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キリトリ世界 in my home

無性に写真を撮りたくなるときがある。

綺麗な景色を見たとき。写真展に行ったあと。素敵な写真を撮っている方の話を聞いたとき。そしてなにより、目の前の光景に心が動いた瞬間。

職場からの帰り道、運転をしながら目の前の光景をカメラに収めたくなることが何度もあった。どこかに車を停めて、相棒のミラーレスカメラで目の前の景色を切り取りたい衝動に駆られるけれど、時速50キロで走る車を停める場所はどこにもなく、赤信号に引っ掛からなければ、その美しい光景をじっくりと眺める暇すら私は与えてはもらえない。

夕暮れどきの空が、青から赤に美しいグラデーションを見せているとき。真っ赤な夕陽が建物の間に消えていくとき。日が暮れ始めた景色のなかで、車のヘッドライトと街の灯りがキラキラと輝いているとき。私はそれらの『シャッターチャンス』を、動く鉄の乗り物のなかで何度も簡単に逃してきた。

だから私はこうして、記憶を呼び起こしながら、その光景を文字にすることくらいしかできない。

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一方で、自宅にいながら無性に写真を撮りたくなる日があったりもする。

外出するのは面倒くさいけれど、ちょっとした楽しさを感じたい、と思う日のことだ。映画を観たり、本を読んだり、それなりに家での楽しみの見つけ方はバリエーションを持ってはいるけれど、特に外は天気が良くて、引きこもっているのは勿体ないなあなんて思ってしまう日は、無性にカメラを触りたくなってしまうことが多い。

家に誰もいないことをいいことに、私は相棒のミラーレスカメラを手に取り、家の中をぐるっと歩き回ってみたことがある。その日も外はすごく良い天気で、家に入り込むお日様の光が、何でもないいつもの光景を少しだけ特別なものにしてくれていた。

母が毎日料理をしているキッチン。

風を通すために開けられた部屋の扉。

光と影が作り出したそれらは、私を楽しい気持ちにさせるには充分な世界だった。

不要不急の外出が禁止されている真っ最中。彼の誕生日に併せて用意したバルーンも、萎んでしまう前に、窓際に並べて写真を撮った。

普通はデコレーションした部屋そのものを撮るのが「映え」るんだろうけど、それよりも1人でバルーンを並べて収めた写真の方が数が多い。

最近も、久しぶりに写真展に行ったことをきっかけに、無性に写真が撮りたくなった。晴れてはいるものの雪が残り、外出する気には到底なれない日のことだった。

そういえば、雪の写真ってほとんどないなあ…なんてことを思いながら、シャッとベランダのカーテンを開ける。ベランダにはいくらかの雪が降り積もっていて、「ああ、ここで花瓶の花を並べて写真を撮ろう」と思い付いた。

白い雪に、花のピンクはよく映える。

身体は部屋の中にいるとはいえ、外気に触れている手は冷たくかじかんでいった。たいして変わり映えのしない写真を何枚も何枚もカメラに収め、手の冷たさが限界を迎えた頃に私はようやくお花を花瓶に戻した。

私はそうしてまた、自ら日常に彩りを添えた。

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文章も、写真も。その人の世界観を持っている人に憧れる。自分にはそういったものが、あまりないように感じてしまうから。でもきっと、自分の好きを突き詰めていけば、そういうのは自然と出来上がってくるものなのかもしれない、と思ったりもする。

私はきっと、人より少しだけ幸せを感じるのが得意に違いない。幸せだけではなくて、悪い方にも影響されやすいのは痛いところだけど、それはそれで私らしさということなのだろう。

そんな不器用な私が作り出した日常の幸せを、皆さまにもお裾分け。かしこ

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