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近現代史・地政学(My favorite notes)

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近現代史・地政学をテーマにしたお気に入り記事をまとめています。スキさせて頂いただけでは物足りない、感銘を受けた記事、とても為になった記事、何度も読み返したいような記事を集めました…
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記事一覧

ふるさと再発見 〜 海軍の秘密基地

今回は、「ふるさと再発見」と題して、我が故郷・熊本についてのご紹介です。 熊本県は、外洋から離れた九州の真ん中に位置し、自称「海軍通」の私自身、長らく「熊本には海軍に関する遺構はない」と思っていました。 ところが数年前、熊本県南部に位置する球磨郡錦町に、かつて「山の中の海軍航空隊」と呼ばれた秘密基地があったことが分かってきました。 本稿では、およそ6年前に、この地に建てられたミュージアムについて紹介し、後半で基地建設に至ったナゾに迫りたいと思います。 ミュージアムの概

日本に憧れ「坂の上の雲」をみたリトアニアの青年

かつて、東ヨーロッパに広大な領土を擁して栄華を誇り、その後、ロシアなどの支配下に置かれて、何度も国を失った民族がいました。   彼らは、ロシアの圧政下で苦しい生活を強いられていましたが、東洋の新興国・日本が日露戦争(注1) でロシアに勝利したことが、彼らの心に独立への大いなる希望を与えたのでした。   ステポナス・カイリース (Steponas Kairys, 1879-1964)。彼もまた日本の勝利に勇気づけられた一人でした。   今回は、バルト三国のリトアニアに焦点を当て

島津斉彬公と「昇平丸」

鹿児島県民に「鹿児島のヒーローは誰?」と尋ねると、決まって返ってくる答えは西郷隆盛です。 一方で、「確かに西郷は県民のヒーローだけど、西郷を育んだ薩摩藩主・島津斉彬(しまづ なりあきら)公が、その原点だ」と答える人も居ます。 今回は、西郷隆盛の原点たる島津斉彬公の人となりと功績、そして彼が手掛けた洋式軍艦についてお話します。 島津斉彬公について 島津斉彬公は、江戸時代後期の島津家28代当主で、薩摩藩11代藩主です。 「三百諸侯(注1) 中、並ぶものなし」といわれた偉材

日本海軍発祥之地「美々津」を訪ねて

今回は、宮崎県北部の太平洋に面した日向市美々津町と、日本海軍発祥にまつわるお話となります。 美々津(みみつ)という地名は、その昔、神武東征(注1) 御舟出の港として御津(みつ)と呼ばれていたことに由来するそうです。   (注1) 神武東征については、こちら☟ 日本海軍発祥之地 神武天皇の皇軍は、現在の宮崎市にある皇宮屋(こぐや)(注2) を発ち、日向市にある美々津の港から船に乗り、瀬戸内海から紀伊半島方面を目指しました。 (注2) 神武天皇が東征するまで過ごした宮居の跡

萩城下町と幕末の志士

前回、吉川家を領主とする岩国藩と錦帯橋がテーマでしたが、今回は、その吉川家を家臣とした毛利家の再出発の拠点となった萩城と城下町、そして、その後に萩で生まれ育った幕末の志士についてお話したいと思います。   毛利家の新たな出発 16世紀後半、広島を居城として中国地方など8か国112万石を誇っていた毛利氏は、1600年の関ヶ原の戦いで敗れると、長門・周防2か国30万石に減封されました。   そのとき、広島に代わる新たな居城として山口、防府、萩が候補に上がりました。 時の領主・毛

在外勤務で学んだこと(第4回)

第3回では、領事関係のうち、事件・事故に係る安全対策及び邦人援護・保護教務についてについてお話ししました。   下図は前回お示しした脅威事象と対策の相関関係を表したものですが、今回は上段の緊急事態対策及びオペレーションの部分について概説していきます。 1 緊急事態とは 在外公館では、緊急事態を戦争、内乱、クーデター、暴動、テロ、大規模な事故や災害等、自国民に対する脅威事象と定義し、領事部がその対策を担当しています(在外公館の占拠、在外公館に対するテロ、要人の誘拐等、在外公館

在外勤務で学んだこと(第3回)

第2回では、領事関係のうち、日本人に対する各種行政サービスの提供と、日本に渡航する外国人への査証発給業務についてお話ししました。   第3回では、治安情報に基づく安全情報の提供や事件・事故被害者に対する援護・保護業務、並びに大規模災害・騒乱・紛争等の緊急事態発生時の自国民保護活動等、いわゆる「在外における公安系のお仕事」について概説していきます。   1 海外渡航・在住の日本人数 近年の情報通信技術の発達は目覚ましく、海外との距離はより一層近いものになりました。   しかしな

在外勤務で学んだこと(第2回)

第1回では、外務省や在外公館について概説した上で、私は「警備対策官」兼「領事」として勤務したとお話ししました。   第2回となる今回は、領事関係のうち、日本人に対する各種行政サービスの提供と、日本に渡航する外国人への査証発給業務について概説します。   1 領事制度の歴史 そもそも領事とは、外国において自国民に対し民事・刑事の裁判権を行使するために発生した制度で、幕末に日本が欧米列強と締結した条約では、欧米諸国に治外法権としての「領事裁判権」が認められ、日本で罪を犯した外国人

在外勤務で学んだこと(第1回)

15年ほど前の話ですが、外務省に出向して3年ほど在外公館で勤務しました。   赴任先が後発開発途上国(LDC:Least Developed Country)だったので、外交官という優雅な響きとは裏腹に仕事や生活において大変な苦労があり、良い事も悪い事も全部ひっくるめて1冊の本が書けるくらい様々な経験をしました。   この勤務・生活を通じて学んだことについてシリーズでお話ししていきたいと思います。   第1回では、在外公館の概要についてお話します。   1 在外公館(Over

トルコ記念館を訪ねて

9月16日は、オスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」が、和歌山県・紀伊大島の沖合で海難事故に遭った日で、今年で133年になります。   事故現場に近い和歌山県・串本町では、例年、トルコ軍艦遭難慰霊碑前においてエルトゥールル号追悼式典が行われています。 この事故で、600人もの乗員が嵐の海に投げ出されましたが、地元住民が献身的に救助したことで69人の命が救われました。   それから95年後の1985年、イラン・イラク戦争が勃発した時、テヘランに取り残された多数の日本人をトルコ

伊能忠敬と、この国のカタチ

日本人が「国家」を意識するようになったきっかけは、長い歴史の中で、何度もありました。例えば、日本を初めて統一したヤマト王権の誕生、鎌倉時代の元寇、江戸時代末期の黒船来航など。 日本民族の「国家」への帰属意識は、そうした中央集権の強化や外敵の来襲によって強まってきた訳ですが、では、日本人はいつ「日本という国の姿カタチ」を知ったのでしょうか。   今回は、その方面で大きな役割を果たした偉人・伊能忠敬(いのうただたか)についてご紹介致します。 日本地図の歴史 日本という国の姿カ

MENA(中東・北アフリカ)専門家によるイラン解説 XXI

 年金制度が充実していない開発途上国では、『20~30年後の老後が年金で安泰』という概念が存在しないことが多いです。一方で、日本を含む多くの先進国では、年金を将来の生活設計の一部と見なしている人が一定数います。しかし、G7諸国を含む多くの先進国では、#人口高齢化や財政難を背景に#年金支給開始年齢の引き上げや支給金額の削減が進められています。このため、若い世代の中には、将来年金を受け取れるかどうか不確かであるため、#年金や#年金制度に対する不信感を抱き、支払いを渋る傾向がありま

MENA(中東・北アフリカ)専門家によるイラン解説 XX

新たに登場する多極通貨環境におけるイランの役割 過去数十年にわたり、イランは国際社会からの経済制裁によって大きな影響を受け、グローバルな貿易および金融システムへのアクセスが制限されてきました。  しかし、グローバル経済環境が進化する中で、#イランは『#米ドル離れ』への動きという重要な変化を国家戦略の最前線に位置づけています。このトレンドは、70年以上にわたって国際貿易と金融を形成してきた米ドルの支配に対する世界的な不満が増大していることを反映しています。 世界的な米ドル離

MENA(中東・北アフリカ)専門家によるイラン解説 X

 私は通常の書籍を執筆する際には、編集者の意見や読者の反応を無視して、自分の書きたいことを書いています。多くの執筆者が編集者の意見を絶対と誤解しているかも知れませんが、私にとって彼らの意見は、それほど重要ではありません。編集者が執拗に原稿の修正を求めてくる場合は、『だったら、自分の名前で書いたらどうなの?』と提案してみるのも一つの方法です。  編集者の意見を無視する前提だと、noteは読者からのコメントに応じて執筆できる点が非常に魅力的です。私は日本国内よりも海外での生活が