第1087回「達磨はどこに?」

禅僧の書を墨蹟と読んでいます。

『広辞苑』にも「墨蹟」または「墨跡」と書いて、

「紙や布に墨で書いた肉筆の筆跡」という説明のあとに、「特に、日本で禅僧の筆跡をいう」と書いてくれています。

禅僧の書画には、いろんな教えが込められています。

一幅の書画から学ぶものは多いものです。

禅文化研究所には、たくさんの書画が所蔵されています。

そのすべてをただいまは、インターネットで拝見できるようになっています。

そんな書画を紹介して、そこからどんな教えを読み解くことができるのか、最近禅文化研究所の動画で配信するように試みてみました。

第一回は、十二月の成道会にちなんで、お釈迦様の出山像についてお話をしたのでした。

これからも続けてゆこうと思っています。

白隠禅師に芦葉の達磨という画が伝わっています。

これが不思議な画で、芦の葉と達磨様が履いていたであろう靴だけが描かれているのです。

そしてその上には、「芦葉の達磨じゃ」と讃が書かれています。

おそらくこの画を元にして描かれたであろうと想像される一幅が禅文化研究所にございます。

白隠禅師について修行された霊源禅師の芦葉の達磨なのです。

これもまた芦の葉に靴だけが書かれていて、「是れこそ芦葉の達磨」という讃が書かれています。

不思議な画であります。

『金剛般若経』にこんな言葉があります。

「須菩提、仏に白して言う、

「世尊よ、われ、仏の説きたもう所の義を解する如くんば、まさに三十二相を以て如来を観たてまつるべからず。」

その時に世尊は偈を説いて言いたもう、
もし色を以てわれを見、
音声を以てわれを求むるときは、
この人は邪道を行ずるもの、
如来を見ること能わざるなり。」

というものです。

岩波文庫の『般若心経 金剛般若経』にある梵文和訳を引用します。

「スブーティ長老は、師に向かって次のように言った

「師よ、わたくしが師の仰せられた言葉の意義を究めたところによると、如来は特徴をそなえたものであると見てはならないのです。」

さて、師は、この折に、次のような詩を歌われた。

かたちによって、わたしを見、
声によって、わたしを求めるものは、
まちがった努力にふけるもの、
かの人たちは、わたしを見ないのだ。
〔目ざめた人々は、法によって見られるべきだ。
もろもろの師たちは、法を身とするものだから。
そして法の本質は、知られない。
知ろうとしても、知られない。〕」

と説かれています。

三十二相というのは、仏様が具えているという三十二の特徴を言います。

ようするに姿形で仏様を求めてはいけないということなのです。

山田無文老師の『愛語』にも、分かりやすい話があります。

これは無文老師がまだ修行時代のこと、白隠禅師のお墓をお参りしようとして、東海道を歩いて旅をしていたそうなのです。

すると町でキリスト教の方が演説をなさっていたそうです。

熱心にキリスト教の教えを説いて、そのあとにお祈りをしてくれました。

出家姿の無文老師にも、神様のお恵みによって早く信仰に入れますようにと祈ってもらったというのです。

そこで、まだ修行時代の無文老師は、これは黙ってはおれないと思って、その方に言われたことが素晴らしいのです。

無文老師の『愛語』から引用します。

「ただ今ご親切に坊主も早く懺悔をしてお導きに会うように祈っていただいて、まことにありがたい。

先ほどから聞いておると仏教は偶像崇拝だ、木で造った仏や金で造った仏や、死んだ人の骨を拝んでおると言われる。

私はこれから白隠禅師の墓の骨を拝みに行こうと思って来たのですが、うけたまわると、仏教は偶像崇拝だと言ってしきりにお叱りを受けたが、実は金を拝んでおるわけでもなく、木を拝んでおるわけでもない。

ちょうど親の写真を見るように、仏というものの姿を思い出すために、ああいうものをこしらえた。

もう一つ言うならば、自分の心の中の円満な姿を仏として描いておるので、木で造ってあっても、紙に書いてあっても、私どもは木や紙を拝んではおらん、

自分の心を拝んで 偶像崇拝のつもりではおりません。

キリスト教は偶像崇拝ではないそうでありますが、神さまがおありになるとしたら、いったいどこにおられるのか。

神さまはどこにいらっしゃるんですか。 天にましますと言われるが、天のどこにいらっしゃるのか。

神さまにお会いになった方はありますか。

神さまというものを頭の中でこしらえて、明けても暮れても、神さま、神さま、常に神さまがわれわれをみそなわしておると、頭の中に神さまというものを持っておられたら、それこそ大きな偶像だと思いますがどうですか。」

と仰せになったというのであります。

気がついたら、そのキリスト教の方はどこかに行ってしまっていたという話です。

そして無文老師は「自分の心が神さまで、自分の心が仏だ」「自分の心が生きたキリストである、自分の心が釈迦である」と説かれたのであります。

キリスト教の方も、たいへんな方にお説教をしたものです。

芦葉の達磨というのは、『禅学大辞典』には、

「達磨が蘆の葉に身をたくして揚子江を渡ったという故事に基づいて画題としたものをいう。

達磨は梁の大通元年(五二七頃)に中国に来り、武帝に相見し、問答商量して法要を説いたが、帝と機宜あい投合しないために、同年一一月一九日にひそかに梁境を去り揚子江を渡って、魏の洛陽にいたった。」

と解説されています。

達磨様が揚子江を渡って魏に行かれてしまって、達磨様はどこにおられるのか、空しく探し廻ってはいけないのであります。

『碧巌録』の中で、雪竇禅師は、

「千古万古空しく相憶う。

相憶うことを休めよ。

清風匝地、何の極まりか有らん」と詠われています。

永遠に探し求めても仕方ありません。

探すことをやめてみれば、吹き渡るすがすがしい風に、生きた達磨様を見ることができるのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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