伝えようと話すと伝わらず、話さなければ伝わらず。のもどかしさ

今、星野源のオールナイトニッポンを聴きながら文章を書いているricoです。こんばんは。
このラジオの断片で見つけたことを書いてみます。

何かの本質に触れる伝えたいことがあるとする。
それを自分以外の人に伝えようとするために、人は言葉を介して話す。
しかし、自分が話したいことと、話したこと、伝わったことにズレが生まれることはよくあることだ。

本当にこれは伝えたい。しかし、伝えたいことそのままに伝わらない現実。これにどう立ち向かえばいいものか。

最近の私の結論は
「それをそのまま提示する」
だと思う。

音で示されるもの、目でわかるもの、触れられるもの、におえるもの、口にできるもの…

それそのものを「感じる」こと。
これが大事なのではないでしょうか。

発信側がそれをすべて話してしまうと、なにかが落ちてしまいそう。
受信側は感性を研ぎ澄まさなければ、何かを逃してしまいそう。

日本人の感覚で言うと、阿吽の呼吸が美徳とされているようなところなのだろうか。

いや、でも、言葉にしないコトバで伝わる「なにか」は与えられた何かよりも、ずっとずっと粋で、澄んだものであろう。


rico

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