見出し画像

地平線を見ながら泣いたあの日

3連休の中日。
「親友」と呼ぶにはかゆくて、どこか恥ずかしい友人が結婚した。
中学の時に出会ってから15年。早いものだ。
彼女は私がつらいときには側にいてくれ、彼女が肩の荷を下ろしたいときには話を聞く、最近はそんな間柄。
簡単には書いたけれど、確実に私の中で彼女は大切な友人の一人だ。

ウェディングドレス姿の彼女は綺麗で、彼女の笑顔も涙もどんな表情もこの日は一段と美しく見える。
彼女の幸せを「H」と書かれたテーブルの一席で祈り、彼女が両親にあてた手紙を聞きながら泣いた。

結婚式の後、女だけであとの祭りを過ごしたけれどこの年齢になると話題の内容がグレードアップしてくる。
PMS、婚活、結婚、不妊、出産、離婚、浮気、不倫、慰謝料、整形、健康、家のローン、保険、転職、あとは補正下着の話。
結婚式というおめでたい日だけれど、少しだけディープな内容ができるのはやはり気の知れた友人だということと、女だからだと思う。
そして大体のことにあまり驚かなくなったのは人生経験をある程度積んだからか、はたまた私の「驚く」という感情が死んでいるのか。

ホテルで一泊してから、翌日は時間があったから海が見えるカフェへと車を走らせたのはいいものの、幾度か見た高知の運転マナーの悪さに中指を立てたくなる気持ちを抑えた。
仁淀川河口大橋を晴れた日に運転するのは気持ちがいい。対向車線で走っているドライバーでさえすぐ隣に見える青い海の方をちらちらと見ている。

目的地のカフェできっと休みはサーフィンをやってんだろうなと思われる少し色の黒い男性店員に案内されて、オーダーをする。
目の前の広がる海にうっとりしながら、Skipを読んだ。

画像1

本当は食べたかったランチメニューがあったのに、自分の胃にそれが全部入らないと分かって胃の調子に合わせた別のものをオーダーしたけれど、それも全ては食べれない。
昨日ホテルで久しぶりにまじまじと鏡に映った上半身裸の自分の姿を見た。助骨が皮膚から浮き出ていて、痩せすぎ注意と書かれた健康診断の結果を先月受け取っていたことを思い出した。
食べる気力と、料理する気力と、二つの気力が近頃ない。何か食べなければ、また倒れる。そんなこと頭では分かっている。
食べれるだけ食べて、トイレでTOM FORDのリップを塗ってカフェを後にした。

目の前の海に引き寄せられて、浜辺を歩く。
バレエシューズとソックスを脱いで裸足で歩く。
暖かい大粒の砂が足を埋める感覚が自分も埋められたような感覚に陥る。

ゆっくり歩いていくとテトラポッドがある方の浜辺では家族が凧揚げをしていて、その反対側では海の男たちがサーフィンに夢中になっていた。
その間で私は一人、砂浜に座って考える。
私のこれからの生き方を。

女性の生き方と趣味や仕事といった私自身の生き方の狭間で自分はこれからどう生きていこうか迷った。
この迷いに押しつぶされそうなのと同時に寂しさを感じる。
きっとこれは結婚式の内容が良すぎたからに違いない。
右を見ると家族で凧揚げする暖かい光景と、左を見ると趣味のサーフィンを楽しむ人たち。
結婚、出産、家庭と女性としての生き方と自分のやりたいことを表す構図のようだ。

そんなグチャグチャな感情の中でカメラのシャッターを切った。パシャパシャと何枚も切った。
自分のこれからを考えるのには住んでいるところではない別の場所が必要なのと、纏まった時間が必要なことを分かっているのに現実はそれを許してくれない。
どうすればいいのかの答えなんて滞在時間1時間ちょっとでるわけがない。
ただ打ち寄せる波が「大丈夫だよ。なんとかなるよ。」と背中を押してくれてキラキラと光った地平線が「未来は光ってるよ。」と海が語りかけてくれているような気がした。
大きくて広い海を目の前にして声をあげるわけでもなく、ただ静かに涙がこぼれる。
あの場所で海だけが私の味方だった。
波の音を聞いて、気持ちを落ち着かせる。
タイムリミットがきて、また海を横目に運転した。
夕日に照らされようとした海はまた一段と綺麗だった。


今はまだまだ波を乗りこなせていない。
次にここに来るときは、少しでも人生という波を乗りこなしたい。

A woman's heart is a deep ocean of secrets.



インスタグラムをしています。
よかったらチェックしてね(はーと)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?