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誰彼もすなる日記といふものを

杏子もしてみむとてするなり。

つらつらっと。紀貫之だけに。

とか書けちゃうとさ、やっぱりわたしはキーボード叩いてると元気が出るんじゃないかなって思う。

今日は支援学級の先生との定期面談だった。息子のハルには発達障害としてADHDとLD(学習障害)がある。文章を読むのが彼にとってはものすごく困難な作業なのだ。

そんな息子を支援するべく、学校ではふりがな付きのテスト問題を個別に導入してくださったりしている。授業中も、フォローをしてもらうなどの配慮を支援担当からお願いしてもらっている。

支援担当のF先生。女性の少し年上の先生。明るくて話しやすく、とても熱心に、ハンデを抱えている子たちと向き合ってくれる。そして、必ず保護者にもフォローを入れてくれる。

わたしが自分に負荷をかけてでもこどもをどうにかしようとするような発言をしたら、すかさず「お母さんそれは大変やからほっといていいとよ~!」って言ってくれたりする。

「わかる!めっちゃこっちはイライラするとよね!」とか、たくさん共感してくれる。

教育に携わる人は大抵、(杏子統計の偏見)こどもの肩を持つ。

保護者は愛するこどものためならこれくらいしなさい、こどものために犠牲になりなさい、こどもを決して傷つけてはいけません。こどもは守られるべき存在です。

明確に言語化されなくても、そういう思想が根底にあるのだろう、という対応は山程されてきたし、たくさん見聞きしてきた。そのたびに、「こっちだって親である前にうちの両親のこどもやし人間やわ!!!!!」と叫びたい想いに駆られた。

その結果孤独に陥った親がこどもを虐待するかもしれないのにね、って思うんだけど。

だけどF先生は違った。わたしが双極性障害と共に生きていることも明かしてある。「お母さん、体大事にしてくださいね」っていつも言ってくれる。自分が一番よ、と。

そんなF先生との面談はいつも癒やしの時間と化している。月一度くらいのペースで1時間ほど面談をするのだが、その1ヶ月の間の息子の様子や学習(今は宿題)への取り組み、生活面での課題などについて話す。その合間に雑談や「母あるある」みたいな話になって、楽しいお茶タイムみたいになってたりもする。

今日は新型コロナの影響でまた休校措置が延びるかもしれないという話もあった。

F先生によれば、こどもも、親も、みんな疲れている、ということだ。健常者であっても、春の気温差や年度の変わり目などの変化で不安定になりがちなこの時期に新型コロナウイルスという脅威が加わって、何をするのにも「これしてもいいんだろうか」「あれやったら叩かれるだろうか」と縮こまって行動の選択をしなければならない状況になって、みんな疲れている、と。

だからメンタルに持病のある杏子さんはほんと、無理したらだめですよ、って言ってくれた。

こどもたちを外で運動させたり、飽きないようなお昼ごはんを作ったりできない自分を責めていた。だから、「ほっといていいし、なんなら学校で預かりの対応もしてるから連れてきたらいいのよ」って言ってくれたことで、ふわっと心が軽くなった。

そして何より嬉しかったのは、「職員室もキリキリした空気だから久しぶりにこうやってお話ができてわたしもよかった~」ってにこにこと嬉しそうに言ってくれたこと。

わたしは自己肯定感を他人に委ねている部分が少なからずある。これでもけっこう自信持てるようになってきたし自分のことは大好きだけれど、やっぱり人との関わりの中でそれが認められる瞬間はとても嬉しい。

杏子のポリシーだから。
杏子と関わったからには、出会う前より一ミリでもいいから幸せが増えていてほしい。というのが、わたしのポリシーだから。

今日はそれが叶えられたような気がして、ここのところいつも憂鬱だった夕飯の用意が、とても捗った。

人との関わりは、貴重だな。今まで当たり前にされてきた、この対話だって、ソーシャルディスタンスだ、マスクだ、換気だなんだ、気にしなきゃいけない。その分zoomとかLINEのビデオ通話とか、やり方はあるんだけど。対面でお話するのって、やっぱり違う気がしたんだ。

早く事態が落ち着くことを願うばかり。


つらつら、のつもりがけっこうなボリュームに…?

えへへ。

倍にして返すくらいの文章を書くよ!!!!!