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思想・哲学・宗教・人物(My favorite notes)

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思想・哲学・宗教など心や意識をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事…
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2022年8月の記事一覧

再生

第588回「死の恐怖を超える – ほほえみの心 –」

松居桃樓先生の天台小止観の講話をラジオで拝聴したのが、中学二年生の時であります。小学生の頃から坐禅を始めていて、その頃には、目黒絶海老師に独参をして公案の修行も始めていました。 そんな時でもありましたので、この松居先生の講話は大いに参考になったものです。 『今を微笑む 松居桃樓の世界『(星雲社刊)によると、松居先生が天台小止観にめぐりあうようになったのは、死への恐怖からであったと書かれています。 『今を微笑む』から引用させてもらいますと、松居先生は、 「私が、〈死ぬこと〉を恐ろしいと感じはじめたのは、かぞえ年で三つぐらいのころだったと思います。 といっても、やっと、もの心がついたばかりですから、自分自身の死などと、いうことはまだよく分かっていません。 ただ、毎晩、まったく同じ恐ろしい夢を見ておびえたのでした。 それは、空から火の雨が降って来て、地球が絶滅してしまう夢なのです。 今でも、はっきり億えていますが、星や雲が、火のかたまりになって、ものすごい音をたてながら、夕立ちのように落ちて来るのです。 私は、思わず「地球が死ぬ・・・地球が死ぬ…」と叫びながら泣きました。 もちろん夢の中で叫んでいるのですから言葉にはならなかったでしょう。 それでも、相当に大きな声を出して泣いたにちがいありません。 いつも、気がついた時には、母が、私をしっかりと抱きしめて、「大丈夫よ・・・・・・大丈夫よ……」と、あやしてくれていました。 「あっ、夢だったんだなあ・・・・・・」と思って、ホッとすると同時に、私は、力一杯、母にしがみついて、しばらくは、泣きじゃくっていました。」 と書かれています。 死への恐怖というのは、昔の高僧方に共通しているところであります。 白隠禅師は、地獄に落ちるのではないかと恐れおののいていたと言います。 盤珪禅師もまた、幼い頃から死ということをとても恐れていたと言われます。 もっとも仏教のおおもとであるお釈迦さまが、「死ぬる身である。死ぬることを免れることはできぬ」という深い洞察をなされたのでした。 松居先生が数え年の三歳から死の恐怖を覚えたというのですが、私も満二歳の時に祖父の死を通じて死について思うようになったので、親しみを覚えました。 松居先生は、 「小学生や中学生になってからも、夜になると、〈死ぬ〉ということが、ひどく気になって、眠れなかった時期が何年目かに、半年も一年も続きました。 もう、そのころになると、〈こわい〉からといって、泣き叫ぶわけにもゆきませんし、「僕は、死ぬことがこわいんだ」なんて、とても恥かしくって、父にも母にも、学校の先生にも、うちあけることができません。 しかたがないので、毎晩、枕もとに、十冊も二十冊も本を積みあげて、眠くなるまで、読み続けることにしました。」 というのであります。 これは私も似たところがあって、いろんな本を読みあさったものでした。 しかし松居先生は、 「こうして、少年時代から青年時代へかけての、何回かの精神的ピンチはどうやら切り抜けることができたのですが、二十四歳になった時、そのくらいのことでは、どうにもならない羽目に落ちこんでしまいました。 それは、私が、心から愛していた父の死に直面したためでした。 やっぱり死ぬということは、私が、幼年時代から想像していた以上に、恐ろしい、苦しい、悲しいことだと、しみじみ感じたのです。」 というように、父の死を通して死はもはや放置できない大問題になったのでした。 そこで松居先生は、 「父は、交際がひろかったので、有名な芸術家、学者、政治家、実業家、宗教家などを、沢山知っていました。 そこで、私は、父の死後、そういう有名人をつぎつぎと訪問して教えを乞いました。 「あなたは、〈死ぬ〉ということを恐ろしいとは、お思いにならないのですか?もし、そうだったら、どうやったら、〈死ぬこと〉がこわくなくなるか、その方法を教えてください」 ところが、驚いたことに、いわゆる有名人の大部分が、〈死ぬこと〉 を恐れていないのではなくて、目さきの地位や名誉や財産のことばかりに気を奪われて、〈死ぬこと〉 を忘れているだけだったのです。 私は、本当にがっかりしました。」 という体験をなされました。 それのみならず宗教家についても失望なされたのでした。 松居先生は、 「私は有名な宗数家にも、随分あいました。 しかし、大抵の場合、そういう人たちは、本当の意味での宗教家としてではなく、 教会や寺院の経営が上手だったり、お説教や文章を書くことが上手なために、有名なのだ――ということが、わかりました。」 と書かれています。 厳しいご意見であります。 そのような一面もあることは否定できません。 しかしながら、私は有り難いことに、十代の頃から目黒絶海老師や、松原泰道先生、小池心叟老師というすぐれた宗教家にであうことができたので、この死の問題を自分なりに解決することができました。 松居先生は、その求道の果てに『天台小止観』という書物に出逢ったのでした。 『天台小止観』は、「私の生涯に大きな光明をあたえてくれた一冊の本でした」と書かれています。 そんな思いで読まれたので、単なる学問的な解説書ではなく、血の通った講義となっていたのでした。 『天台小止観』というのはどういう書物かというと、松居先生は、 「それは、今から千四百年ほど前に、中国の天台大師智顗が講義した坐禅の指導書ですが、いわゆる坐禅のやり方を説明した書物としては一番古く、しかも一番わかりやすく、懇切丁寧に書かれてあって、それから以後に中国や日本で作られた坐禅の指導書なるものは、ほとんど例外なしに、なんらかの意味で、この本の影響をうけているといわれています。 天台大師は、梵語の「禅」という言葉を、わざわざ中国語の止観の二字におきかえているからです。 では止観とは何かというと、現代風に言えば、「止」とは感情を波だたせないことであり、「観」とは思考力を正しく働かせることになります。 そして、天台大師は、この本の結びの部分で、 「昔から、理想的な人間とよばれる人々 (諸仏)は、例外なしに、感情を波だたせず (止)、思考力を正しく働かせること(観)によって、死の恐怖をはじめ、一切の苦しみや悩みから解放されること(解脱)ができたのだ。 感情が波だたず、思考力が正しく働くと、人間は、いつでも、どこでも、何ものにも、微笑むことができるようになる。」 と優しく説いてくださっています。 「いつでも、どこでも、何ものにも微笑むことができる」ようになるとは素晴らしいことであります。 宗教の目指す理想でもありましょう。 でも、いったい、どうしたら、「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむことができる人」になれるのでしょうか。 それには『天台小止観』の内容を理解することになるのでしょうが、松居先生は、「ほんのひとことで言い表すとすれば」 「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」という七仏通誡の偈に集約されるのであり、それを松居先生は、やさしく 『ひとつぶでも まくまい ほほえめなくなるタネは。 どんなに小さくても大事に育てよう ほほえみの芽は。 この二つさえ絶間なく実行してゆくならば 人間が生れながらにもっている いつでもどこでも なにものにも ほほえむ心が輝きだす 人生で一番大切なことのすべてがこの言葉の中にふくまれている』 と表現されたのした。 清らかな心というのは、「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむ心」だと松居先生は仰せになっています。 しかも、〈そのほほえむ心〉は、天台大師の教えによれば、本来誰もが生れながらに持っているものなのです。 そこで「いつでも、どこでも、なにものにも、ほほえむことができる人(仏)」になるための最短距離は、 「ほほえめなくなる種(悪)は蒔かないこと」と、「ほほえみの芽(善)を大事に育てる」以外には、 なんにもないということになると松居先生は説かれています。 ほほえめなくなる種は、生きものの命を奪うことや、嘘偽りを言うことや、男女の道を乱すことや、人の物を盗ることや、酒によって自分を見失うことなどです。 ほほえみの芽というと、施しや、優しい思いやりのある言葉を掛けることや、何かを人の為にしてあげることなどであります。 こうして毎日の暮らしの中で、ほほえみの種を蒔いてゆくことこそ仏道修行なのであります。     臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

ラマナ・マハルシの真我探求

「神秘主義思想史」に書いた文書を転載します。 ラマナ・マハルシは、若い時に、グルもなく、瞑想の訓練や習得もなしに、一挙に「真我」を見出した稀なる聖者です。 ラマナは、ラーマクリシュナ同様、西洋的・近代的な教育を受けていません。 そのため、インド的ではありますが、宗教的な教育を受けたり、勉強を行っていなかったため、彼の教えは極めてシンプルです。 ラマナは、純粋な主体としての「真我」を見出すために、「私は誰か?」と問うだけの、直接的な「真我探求(アートマ・ヴィチャーラ)」の

クリシュナムルティの反伝統主義

「神秘主義思想史」に書いた文書を転載します。 クリシュナムルティは、近現代のインドの聖者の中では、徹底的な反伝統主義という点で特異です。 ですが、彼の思想は、原始仏教や近年のヴィパッサナー瞑想、禅、ゾクチェンなどのシンプルな仏教に近いものです。 クリシュナムルティは、神智学協会によって、救世主の世界教師を受け入れる器になる特別な存在として育てられました。 ですが、自身の神秘体験に基づき、自らそれを否定しました。 そして、あるがままの真理というシンプルな教えを説きました。

確定する認識という燈明 意訳

ニンマ派のミパム・リンポチェは近代ニンマ派の大学者、大変高名な師で、その著作は素晴らしい教えが数多く残されています。私の恩師からは、「仏教の初心者には分かりやすく、しかし熟練者にも考える余地があるように、同じ著作の中で説かれているのがミパム・リンポチェの教えの優れた点です」と教わりました。 ニンマ派の師ですが、ロンチェン・ニンティクを著したロンチェンパと同じく他空説中観の教えも受け継がれていたようです。他空説中観の教えを聞いた弟子の方が残された著作がリンポチェの全集の中に残っ

菩薩の宝石の首飾り 意訳

チベット仏教カダム派からの教えの伝統で有名な道次第(ラムリム)と心の訓練(ロジョン)。「百の心の訓練」という論書の中、1番トップに来るのが「菩薩の宝石の首飾り」です。 著者はチベットに入蔵されたインドのアティーシャ尊者、それを意訳しました。  アティーシャ尊者の高弟が観音菩薩の化身と言われるドムトゥンパ師ですが、チベット仏教各宗派観音菩薩の化身がおられるというか、強いご縁があるのを感じます。  写真は「心の訓練」の教えをダライ・ラマ法王猊下にお願いした時、法王猊下のサイン入

大事なのは心の修養、サティ、マインドフルネス習慣。『ブッダが説いた幸せな生き方』⑪

前回は、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、心こそが全ての行動の出発点であるとし、心を制御するための瞑想法として、「シャマタ」と「ヴィパッサナー」、そしてその違いを取り上げました。 著者である今枝由郎氏は、ブッダが真に推奨したものである「ヴィパッサナー」に関して、「これこそが仏教独自の本質的な瞑想法で、究極の真理、心の完全な解放に連なるもの」であるとしています。 またワールポラ・ラーフラ師が『ブッダが説いたこと』のなかで述べている、 「すべての行いに

心こそが全ての行動の出発点! 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑩

ブッダの教えを学びながら幸せな生き方を始めてみませんか? 前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』を読みながらブッダが説くカルマ(業)の特徴について述べました。 そのなかでブッダのカルマ論を考えるうえで重要なのは「行為そのもの」というよりも「自分自身の意志」なのであると述べましたが、『ブッダが説いた幸せな生き方』の著者である今枝由郎氏は、ブッダの、 「弟子たちよ、私はチェータナー(意志)をカルマと呼ぶ。意志の指示により、人は身体、ことば、思考を介して行為する」 ということ

ブッダが説くカルマ(業)の特徴とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑨

ブッダの教えを学びながら有意義な生き方を始めてみませんか? 前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』を読みながら「八正道」「戒定慧」とは何なのかについて述べました。 今回はブッダが説くカルマ(業)の特徴についてです。 現代日本においては、「業(カルマ)」というと、「原因と結果の法則」もしくは「運命の法則」だと誤解されていることが多いように思います。 「自業自得」「業が深い」「因果応報」など、本来の意味を離れ、もしいま自分自身が不幸であるとしたら、そのワケは、自分自身の生ま

「八正道」「戒定慧」とは何なのか❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑧

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、ニルヴァーナとは何なのかということについて述べました。 この本の著者である今枝由郎氏は、 と述べていますが、それでは、ニルヴァーナを体現するためのカギを握る、私たちが根気よく熱心に歩むべき「八正道」とは一体何なのでしょうか? この「八正道」については、以前に書いたことがありましたが、 今枝氏は、「八正道」の八項目を、 と簡潔に説明しています。 また、 と述べられていることは傾聴に値します。 さらに八