見出し画像

【APGF】お陰様で法人化、フランス食文化リモート講座を始めました

フランスレストラン文化振興協会(略称、APGF)note編集部員です。
APGF公式noteの 第八回目の記事は、大澤隆理事からのメッセージです。

今回は、コンクールを通して料理とサービスの人材育成を図ってきたAPGFが2021年1月に法人化するに至った理由等を、大澤理事がわかりやすく興味深く語っていただいています。是非、お楽しみください。


フランスレストラン文化にご関心をお持ちの皆様、今日は。
APGF理事の大澤 隆です。

APGFが法人化する理由

おかげさまで、APGFは今年1月から任意団体から一般社団法人になりました。

任意団体時代の頃から、APGFに集まる方々は、日本でも指折りのフランス料理のトップシェフとトップメートル(サービス部門の長)が圧倒的に多かったのですが、これからはもっと広く、

プロではないけれどフランス料理がお好きな方々もなるべくたくさん会員にお迎えして、そうしたトッププロとともに、レストラン文化の楽しさと面白さをみんなで味わい深めていきたいと思っています。

どの世界であっても、その世界が輝くためには冴えた技を持つプロが不可欠なのは言うまでもありません。でも、そのプロだって初めからプロだったのではないのです。

何かのきっかけがあってその道に入り、その道にある何かに魅せられて、営々と腕を磨いて来た結果として、トッププロになったのです。


おそらく、21世紀の最初の20年間は、日本のフランス料理が明治以降初めて本家のフランスと本当に肩を並べた時期だったと思います。

今、フランスでオーナーシェフとして活躍している日本人シェフだけでなく、フランスの名だたるレストランの厨房を覗けば、十中八九、日本人が重要なポストで仕事しているのを目にすることでしょう。

また、人材だけでなく、日本の食材からもこれまでには存在しなかった素晴らしフランス料理が生み出されています。語学の壁が厚いサービスについては、まだシェフほどの勢いはありませんが、それでもソムリエの世界でもレストランサービスの分野でも、名のある世界大会で日本人が優勝を飾っているのです。


しかし、

コロナ禍で明らかになったのは、フランスレストランの世界から、まだ国内で修業中の日本の若い人々がどんどんいなくなっているという由々しき事態です。

今いくら隆盛を誇っていても、後に続く若い人たちがどんどん減ってしまえば、5年と言わず数年のうちに日本のフランス料理は支え手を失ってしまうでしょう。


レストランは、多くの「食べ手=お客様」が大切

突然ですが、ナポレオンのフランスがなぜあれほど強かったのか、というと、ナポレオンという個人の天才的な戦術眼もさることながら、先ず第一に当時のフランスがヨーロッパでもっとも人口が多かったからだ、という説があります。

そう、人口は国力のバロメーターですから、この突飛に見える説は、大局的には案外正鵠を射ているようです。

それと同じく、ある業界が繁栄するかしないかは、その業界を支える人たちの絶対数が大切なのです。

そして、「支える人たち」と言うのは、必ずしもプロばかりではありません。プロを志す若者が励みになるような価値をその業界に認めてくれる人々、レストランでいえば「食べ手」が実は一番大切なのだと思います

だって、いくら名シェフや名メートルがいても、その技を楽しみ、その価値を認めてくれる「食べ手」がいなかったらシェフもメートルも遣り甲斐を感じられないでしょうし、「食べ手」=お客様が来てくれなければレストランなんて成り立たないからです!


こう考えて来ると、プロだけではなく、
これからもよき「食べ手」であり続けようとする方々こそ、実はレストラン文化の真の支え手といっても過言ではありません。私たちAPGFは、その支え手を増やすことが極めて重要だと考えています。


これからのAPGFへの私の願い

私事で恐縮ですが、かくいう私も、ヨーロッパでの十年間の駐在生活を含めて、生涯「食べ手」に徹しています。

仕事が対政府渉外でしたから、また当時は接待費にうるさい縛りがない古き良き時代でしたから、交渉相手を連れ出しては大いにレストランを楽しみました。

相手から情報を引き出すためには、自分のこと=日本の文化も語れなければなりませんが、相手のこと=ヨーロッパ文化を語れなければ相手が心を開いてくれません。そんな時、食は格好の話題で、随分と面白い情報交換が出来ました

たとえば—
・世界で最初のレストランはパリの真ん中に誕生したのに、その名前にはパリでなくロンドンが謳われていたのはなぜか?
・そもそもレストランは食の場なんかではなかったのだが、いったい何だったのか?
・地中海でタラなんて獲れないのに、地中海に面したニームの名物がタラを主原料にしたブランダードなのはなぜか?
・フランスの三ツ星レストランのメニュには、あまり牛肉の料理が見当たらないのはなぜか?
・なぜ、フォワグラは先ずストラスブールが有名になったのか?
・フランス料理は、昔からコースで供されていたのか?
・チーズがエリゼ宮の正餐に供されるようになったのは、いつごろからか?
・なぜボルドーワインに限ってイギリスに名ガイドブックがあるのか?

などなど・・・

それぞれについて、トリビア的な脈絡のない雑知識としてではなく、こうした興味深い謎をなるべく幅広い歴史的な文脈に位置付けるようにして解きほぐし、皆さんと共有したいというのが私の願いです。

なぜなら、第一にフランスの食文化というものを深く知ることができてとても面白いし、知っているとレストランでの食事がより一層楽しく、美味しくなるからです。

さあ、ご一緒にフランスレストラン文化の魔法の森に分け入ってみませんか?!


お知らせ

私が講師を務める『APGFフランス食文化リモート講座』は、APGF一般会員以上の皆さんに無料で公開されます(第1章 その1は、HPから会員以外も随時無料で閲覧(添付vimeoご参照)できます。第1章その2の会員向け公開は、4月20日頃の予定で、以降、1節ずつ、原則2週間に1度追加される予定で、その都度HPでお知らせします)。

2021年4月現在、収録済の内容は以下の通りです。
     第1章 レストランというもの、レストランということ
       その1 レストランは誰がいつ始めたのか?
       その2 最初のレストランは、なぜレストランを名乗らなかったのか?
       その3 レストランはなぜ流行ったのか?
       その4 レストランではレストラン以外に何を供したか?
      第2章 塩とスパイス
       その1 ニーム風ブランダードは、なぜ名物になったのか?
       その2 ニーム盛衰記
       その3 塩と資本、そして体液バランス
       その4 ヨーロパ式の医食同源思想とヴェネツィアの興隆
       その5 水路と陸路、あるいは中世盛期の物流
       その6 もう一つのダヴィンチコード:塩はこぼれていたのか、こぼれなかったのか?
     (第3章は、肉の話を中心に構想中です。お楽しみに!)

〈完〉


サポートをしていただければ大変嬉しいです。 サポートはコンクール運営費や活動費に有意義に使わせて頂きます。