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大崎下島・久比 #西日本で暮らしを探る旅の記録

広島は大崎下島に滞在し始めて、明日で1ヶ月が経とうとしている。もっといろんな拠点を転々とするはずが、この島に居ついてしまった理由を考えてみることにする。思いつくままにぱらぱらと。

滞在する拠点となっているのは、久比という集落。ここは非常にコンパクトにまとまっていて、端から恥まで15分ほどで歩ける。山と山に挟まれた谷に私たちは住んでいる。

ここにきて、人とは血液のように地球の上を廻り、滞ったり、栄養を運んだりするのかもしれないと思った。地球という大きな生き物の中を巡らされてるような、そんな感覚になる。

人が選んでその地に向かうのか、場が人を選び引き寄せるのか

久比に来てからそのことを考えている。もちろんどちらの考え方もできると思うが、私はここにいると場が人を引き寄せる力がないとは思えなくなっている。うまく言葉にできないが、どうしたってこの地にこの人たちが集まるのは馬の力としか思えないと感じることが多々あった。

私たちは人なので、場を選んでいる感覚を自分自身は持っているし、場になって人を引き寄せた経験もないので、どちらが正しいというものでもないが、そういった場の力、農園や畑や海の見える道路で感じた。(全然言葉にできなくて悔しい)

離島という物理的空間

私が今いる大崎下島はとびしま海道という呉市本土から橋で繋がった島々の後ろから2番目の島。橋で繋がっているので、本土に行くには車で30分ほどで好きなタイミングで行くことができる。フェリーで本土と結ばれた島とはまた違った環境だが、離島独自の雰囲気があるように感じる。

挨拶しあうコミュニティ

2年くらい前にシアトルに1ヶ月くらい滞在していた時のこと。ステイ先の家の周りを散歩していると、すれ違う名前も顔も知らない人が、挨拶をしてくれる。最初は驚いたが、相手に自分がいると認識されているとわかること、相手の余裕がこちらまで伝わってくる挨拶のカルチャーが大好きだった。島でも歩く時には、こんにちはとみんなに声をかける。こちらがこんにちはというと、RPGのように何かしら一言返ってくることもあり、楽しい。日本にもこういう場所があったことを嬉しく思う。

書き出してみると、まだまだ言葉にできないことが多くて、さらに書いて行きたくなった。。下書きみたいなnoteだけど残しておきます。。

いただいたサポートで私はもっと私に優しく生きていきます。銭湯に行ったり、甘酒を作るなど、