後の神

§5 理性の限界、神への信仰、心の光  これまで、カント、ヘーゲル、ウィトゲンシュタイン、そしてゲーデルを見てきた。    彼らはキリスト教徒で、神を信じていた。無神論者ではない。だが特に前三者は、その著作において、理性主義を推し進め、人々を、神や霊魂や霊界から、遠ざけるような事ばかり言っていた。これは彼らの罪だろう。    結果、神や霊魂や霊界などは、学問で扱わないというカントの提案は、多数決で通った。これが現代だ。そして人々は、「理性的なものは現実的であり、そして現実的な

哲学:現代思想の問題点④ゲーデル

§4 クルト・ゲーデル(1906~1978)  クルト・ゲーデル(注37)という人がいる。不完全性定理(注38)で有名だ。  この不完全性定理が書かれた論文のタイトルは、以下である。  『プリンキピア・マテマティカとそれに関連する体系の形式的に決定不可能な命題について』(注39)  ここで言う『プリンキピア・マテマティカ』は、ニュートンの著作ではなく、ホワイトヘッド(注40)とラッセルの共著である『プリンキピア・マテマティカ』(注41)である。この著作は記号論理学の本で、ある

哲学:現代思想の問題点③ウィトゲンシュタイン

 §3 ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(1889~1951)  「語りえぬものについては、沈黙しなけなければならない」(注27)  これはウィトゲンシュタイン(注28)の『論理哲学論考』(注29)の第七命題だ。  有名な文言で、これほど、文脈から切り離されて、独り歩きしたものはないかもしれない。  『論理哲学論考』は、七つの命題を立てて、それについて、メモ書きしていくスタイルで書かれた著作だが、第七の命題だけ、サブ命題、下位命題がなくて、ただそれだけ書

哲学:現代思想の問題点②ヘーゲル

§2 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831)    カントで始まったドイツ観念論は、フィヒテ(注11)、シェリング(注12)を経て、ヘーゲル(注13)で完成する。カントが唱えた常識的な地平では、よほど見晴らしが悪かったのか、哲学者たちは、何とかカントを乗り越えようと試みる。最終的に、ヘーゲルが唱える絶対知の境地で以て、ドイツ観念論は、絶対者の高みにまで登り詰めた。   カントは、神は不可知で、論理的に証明できないとしたが、ドイツ観念論の完成者ヘー

哲学:現代思想の問題点➀カント

§0 序  なるべく、一般の方にも伝わるように話したい。今回、哲学を専門としない人たち向けの話だが、哲学を学んだ事がある方もぜひ読んで欲しい。我々が普段考えている事が、どれだけ哲学の影響を受けているのか、見て欲しい。  現代思想の問題点と題したので、主な論点はカント(注1)以降の話に限りたい。カント以前は、必要に応じて、触れる程度にしたい。哲学史ではなく、現代思想の問題点を伝えたい。  故に小論文(dissertation)となる。論文ではない。研究者なら、気になる細かい論点

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第1087回「達磨はどこに?」

禅僧の書を墨蹟と読んでいます。 『広辞苑』にも「墨蹟」または「墨跡」と書いて、 「紙や布に墨で書いた肉筆の筆跡」という説明のあとに、「特に、日本で禅僧の筆跡をいう」と書いてくれています。 禅僧の書画には、いろんな教えが込められています。 一幅の書画から学ぶものは多いものです。 禅文化研究所には、たくさんの書画が所蔵されています。 そのすべてをただいまは、インターネットで拝見できるようになっています。 そんな書画を紹介して、そこからどんな教えを読み解くことができるのか、最近禅文化研究所の動画で配信するように試みてみました。 第一回は、十二月の成道会にちなんで、お釈迦様の出山像についてお話をしたのでした。 これからも続けてゆこうと思っています。 白隠禅師に芦葉の達磨という画が伝わっています。 これが不思議な画で、芦の葉と達磨様が履いていたであろう靴だけが描かれているのです。 そしてその上には、「芦葉の達磨じゃ」と讃が書かれています。 おそらくこの画を元にして描かれたであろうと想像される一幅が禅文化研究所にございます。 白隠禅師について修行された霊源禅師の芦葉の達磨なのです。 これもまた芦の葉に靴だけが書かれていて、「是れこそ芦葉の達磨」という讃が書かれています。 不思議な画であります。 『金剛般若経』にこんな言葉があります。 「須菩提、仏に白して言う、 「世尊よ、われ、仏の説きたもう所の義を解する如くんば、まさに三十二相を以て如来を観たてまつるべからず。」 その時に世尊は偈を説いて言いたもう、 もし色を以てわれを見、 音声を以てわれを求むるときは、 この人は邪道を行ずるもの、 如来を見ること能わざるなり。」 というものです。 岩波文庫の『般若心経 金剛般若経』にある梵文和訳を引用します。 「スブーティ長老は、師に向かって次のように言った 「師よ、わたくしが師の仰せられた言葉の意義を究めたところによると、如来は特徴をそなえたものであると見てはならないのです。」 さて、師は、この折に、次のような詩を歌われた。 かたちによって、わたしを見、 声によって、わたしを求めるものは、 まちがった努力にふけるもの、 かの人たちは、わたしを見ないのだ。 〔目ざめた人々は、法によって見られるべきだ。 もろもろの師たちは、法を身とするものだから。 そして法の本質は、知られない。 知ろうとしても、知られない。〕」 と説かれています。 三十二相というのは、仏様が具えているという三十二の特徴を言います。 ようするに姿形で仏様を求めてはいけないということなのです。 山田無文老師の『愛語』にも、分かりやすい話があります。 これは無文老師がまだ修行時代のこと、白隠禅師のお墓をお参りしようとして、東海道を歩いて旅をしていたそうなのです。 すると町でキリスト教の方が演説をなさっていたそうです。 熱心にキリスト教の教えを説いて、そのあとにお祈りをしてくれました。 出家姿の無文老師にも、神様のお恵みによって早く信仰に入れますようにと祈ってもらったというのです。 そこで、まだ修行時代の無文老師は、これは黙ってはおれないと思って、その方に言われたことが素晴らしいのです。 無文老師の『愛語』から引用します。 「ただ今ご親切に坊主も早く懺悔をしてお導きに会うように祈っていただいて、まことにありがたい。 先ほどから聞いておると仏教は偶像崇拝だ、木で造った仏や金で造った仏や、死んだ人の骨を拝んでおると言われる。 私はこれから白隠禅師の墓の骨を拝みに行こうと思って来たのですが、うけたまわると、仏教は偶像崇拝だと言ってしきりにお叱りを受けたが、実は金を拝んでおるわけでもなく、木を拝んでおるわけでもない。 ちょうど親の写真を見るように、仏というものの姿を思い出すために、ああいうものをこしらえた。 もう一つ言うならば、自分の心の中の円満な姿を仏として描いておるので、木で造ってあっても、紙に書いてあっても、私どもは木や紙を拝んではおらん、 自分の心を拝んで 偶像崇拝のつもりではおりません。 キリスト教は偶像崇拝ではないそうでありますが、神さまがおありになるとしたら、いったいどこにおられるのか。 神さまはどこにいらっしゃるんですか。 天にましますと言われるが、天のどこにいらっしゃるのか。 神さまにお会いになった方はありますか。 神さまというものを頭の中でこしらえて、明けても暮れても、神さま、神さま、常に神さまがわれわれをみそなわしておると、頭の中に神さまというものを持っておられたら、それこそ大きな偶像だと思いますがどうですか。」 と仰せになったというのであります。 気がついたら、そのキリスト教の方はどこかに行ってしまっていたという話です。 そして無文老師は「自分の心が神さまで、自分の心が仏だ」「自分の心が生きたキリストである、自分の心が釈迦である」と説かれたのであります。 キリスト教の方も、たいへんな方にお説教をしたものです。 芦葉の達磨というのは、『禅学大辞典』には、 「達磨が蘆の葉に身をたくして揚子江を渡ったという故事に基づいて画題としたものをいう。 達磨は梁の大通元年(五二七頃)に中国に来り、武帝に相見し、問答商量して法要を説いたが、帝と機宜あい投合しないために、同年一一月一九日にひそかに梁境を去り揚子江を渡って、魏の洛陽にいたった。」 と解説されています。 達磨様が揚子江を渡って魏に行かれてしまって、達磨様はどこにおられるのか、空しく探し廻ってはいけないのであります。 『碧巌録』の中で、雪竇禅師は、 「千古万古空しく相憶う。 相憶うことを休めよ。 清風匝地、何の極まりか有らん」と詠われています。 永遠に探し求めても仕方ありません。 探すことをやめてみれば、吹き渡るすがすがしい風に、生きた達磨様を見ることができるのであります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1079回「人は何の為に生きるのか?」

「諸法無我」は仏陀の教えの中でも大切なものです。 無常であり、無我であることが、空と表現されるようになっていったのでした。 『般若心経』を昨年、花園大学で講義して、その講義を今一冊の本にまとめています。 来年出版される予定であります。 空を説明するのに、仏陀の無常や無我という教えから説いていったのでありました。 増谷文雄先生の『仏教百話』には「無我」についての喩えが説かれています。 「無我のことわりを喩えて」という章です。 そこに増谷先生は、 「無常とか、無我とかいう考え方は、仏陀の教説の基底をなすものであるが、微妙な考え方であるので、なかなか実感として捉えがたい。 仏陀は、いま、流れのほとりに立って、水の流れるさまを眺めながら、ふと、そこに、無我の実感をあたえる好材料を見出したのである。」 と書かれて、そのあと仏陀の言葉を紹介してくれています。 引用します。 「比丘たちよ、このガンガの流れのさまをみるがよい。 かしこに渦巻がおこっている。 だが、よくよく見れば、渦巻そのものというものはどこにもない。 あるいは、渦巻の本質というものもどこにもない。 それは、たえず変化する水の形状にしかすぎない。 そして、人間の存在もまたおなじである。」 というものです。 そのあとに、増谷先生は、 「仏陀の人間観は、人間をその物質的なもの(これを色という)と精神的な諸相(受=感覚、想=表象、行=意志、識=判断)とに分析して、それらの流動する結合統一として人間を考えるという考え方であった。 したがって、そこには変化しない肉体や所有や自己の本質というものは存しないと考えられる。 無我というのは、そのような考え方をいうことばである。」 と分かりやすく解説してくださっています。 そのあと、更に四つの喩えを紹介してくださっています。 「その第二は、水の面にうかぶ泡沫である。 人間の感覚(受)は泡沫のようなものであるというのである。 その第三は、日ざかりに立ちのぼる陽炎である。人間の表象(想)は陽炎のようにはかないというのである。 第四には、芭蕉の喩えがあげられる。芭蕉を伐りたおして、その皮をむいてゆくと、どこまでいってもその心材にいたることができない。 人間の意志(行)もそんなもので、その不変の本質などというものは、どこにもないというのである。 第五には、幻師の術という喩えがあげられる。かの時代には、四辻で人々のまえにまぼろしを描き出す術をあやつる者があった。 仏陀は、ここに、その術をもって、人間の判断(識)に比して語っている。」 というのであります。 そして次の偈を書いてくださっています。 「人の肉体は渦巻のごとくである、 その感覚は泡沫のごとくである。 その表象はかげろうのごとくである、 その意志は芭蕉のごとくである、 その意識はまぼろしのごとくであると、 かくのごとく仏陀は説きたもうた。」 「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある、人と栖(すみか)と、又かくのごとし。」とは『方丈記』の言葉です。 『金剛般若経』には、 一切有為の法は、夢幻泡影の如く、露の如く亦電の如し、まさに是のごとき観を作すべし」という言葉があります。 岩波文庫の『般若心経 金剛般若経』には、 「現象界というものは、 星や、眼の翳、燈し火や、 まぼろしや、露や、水泡や、 夢や、電光や、雲のよう、 そのようなものと、見るがよい。」 と訳されています。 夢の如く、幻の如くとはよく説かれるところです。 先日、とある大きな企業の若い方々の研修会で、般若心経で説かれる世界について話をしました。 人間の命は、夢のようなものだと話しました。 夢だからといって、どうでもいいわけではありません。 夢だと分かって夢を見るのです。 夢と分かって見る夢は却って楽しいものです。 夢なのでそれほど失望することもありません。 よい夢をみるようにすればいいのですと話をしたのでした。 質疑応答の時間があって、最後にある青年が手をあげて質問してくれました。 いろいろと話をうかがってとても参考になったけれども結局人は何の為に生きるのですかという問いでありました。 何の為に生きるのか、古来多くの人が考えてきた問題です。 何の為に生きるか、私もまたよく考えたものです。 簡単に答えがでるものでもないでしょう。 また人それぞれの答えがあろうかと思います。 しかし、私は、そのとき明確に答えることができました。 人は生まれて、そのあとやがて死ぬのです。 このことだけははっきりしているのです。 だから死ぬ為に生きるのですと答えました。 そして、その死ぬ時に、ああ良い夢を見た、もう思い残すことは何もないと言って死ぬ、そのために毎日を生きているのですと答えたのでした。 更に皆さんはこれからよい夢を作り出すお仕事をなされるのだと思います。 みんなが喜ぶようによい夢を作り上げて、精いっぱいやったと思って最後を迎えられるように頑張ってくださいと申し上げたのでした。 死ぬ迄と思うと長いように感じますので、まずは一日一日です。 今日はよく頑張った、思い残すことはないと蒲団に入るように心がけたいものです。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1074回「沈黙の響き」

先日「光のしずく」オンライン講座で、清水正博先生と対談をさせていただきました。 この企画では、一昨年の十二月に神渡良平先生と対談したこともありました。 その時には、「宇宙の響き・帝網珠」というテーマで話をしました。 今回は神渡良平先生を偲んで、「いのちを拝む」と題して、神渡先生とのご縁や、今年の六月に新潟の十日町で行った講演のことなどについて話をしました。 zoomでの対談で、二十名くらいの方が視聴してくださっていました。 中には顔見知りの方もいらっしゃってくれました。 セキレイの話も話題になりました。 これは「神渡良平公式サイト」に公開されている「沈黙の響き」というニュースレターにある話です。 私も神渡先生から送っていただいて拝読し、感動したのでした。 「セキレイが教えてくれた宇宙の本質」という文章です。 神渡先生の知人の方の話であります。 車で車道を走っていると、車道のセンターラインで一羽のセキレイが何かネズミ色のものをつついており、車が近ずいても逃げないそうです。 その方は車を停めてよくみると、ネズミ色のものはセキレイのヒナでありました。 ヒナが地面に落ちて、動けなくなっていたのを、母鳥が必死になって飛び立つように促すのですが、ヒナは動かないのだそうです。 その方は、車を降りて近ずくと、ヒナは危険を感じたのか、あわてて動き出し、更にヒナを追い立てて藪陰に逃げ込ませたというのであります。 すると、驚いたことに、その間母鳥は、二度三度と急降下して襲いかかってきたのでした。 母鳥は、小さな身体で、自分の何倍もある人間に体当たりを試みてヒナを守ろうとしたのです。 その方は、セキレイの母性本能の健気さに涙したという話であります。 神渡先生は、そこで、 「そんな体験談を読んで、私はすべての“いのち”が授かっている母性本能について考えさせられました。 人間も動物も小鳥も虫も、生きとし生けるものすべてがみんなそういう愛を授かっている……。 ということは、すべての被造物の根源である天の本質は愛だということになります。 この全宇宙は無機質な伽藍洞(がらんどう)なのではなく、それを貫いてカバーしているものは“愛”に他なりません。 その愛を、自分の人格の創造主として、具現化することが私たちの務めなのだといえましょう。」 という話です。 お釈迦様は、「あたかも母が己が独り子を命を賭けても守るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。(スッタニパータ)」と説かれたのでした。 母が我が子を命をかけて慈しむ、そんな思いによって立ち上がったのが、新潟県十日町の樋口功さん、春代さんご夫妻なのです。 我が娘の為に命をかけて、トイレットペーパーの製造で障がい者の自立を実現しているNPO法人あんしんを立ち上げたのでした。 対談ではこの樋口さんご夫妻もご参加されていました。 この樋口さんご夫妻の話が中心になっているのが、神渡先生の『いのちを拝む』なのであります。 この本の第七章に、「生きているだけではいけませんか?」、「沈黙の響きー内なる声を聞く」という章があります。 これが話題にもなりました。 神渡先生がお若い頃、オーストラリアに出かけて、そこで当時日本交通公社ゴールドコースト支店長だった西澤利明さんに出遭われました。 西澤さんについて神渡先生は、『いのちを拝む』のなかで、次のように書かれています。 引用させてもらいます。 「西澤さんはオーストラリア・クイーンズランド州政府の局長をしているとき、ガンが発見されて自分の死に直面し、人生を見詰めなおそうと、一年早く退職しました。 思索の末にたどり着いたのは、日本の文化の原点である「一隅を照らす」だったそうです。 西澤さん自身の言葉で語ってもらいましょう。 「死の宣告を受け、自問自答して至った結論は、 『どれだけ世のために尽くしたかということに尽きる』 でした。 大それたことをしなくとも、自分の天命に気づき、自分に与えられた持ち場で “一隅“を照らせばそれでいいんだと思いました」 日本から約六千キロメートルも離れた南半球のオーストラリア大陸で再確認したのは、日本の文化が古来もっとも大切にしてきた「一隅を照らす」という生き方だったというのです。」 と書かれているのです。 更に西澤さんの言葉には胸打つものがあります。 こちらも『いのちを拝む』から引用させてもらいます。 西澤さんが神渡先生に伝えた言葉です。 「人間はどんなに小さな存在であったとしても、この世に生きたということこそが最大の奇跡であり恩寵だと気がつきました。 日々の喧騒から離れ、しばし“沈黙の響き”を魂の奥で咀嚼できれば、私たちに語りかけている“大いなる存在”が、私たち一人ひとりを通して現れようとされているということに気づきます。 聖書にイエスは『我を見しもの、神を見るなり」と言われたと書かれていますが、私はそれを、イエスは『神は遠くにあるのではなく、日々あなたの中にともにあるのです』と説かれたのだと解釈しています。 見えないものの顕れがこの世界であり、その中心である人間は神の神格を共有する実体であり、誰もが神を共有できるのだと言おうとされたのだと思います。 神は私たちから遠く離れた存在なのではなく、私たちの日常の行為が神そのものの顕現であるように努めることが、私たちに課せられた責務であるように思います。 その意味で最澄が務めた『一隅を照らす』という生き方は、イエスが言われる『我を見しもの、神を見るなり』と相通じているといえるのではないでしょうか」 というのが西澤さんの言葉です。 それに対して神渡先生が 「死に直面すると人は真剣になります。どこかにあった甘えが削ぎ落とされ、真に人生のラストスパートが切れるものです。」と書かれています。 更に 「西澤さんが言及された点は私ももっとも強く感じていることであり、作家としての活動の柱としているものです。 私もまた神を人間からかけ離れた特別な存在とは見なさず、「私を通して自己顕現しようとされている存在」と捉えています。」 と書かれているのです。 「人間はどんなに小さな存在であったとしても、この世に生きたということこそが最大の奇跡であり恩寵だ」という言葉は、禅の教えにも通じるものです。 人間は死に直面すると、必ず真理に目覚めることができるのだと思います。 それこそが沈黙の響きであります。 ふだんは生きているのがあたりまえに思ってしまって、喧噪の中に埋もれてしまっていると、沈黙の響き、いのちの真実が聞こえてこないのです。 沈黙の響きに耳を傾ける時を大事にしたいものです。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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第1073回「すべては光り耀く - 華厳の世界 -」

このところ、華厳について学び直しています。 鈴木大拙先生には『華厳の研究』という書物があります。 もともと『鈴木大拙全集第五巻』に収められていたものです。 これが令和二年に角川ソフィア文庫から出版されて、手に入りやすくなりました。 この本は、もともと英文で書かれたものを、杉平顗智(しずとし)先生が日本語に訳されたものです。 安藤礼治先生が解説を書かれています。 安藤先生の解説のはじめに、本書の中の一節が引用されています。 大事なところだと思いますので、煩を厭わず引用します。 第二篇 華厳経、菩薩理想及び仏陀 というところの「一 華厳経における場面の全面的転廻」の冒頭です。 「『楞伽経』とか、『金剛経』とか、『大般涅槃経』とか、あるいはまた『妙法蓮華経』とか、『大無量寿経』とかの後で、『華厳経』に来ると、大乗仏教という大宗教劇の演ぜられる舞台面に完全な変化がある。 ここでは、冷ややかなもの、地上的な灰色のもの、人間的な矮小のものは全く見出されない、目にうつるあらゆるものが、すべて皆、たぐいのない光に輝きいでるからだ。 われわれはもはや、暗い、硬い、そして限りのある、この地上の世界に居るのではない、不可思議にも身に運ばれて、天上の銀河の間に上る。 この天上の世界は光明そのものである。 地上の薄暗い祇園林、師子王釈迦がおそらくは坐ったであろうと思われる見るかげもない枯草の座、無我の講説に耳を傾けるみすぼらしい托鉢僧の群れ、これらは皆ことごとくその影を消している。」 という一節であります。 そのあと更に、 「仏陀がある種の三昧に入ると、彼が身をおいていた楼閣は忽然として宇宙の端の端まで拡がる、否、宇宙そのものが仏陀の存在の中に溶け込むのだ。 宇宙が仏陀で、仏陀が宇宙である。 しかも、それは単なる虚無の拡がりではない、また、極微へのそのちぢまりでもない、大地は金剛石で鋪かれている、柱・梁・欄干などは光輝燦爛として相互に映発するあらゆる種類の宝石や宝玉をもって鏤められている。」 と続いています。 解説では、安藤先生も「禅を論じる大拙と、なんという違いであろうか。『華厳経』に描き出された仏陀は、現実とは異なったもう一つ別の世界、「霊性」の世界 (spiritual world) を生きている。」 と書かれています。 もっともこの本は、大拙先生が序文で、 「この訳書の原文は二十年前のもので、またその立場も禅を主としているので、『華厳』から見た『華厳』ではない。」 と書かれているように、禅の立場から説かれたものなのであります。 華厳に於ける仏陀とはどのようなものなか、本書では次のように説かれています。 大拙先生は、 「結論として、菩薩の一人が仏陀の徳をたたえて説いた偈頌を引用しよう、われわれはそれによって仏陀がその信奉者に対し、『華厳経』の中で一般にどのような関係に立っているかを見ることができる。 (一) 偉大なる牟尼、釈種の最もすぐれたもの、彼は一切の功徳を具足する、彼を見るものはその心浄まりて、大乗に赴き向う。 (二) 如来の出世は普く諸々の群生を利せんがためである、 大慈悲の心から、如来は法輪を転ずる。 (三) 諸々の仏陀は衆生のために永劫にわたって幾多の勤苦を重ねる、一切世間はその負うところをいかにして報いることができようか。 (四) 仏を捨てて他のいずこかに解脱を求めるよりはむしろ無量劫にわたって悪道の苦を受けよう。 (五)仏を見ることのないところにおいて安楽を見出すよりはむしろ一切衆生に落ちかかる一切の苦を受けよう。」 というように、これが十一まで続いています。 そこから更に大拙先生は、禅における仏とは何かについて論を進めておられます。 「このような仏陀の観念が禅においていかなる変化をうけたかを示すために、「仏とは何か、または誰か」という質問に対して禅匠たちが与える返答を若干引用しよう。 すぐにわかることではあるが、ここでは仏はもはや天上の光に包まれた超越的存在ではない、われわれの中に歩み、われわれと共に語る、われわれと同様な一個の老紳士である、全く近づき易い見なれた存在である。 よし彼が光を放つことがあったとしても、それはわれわれにも見出すことのできる類のものである、その光は観知せられるべき何かのものとしては以前からそこにあるわけのものではないのである。 シナ人の想像は、あのように高く、あのように輝かしく、あのように眩めくように飛翔することはないのである。 この論文の最初の部分に画かれたような光輝燦然たる場面は巻きおさめられてしまって、われわれは再び灰色の地上に取り残される。 仏陀とその神通力と環境とだけを取り立てて考えると、表面的には禅と『華厳経』との間には大きなギャップがある。」 と示されています。 しかし、これは決して華厳の世界と禅の立場とは別であると言っているのではありません。 このあとに大拙先生は、 「しかし、その事の本質にまでより深く入ってゆくと、禅には『華厳経』の光に照して初めて理解せられるところの「相即相入」が多分にある。」 というのであります。 そこで禅問答を紹介されています。 「百丈懐海(七二〇ー八一四)が一僧に尋ねられた、「仏とは誰ですか」 百丈、「お前は誰だ」 僧、「某甲です」 百丈、「お前はその某甲を知っているか」 僧、「はい、十分に承知いたしております」 百丈はそこで払子を挙げていった、「見えるか」 僧、「見えます」 そこで百丈は居室の中に閉じこもってしまって、それ以上一語も語らなかった。」 この問答には、仏とは現に今ここにはたらいているものだということがありありと示されているのです。 この本には、臨済禅師の言葉も大拙先生が紹介しているところがあります。 「仏」に関わるところを引用してみます。 「もし四六時中いつも外物を追いかけまわすようなことが不必要になったら、諸君も仏祖と異ならぬものとなるであろう。 仏を知り祖を知りたくはないか。仏祖はいまこの目前に私の講説をきいているところのものがすなわちそれだ。 自信が不十分だから、絶えず外物を追いかけまわすことになる。」 「友よ、私の見処からすれば、私の見性は釈迦のそれと寸分の違いもないのだ。 われわれは日々のあらゆる働きをやっているが、この働きに何か欠けたものがあるか。 欠けたものは一つもないのだ。 眼・耳・鼻 舌・身・意のそれぞれの働きを通じて釈迦も融通無礙なら私も融通無礙である。 このように見得すれば実に一生無事の人である。」 と説かれている通りなのです。 大拙先生は、華厳で説かれるまばゆいばかりの霊性の世界が、現実とは違ったもうひとつの世界のことではなく、日常の中、お互い現にはたらいている中にこそ見出したのが禅であるとご覧になっていると察します。 灰色の地上を離れて光耀く寂光土はないのであります。 この本は、令和二年の初版で、令和五年では第四版になっています。 今の世に多くの方がこの華厳の本を読んでくれていることに、光明を感じるのであります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺