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書くことにコミットし続けてみたら、目に映る世界がカラフルになりました

毎日noteを書こうと決意し、3度くらいの大きな挫折にのみ込まれながらもなんとか、細々とですが続けられています。

自分の日記的なものしか書いたことがなかった私にとって、お会いしたことのない人に向けて何かを書くのは本当にハードルが高かったです。

何に対してハードルが高かったかというと、いくつかあって

・毎日何を題材にして書けばいいのか分からなかった
・どんな言葉づかいで書いたらいいのか分からなかった
・大して知識のない自分が何かを書いていいものなのだろうかと思ってしまった

そうした分からないとか不安とか、ぐらついている状態であるにもかかわらず、なぜか「書きたい気持ち」と「書くことの先に何かありそう」という直感だけはあって、ますますバランスが取れなくなっていきました。

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このうちの”毎日何を題材にして書けばいいのか”というのは、継続するにあたってかなりの人がつまずく部分だと想像しています。

毎日ジェットコースターのような日ではないし、分かりやすいドラマチックな展開でもない。でも何か、とっても、言葉にならないけれど確かに感じていることがある。

なのに日常の中のどんなことを書いていいやら途方に暮れてしまう。

書きたいのに何も出てこない、何も出てこないのに書きたいという、なんともいえない葛藤にのみ込まれてしまうとなかなか浮上してこれません。

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ところが、そんな葛藤にのみ込まれ何度も挫折しながら試行錯誤しているうちに”日常を切り取る目”という新たな視点が加わりました。

「なぜだろう?」と問う視点です。

ほかの方のnoteを見ながら”この文章とても好きなんだけど、なんで好きだと思ったのかな”とか、仕事でも”この人はなんでこんな言い回しをしたのかな”とか、”あの人は何にテンションが上がっているのかな”とか。

人に対しても自分に対しても「なぜ?」の問いが加わり、単に好きだなー、微妙だなー、楽しそうだなーで済まされていたかつての日常を全く違う切り口から捉えるようになったのです。

書くぞと気合いを入れ過ぎなくても”書く意識を持つ”だけで変わる。

そして「書かなければ」から「つたないけれど書くことで誰かに貢献できたらな」に変化したときに、自分で作っていた変な義務感がなくなって、日常という当たり前にある豊かさが体に溶け込んでくるようになりました。

インプットとアウトプットが循環し始めた瞬間でした。

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あととっても単純なのですが、”書く仕事の人”になりきってみようと思って。

形から入るっていうやつです(笑)

在宅勤務できない仕事なのに部屋の中を大胆に配置換えしてリビングをホームオフィス風にしてみたり、いつも勉強させてもらっている文章のとても上手な人の作業場をまねてみたり。

やりたいことが気持ちよくできるスペースを一番広く取るようにしました。

人間って本当におもしろいもので、そんなささいなことでも”コミット”するだけで大きく変化していくのです。

これからは楽しんだ人が花を咲かせる時代ですよね。

今こそやりたいことにコミットし続けて、目に映る世界をカラフルに。

そんなこんな書くときのお供は、最近めちゃめちゃはまっているダルゴナコーヒー。

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悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。