現実にいない

物事をシンプルに考えられない人間はこうなる

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最近の記事

人生で一番良い夢を見た!

鬱な人間に、「なぜできないのか」じゃなく「なぜやらないのか」と、原因を考えずに「普通の人達がやっているようにしろ」と言ってくる人へ、人が鬱になる仕組みやドーパミンについて伝える方法を考えながら眠りに落ちた。 ここ半年程は夢を見ない日が続いていたが、今日は久しぶりに夢を見た。その夢は人生で一番良い夢だった。 普通の人生を送る夢。自分の歳は多分20歳ちょっとくらいで、同じ年齢層の人達の中で生活をして、出会いと別れ、若い時にだけ許される強引な行動、人間関係に悩み、人生の重要な局

    • 鬱がピーク!! 戦慄の絶望三重奏!!

      私の昨今の感情の無さったらシャレにならない訳です。 自分でも感情がないと自覚するくらいに無い。 鬱が高まっている。 鬱がそんなボルテージみたく高まるものかは知らないが、かつてなく鬱が強まってきているのを実感している。 ここのところ毎日、「これ以上生きてどうする」と考えている。 ほとんどの人が人生の中で一般的にやること。体験や苦悩や喜怒哀楽、一言にすると「経験」。 そういった人々が普通に人生を送る中で自然にしていく経験を、私はほぼやらないまま、人生2回ほどの時間を生きて

      • よくある環境も3つ重なると特殊な結果を産む

        ちょっと嫌なことがあって、なぜこんな人生になったのか考えた。 改めて考えた結果、10代前半に「人生に希望を持つことをやめた」のがこの人生の始まりだった。 世の人が人生を一番楽しむらしい十代〜二十代前半の時期も、現代日本人に倣った生活のふりをするだけの延命の生活に消えた。 まだその時の労働が、物欲やら性欲やら人間関係欲なんかを呼び覚ますほどの対価を産めばその生活から抜け出したのかもしれない。しかし壊滅的な経済状況が、そんな何かを求める気持ちを踏み潰した。 一般的でない家庭

        • 二次元創作物への感受性が高すぎることへの考察

          Twitterでよく嘆いているように、自分の二次元への感受性が高すぎる! 状態:二次元の創作物で強い精神ダメージを受けてしまう 例:青春恋愛もの、虐待・イジメ・暴行、ゴミ男への依存、NTRなどの描写がある二次元創作物をチラっとでも目にすると強い精神ダメージを受ける ⇒以前書いた記事https://note.com/apg2pop/n/n9c0e2cfd31fa (noteアプリからだとリンク挿入できないんですがなにこれ) ・三次元、現実の場合 ⇒同じ内容の創作物を見ても

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          ツイッターの「病み垢」界隈は業者の集まりになってるの?

          最近、Twitterの「病み垢」界隈を覗き見た。 Twitterを始めて5年ほど経つが、私が病み垢に持っているイメージは ・自傷行為の画像や動画を流してBAN ・メンヘラメイクの自画撮りでフォロワー増やして承認欲求を満たす ・ひたすら「死にたい」とつぶやく …などのステレオタイプなもの。 そしてそのメンヘラ女子に群がる、出会い目的の男たちで「病み垢界隈」は形成されていると思っていた。 しかし初めて実際に垣間見た「病み垢界隈」は、 「#病み垢とつながりたい」 などの「繋

          ツイッターの「病み垢」界隈は業者の集まりになってるの?

          たまに「鬱」が消える。その時に見る普通の人の世界。(あくまで主観)

          前のブログに一度書いたこともあるが、たまに ふとした時、謎のポジティブ感が胸に湧き立つことがある。 「鬱」と呼ばれるものが、その瞬間だけ身から落ちるような感覚。身体が浮くように軽く感じ、気持ちや気分が信じられないほど軽くなる。 実際のところ、それが本当に「鬱」なのかは分からない。 精神科か心療内科か知らないが、鬱病なのか調べに行ったことも無い。行く術も気力もなかった。親に「精神病院に入れるぞ」とは散々言われたが。 だから実際、自分が鬱病なのかは分からない。 ふとした時に

          たまに「鬱」が消える。その時に見る普通の人の世界。(あくまで主観)

          最近の漫画配信サービスの広告が辛くて自分の感受性が死んだかと思ってた話

          若い頃にはあった"視点"が無くなった気がする。 若い頃は物悲しい話や後味が悪くなる鬱ストーリーでも、「こういうのもあるのか」「気分は良くないけど記憶に残る」と、精神にダメージを受けながらも前向きに受け取れていた。 たまに鬱展開なものを見れば、1週間ほど悶々とすることもあっても、それを「強い印象が残る作品」だと思えた。 それが今は「良いか、悪いか」のどちらかでしか受け取れなくなった。…ような気がしたが、最近の「一筋縄でいかない作品」と話題になる作品は、読者を嫌な気分にさせる

          最近の漫画配信サービスの広告が辛くて自分の感受性が死んだかと思ってた話

          記憶が無いから無理矢理掘り起こしてみる 小学校編

          ここには最初から昔の話しか書いていない気がするが、まあいいや。昔の話。 何年か前、ある人に「子供時代の記憶が無いのはおかしい」と言われた。 え、そうなの? 実際は人生に思い出や思い出すような記憶が無いだけで、無理矢理思い出そうとすれば思い出せる。 そこで今、子供時代からの記憶と置かれていた環境を掘り起こしていて、ついでにここに吐き出そうと思った。 親が私を作った時と同じ年齢になったことに気付き、改めて子供の頃の親との関わり方を思い出そうという面もある。子供時代から順に

          記憶が無いから無理矢理掘り起こしてみる 小学校編

          音楽は当時の記憶を呼び起こすが良い記憶が無いのが問題

          15年ほど前にはまりこんでいたゲームの高画質な動画を見た。 音楽というのは強く記憶に残るもので、その動画に流れる音楽で当時の記憶が脳内に広がるように蘇った。記憶が蘇る、という経験が少ないから、とても新鮮な感覚だ。 よく創作物で見るように、頭の中に記憶が湧き上がった。 その記憶は、当時プレイしていた時の様子と同時に、当時若かった自分のことも思い出させた。 15年前。 15年。子供が大きくなり、学生が大人になり、結婚をして子供が出来て人生が次の段階へと移るに十分な時間。

          音楽は当時の記憶を呼び起こすが良い記憶が無いのが問題

          息をするようにアウトプットするにはどうすればいいのか

          これも前にTwitterで少し呟いたやつ。 5年前からブログをやっていて思うのは、自分のアウトプット性能の低さ。 どこかで取り込んだ情報を、自分を一度通してアウトプットする。これが上手くできない。 これはインプットした情報を上手く処理出来ない訳でも、自分の考えを出せない訳でもなく、ただ単に「アウトプットする技術が足りない」のだと思う。つまり、ブログなら文章を書く技術、動画なら脳内イメージを再現する技術が足りない。 これは絵が上手く描けない、上手く喋れない…など、多くのこ

          息をするようにアウトプットするにはどうすればいいのか

          AK男子の話題でマッチングアプリの闇を思い出す

          今日、Twitterでにわかに話題になっている「AK男子」。 A=あえて K=結婚しない 男子。 家庭を持てる安定した収入があり、結婚適齢期でも「あえて結婚しない男性」とのことだった。 やはりというか当然というか、TwitterではライフルのAK47を持った男性の画像と、あの記事を揶揄するツイートがひしめき合っていた。もちろん共感するツイートは見当たらない。Twitterだし、あの記事にはツッコミどころが多すぎる。(自虐か、創作で書いている可能性が高いが) ただあの記事

          AK男子の話題でマッチングアプリの闇を思い出す

          欲求が人生の糧なのだと気付かなかった

          何かを欲しがらないと人はまともに生きていけないのだと、今になって、というより今さっき気付いた。 きっかけはブログで名前を出した某ゲームの説明が、私の認識とあっているかWikipediaで確かめた時。 「はじめは感情のない少女だが接するにつれて感情を出すようになり、要求もしてくるようになる」 ただのゲームキャラクター紹介の一文にハッとした。 私は子供の頃から欲しがることをしなかった。 親に何かを欲しがっても与えられたことは無く、親の機嫌が悪ければ殴られた。平手でなく拳や灰皿が

          欲求が人生の糧なのだと気付かなかった

          後悔している。何故かは分からないけれど。

          昔のネットでは、恋愛経験の無さをネタとして、童貞、喪女、年齢=恋人いない歴…など、「同じ穴の狢同士」が、お前が言うな的エンパシーネタとして使われていた、と思う。ネットはパソコンで使うもので、いわゆるオタクの独壇場だった時代。 それがスマホなどの普及でネットが老若男女問わず日常の一部となった頃から、「同じ穴の狢」への馴れ合いネタでは無くなり、ただの攻撃として使われる言葉になったように感じる。 日本人男性の交際未経験率の高さや高齢処女などが表面化してきてからは、より純粋な罵倒

          後悔している。何故かは分からないけれど。

          自分の名前を忘れていた

          鏡は毎日見てるし、Amazonは頻繁に使うから自分の名前を見る機会もある。それなのに今、自分が自分を認識していないのに気が付いた。毎日鏡で見るが、もうそれを自分だと思ってもいなかったようだ。 その事に気づいたのは、アニメの「ゆるキャン2期」の中で、主役の一人がバイト先を探しているシーンを見た時だった。 私は学生時代にバイトをした事がなかった。この山梨を舞台にしたアニメで、その主役の子は自分の町にバイト募集が少ないと嘆いていたが、私の町はそんなレベルでないほど求人がなかった。

          自分の名前を忘れていた

          数十年振りに現実に戻りつつある不思議

          ここ数ヶ月、数十年振りに自分が人生を送っているのだと実感している。 まだ学生だった頃以来だ。 その時は既に、将来なんてものは見えなくなっていて、自分に人生があるとは思えていなかった。 多くの人が自分の成りたいものや欲しいもので悩み、どう生きていくかを考えている時に、私は自分の人生が続いていく実感が無かった。 当時、「将来」という言葉をよく聞いた。それは私には「後世」より現実味の薄い言葉だった。ただそれでも、まだ活きのいい細胞が作る若い肉体と鋭敏な感覚は、視界をくっきりと

          数十年振りに現実に戻りつつある不思議

          否定から入ります。素直に受け入れると耐えられずに壊れてしまう気がするので。

          Twitterで集客するポジティブ思考発信アカウントのスパムめいたツイートを見て、自分が普段ネガティブなことばかり呟いている気がした。 そこで意味なく「しばらくポジティブなことしか呟かない」と決めた。守る気がないから意味が無い。 「ポジティブな思考」を作り出そうと、少し考えた。一言だけ、くだらない何か一言をポジティブっぽく出そうと頭を捻ったが出てこない。 自分は恐らくネガティブなんだろうと思っていて、ならば自分の思う事を反対にすればそれがポジティブな思考になるのだろうと思

          否定から入ります。素直に受け入れると耐えられずに壊れてしまう気がするので。